まだ、揺れてるみたい

今日は社内パーティーがあった。

コロナ禍は人が密集して食事をする会などできるはずもないので、かなり久しぶりの開催だったみたいだ。コロナ後入社の僕は初めての参加だった。

大人数の場がずっと苦手な僕。ものすごく憂鬱だったが、始まってみると意外も意外、お酒の力も借りて、意外と楽しく過ごせた。基本的には、今同じ店舗の人とテーブルを囲み、孤独にならないよう自分の陣地を張る。会が進むにすれ、徐々に人の輪は混ざり合い、今まで何度かの店舗異動で過去に一緒に働いたことがある人たちとも久しぶりの再会を果たしたり。

今の会社に入って約3年。気がつけば、かなり多くの人と関わってきて、顔見知りが増えたなぁと思った。同時に、こういう場でポツンとひとりになり疎外感を感じないように小賢しく立ち回る術も身につけたなぁと思った。久々にたくさんの人と会えるということを、純粋に楽しく思える人が羨ましくて、その場の空気や自分の立ち振る舞い方をいろいろ考えてしまう自分が、後になって少し嫌になる。あの人と久しぶりに話せたとき、もっと色んな返しできたなぁとか思う自分も嫌だ。

前に記事を書いた、前の店舗で好きだった先輩にも会えたのに、ほとんど話しかけられなかった。本当に真横で、別の人と話していたのに。ちょっと会話の隙間を見つけて、「久しぶりじゃないですか!」って言うこともできたのに。見た目は全然タイプじゃないのに、やっぱり話し方とか、雰囲気とかが好きだった。胸がチクリと痛んだ。

だけど、僕には今、別に意識している人がいる。後輩の女子。ついこないだ別の店舗に異動してしまったけど、今日久しぶりに話して、あ、この子のこと好きだなと思った。かなり年も下だし、実際一緒に働いた期間は短いのに、すごくフィーリングがあった。ちょっと僕に対してナメた口を利くのもかわいい。

すごく、戸惑っている。これが恋愛感情なのかはわからないが、大学のときに同級生女子に抱いていた、恋愛感情のようなものに似ている。自分はゲイであると確信し、ゲイコミュニティーにも足を踏み入れるようになり、自分の生き方の指針が立ってきたところでの、揺らぎ。たぶん、僕は女性とセックスは出来ない。そういう意味では、ゲイなのだろうが、感情においては、好きな気持ちに男女が問わない気もするのだ。これは、バイセクシュアル、なのだろうか。

女性に対する好意を、本物だと突き進めば、マジョリティーとして生きやすい道を選べるという浅はかな気持ちがあるのかもしれない。そもそも、気が多すぎる気がする。人として好きがある程度の量を超えると、すぐ愛おしいと思ってしまう癖。んー、言葉も感情もまとまらない。少し酔ったせいもあるが、こうやって言葉を残して、少しでも整理したかった。

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