正直であること

世間一般では、性に奔放な人間=軽薄で人の気持ちを軽んじる愚か者というイメージが定着しており、彼らの性生活に関する実態が白日に晒されたとき、両手をあげてみんなで大叩き、という流れが恒例となっている。

確かに浮気や不倫など、特定の相手に対して不誠実であること、自身の性欲に忠実なあまりモラルや社会規範に外れた行動、権力差や物理的な力の差を利用した性加害、男女間では望まぬ妊娠など、性欲に伴っておこるよろしくないことが多すぎるのも確かだ。しかし、社会規範に収まる範疇で、自由にセックスを楽しむことは、責め立てられることだろうか。

僕は、自分でいうのもなんだが、性に奔放な人間である。数年前に自身の性的対象と、それに伴うアイデンティティを確立してから、性欲が右肩上がりだ。不特定多数の相手と、セックスをしている。

法やモラルに触れるようなことはしていないので、恥ずべきことではないと思っているが、家族やノンケの友人、職場の人間などに知られるのは間違ってもプラスにはならないだろう。おまけにこうして誰に頼まれたわけでもなく、自分の恥部とも言える経験をこのようにしてnoteに書いているのだから、セルフデジタルタトゥーの極みである。

僕が、どちらかと言えば少数派とも思える考えや行動を公にしているのは、正直さや率直であることが常に誠実であると思っているからだ。誰かに変に何かを期待されたり、理想を押し付けられることが、とっても苦手。いつか幻滅されるのならば、最初から全部開示してこのスタンスを変えることもないし私はこうやって生きていきますよと堂々と宣言していたいのだ。

とはいえ、常に正直であることは社会で生きていく以上難しく、結局社会に迎合されやすい顔を作り、毎日過ごしている。よく芸能人が不祥事を起こしたり週刊誌に暴露記事を挙げられ、槍玉に挙げられるのを見るのが苦手。生存のためや、周りへの配慮で隠してきた自分自身が晒されて、社会全体から攻撃されるのってどんな気分だろう。

人の弱みを見つけ弱い者いじめじゃないけど正論を振りかざし叩くネットも苦手。どれだけミュートしても、Xのタイムラインには人の誹謗中傷や正論を振りかざしたいだけのポストが流れてくるから、精神衛生上Xを見るのはやめたほうがいいんだろうな、とは思う。

みんな、それぞれ様々な一面があるはずなのに、いわゆるキャラから外れた一面や行動が許せないのってなんなんだろう。頭真っピンクドスケベな僕と、繊細で真面目で社会がもっと良くなればいいのにって思ってる僕は共存してるよ。ただ、スケベな顔が知られてしまったら、誰も僕が真剣にしている話を真面目にとってくれなくなる気がして。

僕は時々、自身のセクシュアリティーや性生活が望まぬ形で晒されてしまい、つまはじきにされる、という夢を見る。これは僕にとっておこってほしくないあり得る現実の恐怖であると同時に、自分の何もかもが知られてしまえばいいという願望でもあるなぁと思う。常に正直であることが最適解であるとは思わないが、本当の自分を見せるのに躊躇してしまう、言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン、という感じである。

昨日したセックスの話を、さっき見たタイプの男の話を気軽にできればいいのに、ってだけの話。正しさで人を殴るのはもういいよ、みんな正しくないところはあるでしょ、なんでも規制を緩くしてOKってわけではないが、もう少し寛容さが欲しいと思う今日この頃。

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