【小説】いい奴 1

「橋田だから、はっしー。中学のときからそう呼ばれてたから。」
はっしーは自己紹介のとき、なんの躊躇もなくこう言った。

自分のあだ名を容易く人に名乗れる人は、なんとなく苦手。自分の見られ方というか、こう見られたいという意識を人に押し付けることに恥じらいがないんだな、と思ってしまう。
中学時代、同学年に「たくみ」という名前が3人いたことから、苗字の川本と合わせて「かわたく」と呼ばれるようになった僕は、同中の友達たちによって高校でもすでに定着させられてしまった不本意なあだ名を払拭できずにいた。

だけど、はっしーにはそう言った押し付けがましさや我の強さは感じなかった。ただ、本当に呼ばれ慣れてるからそう呼んでほしいってだけ。
下の名前の弘斗は、はっしーの持つ柔和な雰囲気とはなんかミスマッチな気がして、確かにはっしー以外にしっくりとくる呼び方がないように思えた。

4月21日金曜、水泳部の部室。新入生の仮入部の初顔合わせで、僕ははっしーと会った。
小さい頃から続けていた水泳以外に入る部活の選択肢がなく、惰性で水泳部を選んだ僕と違い、はっしーは今でも地元のスイミングスクールに通い続けている"水泳ガチ勢"だった。

「え、じゃあ部活始まってもスイミングは通い続けるの?」
「うんそのつもり。部活の時間だけじゃ練習時間確保できないしね。」
嫌味でもマウントでもなく、本当にこの子は泳ぐことが好きなんだなぁってのが伝わる言い方だった。

仮入部終わり、僕とはっしーは一緒に帰った。市内からチャリで通う生徒が多い中、僕とはっしーは隣町から電車で通う少数派だった。
同じくらいの偏差値の高校は近くにあったけど、うちの高校の制服が着たくて受験したということ。ディズニーランドが好きで、年パス持ちで通い詰めるほどのDヲタだということ。ディズニーの曲は「パート・オブ・ユア・ワールド」と「ホール・ニュー・ワールド」しか知らなかった僕に、ウォークマンで好きなパレードの曲を聴かせてくれた。この帰り道の30分だけで、僕ははっしーがものすごく"いい奴"んだなあと思った。

はっしーは誰にでも分け隔てなく優しく、穏やかだった。クラスは違ったから、会うのは部活と、帰り道の時間だけだったけど、仲良くなるのに時間はかからなかった。
小柄だけど、ちゃんと水泳のために身体づくりをしているので、無駄なものが一切ついていない均整のとれた身体つきをしていて、水着姿のはっしーを見るたび、綺麗な体型だなあと僕は思った。中学3年間で無駄にニョキニョキと手足だけが伸びた貧弱な自分の身体と見比べて、時々悲しくなった。

「はっしーって彼女いないの?」
練習が始まるまでの少し持て余した時間、なんとなく部室でダラダラと喋っていた中、同期のすーさんが突然はっしーに聞いた。
「えー、いないよぉー」
「あっ、そうなんだー意外」
「なんかさー、中学からの同級生とか、スイミングの子と長く付き合ってそうじゃない?」
「わかるわかる」
「え、俺そんなモテそうに見える?」
とか言っておどけるはっしー。
高校生にもなると、男子の会話には日常的に下ネタが入るようになる。彼女とどこまでやっただとか、好きなAVのシチュエーションとか。
僕は、自分が女性に性的興奮を覚えないということに薄々気づいていて、みんなと話を合わせるために見たAVで、顔が映らない男の方にばかり目がいってしまう自分を自覚している時期だった。とりあえず、上原亜衣という女優の名前だけ覚えて、なんとかその名前一本で、男同士の会話を乗り切っていた。

はっしーは、そういった下ネタに一切乗らなかった。別に嫌悪感を示したり、興味ないの一点張りをするんじゃなくて、ただ誰かが発した下ネタに場に合わせて笑っていた。もしかして、はっしーも僕と同じなんじゃないかと思ったときもあった。

だけど、違う。同じ時間を過ごすことが増えてきたから、僕には分かる。
はっしーはちゃんと、女の子が好きだ。他の同級生みたいに、下ネタで笑いをとったり、異性にアプローチすることを見せびらかさないだけで、ちゃんと好きな女の子もいるだろうし、家に帰ったらAV女優でオナニーもしている。
だから、僕は1ミリでも恋愛とかエッチとか、そういうこととはっしーを結びつけたくなかった。そういう質問をはっしーにすること自体も、誰だとしてもしないでほしいと思った。

いつから、意識してしまうようになったのかは分からない。"いい奴"すぎるはっしーは、性格の悪い僕には友達としてはやや物足りなかった。
クラスの端っこで目立たないようにこっそり息をしていた僕。部活だけが僕の居場所だった。同じクラスの数少ない友達とは、陽キャの悪口や学校生活というシステム自体への不満を語り合っていた。
一方、出会った人、入ったコミュニティーを全部きちんと大事にするはっしー。はっしーのクラスの、自分たちのクラスだけで通じる公式ニックネームを付け合って黒板や学級日誌にもそのニックネームを書くというノリを、僕は心底イタいと思っていたけれど、はっしーには言えなかった。

「かわたくって色んなことに詳しいよね」
「勉強もできるし、音楽とか映画にも詳しいし」
みんなから浮かないように、何でもそつなく、そこそこにこなすことをおぼえた僕を、はっしーはいつも褒めてくれた。何も褒められたことではないのに。
男子にしては珍しいディズニー好きを、はっきり公言できる方がずっと素敵なのに。なんとなくじゃなくて、ちゃんと真面目に水泳に向き合っている方がよっぽど魅力的なのに。
はっしーをどんどん好きになると同時に、自分の中のコンプレックスが刺激されて、僕はしんどくなった。

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