少し気が多い私なりに

ドリカムの「決戦は金曜日」のサビの歌詞。
なんの脈絡もなく、ふとしたときに口ずさんでしまう。
でも「気が多い」ってどういう意味だっけ?

ふと気になって調べてみると、「心が定まらず、関心や興味がいろいろに変わる。」という意味らしい。なるほど。本当に僕のことじゃん。

そう、僕は気が多い。なにかひとつの物事に集中しているということがほとんどなくて、大体同時にいくつかのことに手をつけている。
そのどれに対しても、それなりの熱量はもっているのだけど、ちょっと困難にぶつかったり、フラストレーションが溜まったりすると、他の何かに乗り換えて、解消しようとする癖がある。
ある意味の、僕のライフハックではあるが、堪え性がなく、何をしても中途半端とも言える。

ちなみに、気が多いとは恋愛面においての移り気な様をさすこともあるみたいで、こちらも残念ながら当てはまってしまう。
僕には常に「好きになりたい人」が何人かいて、芽が出ないかなと期待してほうぼうに種をまく生活をしている。
恋愛指南系の本やTV番組において、誰にでもおもわせぶりな態度をとるやつはクソ野郎として格好の話のネタにされているが、僕はあれでうまく笑うことができない。自分にもそういう節があるからだ。
所詮は恋愛初級者のふるまい、全然うまくいってないことばかりだが、ワンチャンあるのならちょっとくらい思わせぶりな態度をとっておくぐらい良いのではないかと思ってしまう。

ここで問題となるのは、先ほど述べた僕の堪え性の無さ。相手につれなくされた、予定が合わない、1回目会ったときは良いと思ってたのに2回目会ったらなんか期待値が上がりすぎてて違和感、など恋愛を成就させる上で当然のように出てくる障壁にぶつかると、僕は早期撤退をしてしまうのだ。
手っ取り早く承認欲求を満たしたい、性欲を解消したい、甘えたい。その逃げ道はわりと簡単に見つかるので、そっちに逃げてしまう。

そういった堪え性の無さに加え、人からのインスタントな賞賛の言葉や態度で承認欲求を満たしているのが問題なのだろう。手軽にチヤホヤされるだけでいいなら恋愛なんて不要だろ一生やってろ、と自分に思うのだ。

むずすぎる。人と向き合う以上に、真に自分と向き合うのって難しい。ちゃんと自分とはなんたるかという自信をもっていなければ、恋愛においても一生フラフラしているか、相手が見つかっても相手にもたれかかる依存型の恋愛にしかならない気がする。
年の瀬に、痛烈な自己批判の記事で終わるのは謎すぎるが、今恋愛したいモードに突入していて、そろそろそういう展開が訪れるのではとの予感があるから、あえてね。来年こそは、本当に恋愛をしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?