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教師は自分が「潜在的加害者」であると自覚した方がいい
煽るようなタイトルですみません。けっして、世の先生方を責めるつもりはありません。これは私自身の反省だとご理解ください。
「走れメロス」と「エヴァンゲリオン」
まさに中学生時代に、テレビ版のエヴァンゲリオンに毒され、道を踏み外した世代です。レーザーディスク(失われた日本の技術)を、プレイヤーと一緒におこづかいを貯めて買いました。旧劇場版こそ歴史に残るべき傑作。新劇は「破」まではGOOD。その後はどうしてこうなった。すみません、また煽ってしまいました。でも、完結してよかった。わたしたちの世代は、これで本当に「呪い」から解放され、やっと大人になれたのです。
さて、そんなことはどうでもよい。
この2作品の共通項ですが、友人同士の対立と和解です。メロスとセリヌンティウス、碇シンジと鈴原トウジ。お互いを殴って、「おあいこ」と仲直りしています。
物理的に殴り合わなくてもよいのですが、ちょっとした擦過傷は、心地よいものです。心も同じです。だれも傷つけないで人間関係はつくれません。
なお、バンチョーと呼ばれる下駄をはいた男(番町皿屋敷系統の江戸の怪談話か)同士が河原で殴り合い、
「オメェの拳、効いたぜ」
「オメェの蹴りも、効いたぜ」
・・・ガシッ!!(と、手を握り合う)
というような光景が、かつて日本の各地で目撃されたそうです。
また、話が逸れてしまいました。なんだったか・・・そう、擦過傷でした。
潜在的加害者であることの自覚がなぜ必要か?
すべてのコミュニケーションには、相手を傷つける要素が含まれています。「ヤマアラシのジレンマ」と言われるように、自分にとげとげが生えているイメージくらい持ったほうが、相手とのよい距離感をつかめると思います。
繰り返しますが、教員の倫理観は、平均的に高いです。しかし、危険だなと感じるのは逆説的ですが、次の傾向が強い先生です。
自分は「正しい」と思っている先生
これは強い倫理観と裏表の関係になります。だから、学校内にこういう先生がいることは必要だと考えています。しかし、みなさんお気づきのように、これはパワーハラスメント、セクシャルハラスメントの原因になりかねない要素です。
大切なのは、子どもの人権です。教師は子どもを一人の人間として最大限に尊重しなくてはなりません。
しかし、その教師自体が、生徒であったときに傷つけられているのです。管理的で非民主的な学校風土、軍隊を思わせる部活動、いじめなどを経験し、その葛藤を乗り越えられないままに内面化し、同じことを弱い立場の子どもに繰り返す構図です。
教える立場の方々へ、愛を込めて
私と同じく、人を「教える」立場の方々へ。
極端かもしれませんが、私たちは誰もがつねにとげとげを生やして日々を生きています。
あなたも、自分より「つよい」誰かから、傷つけられたことがあるかもしれません。つらかったですよね。
あなたが、同じことを繰り返す必要はありません。また、人を傷つけることを恐れすぎる必要もありません。
わたしたちはヤマアラシではなく、人間です。自分にとげとげがあることを知る私たちは、相手との距離を測る知性を持ちます。自分の潜在的加害性を十分自覚し、互いに尊重し合う関係づくりをあきらめないでください。
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けい先生は、みなさんの反応を糧に、このネットの海を渡り歩いています。