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教材研究の技法(高校国語)~多義的な解釈をゆるすかどうかの区別

けい先生です。国語の教材研究の一つの型についてのアイディアです。ここでは小説を例にします。

まず、テキストには次の二つの重要な部分があります。これらを、一つひとつの授業で問題として取り上げることになります。すなわち、

  • 一義的ではあるが、むずかしい所

  • 重要な部分ではあるが、解答が一義的ではなく、多義的なとらえ方、解釈をゆるす所

それぞれ具体例を挙げて説明します。

1 一義的ではあるが、むずかしい所

・例「どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。選ばないとすれば-下人の考えは何度も同じ道を低回したあげくに、やっとこの局所に逢着した。しかしこの「すれば」はいつまでたっても、けっきょく「すれば」であった。」(芥川龍之介「羅生門」)

・例「己の珠にあらざることを惧れる」「己の珠なるべきを半ば信ずる
「共に我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである。」(中島敦「山月記」)

・例「Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしている」
「彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。」(夏目漱石「こころ」)

太字部分が、一義的ではあるが、むずかしい所の具体例になります。これらについては、生徒にどう考えさせるか、教師がどう分かりやすく説明するかの筋道を立てる必要があります。説明のための図解も有効です。

夏目漱石の例で言えば、「理想」や「現実」がそれぞれどのようなことを表しているか、「彷徨」とはKのどのような状態を表しているかを読み取り、表現させることになります。

ここで注意なのは、教師がわの模範解答を予定調和的に生徒に押し付けないことです。最近は有数の名門校の生徒でも、「答えを早く教えてください!」と堂々と言ってくるケースがあると聞きます。それは、ことばの力ではないことを、繰り返し語り、生徒に気づかせる努力をしていきましょう。

2 重要な部分ではあるが多義的な解釈をゆるす所

  • 例「下人は何故老婆の行為を許すべからざる悪と考えたのだろうか」

  • 例「李徴の詩に欠けるものとは何だったのだろうか」

  • 例「Kは何故自殺したのか」

これらが、重要な部分ではあるが多義的な解釈をゆるす所の具体例になります。こういう個人の読み・解釈に関わる部分は、授業の中で何人もの意見を聞き、整理して教室全体のものにする。そして、最後の感想文、あるいは考査で「~について自分の意見・感想を記せ」という設問で問い直すとよいでしょう。

3 指導書に依存してはいけない

若い先生にも、ベテランの先生にもありがちなのは、指導書の「答え」を生徒に教え込むことで満足してしまうことです。気持ちはよく分かります。忙しいということもありますが、何より根拠もしっかりしていて、ゆるぎない「唯一の解」に見えなくもありません。

しかし、その「唯一の解」に常にたどり着くように展開されている授業で、子どもたちがことばの力を身につけることができるか、立ち止まって考えてみたいと思います。子どもたちは、先生が板書する答え、問題集の解答を覚えて、それで「善し」とするのではないでしょうか。それは、単なる短期記憶の話であって、ことばで自分なりの答えを見出し、他者に思いを伝え、ともに何かを実現する力は身につかないのではないでしょうか。

4 さいごに~生徒の出した答えは宝物

生徒の発言、文章は宝物です。そこには、教師にとって多くの学びがつまっています。しかし、日々の授業や研究授業などでは目新しい方法論(何をしたか)にのみ関心が集まり、子どもたちがどうことばで表現したか、それらがないがしろにされているケースが散見されます。

国語教育において重要なのは、まさに子どもたちのことばです。私は、生徒に何か答えを書かせるならば、それを一生保管するくらい、そのことばを尊重したいと思います。もちろん私自身、なかなか徹底できないところはありますが、残り数十年の教師人生で目指していきたいと思っています。


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