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No.7 神でもない

同じ空を飛ぶのはいいけれど、お互いの翼を捕えてはならない。


浮気について

浮気しないことを相手に求めることって、すごく「甘え」な気がしています。
恋人って、自分の保護者じゃないし、神様でもなければ牧師さまでもない。
ただ自分の人生を、一番高い頻度で支えてくれる人だと思う。

それでもただの一人の人間だし、私と合同ではない自分自身の人生を持った、一人の人。

「恋人として寄り添い合うもの同士は、全生涯を以って、自分のためには相手を傷つけてはならない」

なんて、ちょっと禁欲主義的だし、義務論的だし、宗教的で中世的ですらある。気がします。

まるで「親は子供の前では一切泣かないこと」「親は子供の前では一切自分自身に甘えないこと」
といっているみたいじゃありませんか。
百歩譲って、子供ならそう願ってもいいかもしれない。親に対してならそう求めてもいいかもしれない。

あるいは若い恋人同士なら、そうして義務論的な態度を求め合ってもいいかもしれない。
でもそれは成熟した、本質的には他人な大人どうしのすることではない。

愛とは、求めないこと。愛はなにも求めないし、愛は縛り付けることもない。愛は見返りを求めない。


「恋人を裏切らない」

それは本人が信念をもって取り組むべきことであって、相手が義務として押し付けることではない。

人が自分の人生をどう振る舞うかは結局その人の自由。できることは「最善を尽くして相手を裏切らない」
そして「相手自身にその信念を貫いてもらえるよう自分も努力する」

結果として、相手がその信念を全うできない瞬間があったとしても、その人を責めない。
誰も責めない。関係の改善やお互いの成長を促すこと。それしかできない。

他人に対して、全生涯をかけての信念を強要できるほど、人は偉くないし、立派じゃない。
信念を守る守らないは、いつだって本人固有の問題。
そう思いませんか。

もちろん浮気は決して、いいことではない。

ただ "いいこと" ではないからといって、間違いである、不自然である、悪である、偽りである・・といえるかは分からないものだ、とも思うのです。


それでも、ぜひ最善は尽くそう。
何も求めないことが愛だとしても、最善を尽くしてあげたいことはきっと愛だと思います。

最善を尽くす価値あるもの。それが愛。
そう思いませんか。

#随筆 #愛

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