見出し画像

平和な日常への絶望と甘え〜「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」感想〜

些細な日常の出来事を面白おかしく描いた作品が好き。自分事として共感しやすいし、日常での密かなイライラや絶望も、こうすれば一種のエンタメかも、という視点をくれる作品たちは、生きる糧となる。

一方で、そういった「日常系」と呼ばれる作品たちに宿る欺瞞もあるなあと思っている。多くの作品では、彼らの日常を揺るがす事件は起きない。変わらない日常を、同じ面子で永遠と繰り返していて、これは実はとんでもなくフィクションだったりする。

そう、日常は少しずつ変わっていくし、簡単に崩れる危険性を孕んでいる。どんなに平和で穏やかな環境でも、全員が同じ方向を見ていることはあり得ない。それぞれに人生があって、次のライフステージに行くことで、道を分つ事もあるだろう。また、怪我、病気、事故事件、災害など、簡単に日常を洗い流してしまう出来事は意外と隣り合わせで、そういったものたちと余りにも無縁な日々を登場人物たちが送っている作品は、観ていて急に冷めてしまうこともある。

「デデデデ」を知ったのは4、5年前。確か、サブカル系youtuberのオススメ漫画紹介で知った気がする。「日常✖️SF」と銘打たれ、登場人物たちがいつ崩れ去るか分からないグラグラの世界で変わらない日常を過ごそうとする不安定さが物凄く面白くて、一気にハマってしまった。連載開始時は3.11後の現実の日本を映すようかのような世界観が、その後のコロナ禍以降の世界の現状も予期しているかのような展開で、驚いた記憶がある。

平和な日常なんて、いつだって限定的だ。災害大国の日本では、またいつ大災害に見舞われるか分からない。世界の情勢を見ていれば、日本が戦争や紛争に巻き込まれていないのは運が良いとしか言いようがない状況でもある。そんなギリギリのところで保たれているクソ平和な日常を、僕も含め仕事がダルいとか将来が不安だとか、この先も変わらない日常が続くことを前提に文句を垂れているのだ。

作中での、門出をはじめとする登場人物たちも、8.31以降周囲の環境が色々と変わったにもかかわらず、変わらない日常を続けている、続けようとしているのがなんともリアルだ。侵略者たちの登場によって、日常がひっくり返るくらいの崩壊を迎えることを密かに願ってしまう門出の気持ちも、痛いほど分かる。そして、そんな過去の自分を俯瞰視するようなモノローグは、本当の日常と平和が崩れ去ってしまった後だから分かる、平和の尊さを物語っていて、胸がキュッと締め付けられるのだ。

そんな好きな漫画の映画化ということで、普段はアニメや漫画にあまり詳しくない僕が「原作知ってる勢」として、密かに優越感に浸りつつ、期待半分不安半分で観に行った。最初、やはりどうしても原作で自分が想像した門出とおんたん達の会話のテンポ感とイメージがちょっと違うなーなんて思ったりした。僕のイメージの中での、もっと陰キャ早口ヲタク女子のシニカルな会話の感じからすると、主演2人の声が可愛すぎるの。

…とは最初思ったものの、原作でも驚いた緻密な背景の描き込みとか、キャラの質感とかは本当にクオリティが高くて驚いたし、アニメとして動いて、実際の声で感情が乗るからこそより感動してしまう場面もたくさんあった。原作でも落涙必至のあのシーンも、やっぱり泣いてしまった。

12巻にも及ぶ原作からのエピソードの抽出も、すごく良かったと思う。なんせ台詞量と説明が必要な事柄が膨大なので、色々難しいだろうな〜と思いつつ、原作で大事だと思われるエッセンスがちゃんとうまく編集されていて、すごく見応えがあったし、後章も楽しみだ。

今のところ、僕はありがたいことに、日常を揺るがす大きな出来事に直面することなく、今日まで生きてこれている。自分自身の幸運と恵まれた環境をありがたいと思いつつ、オールウェイズハッピーと全然いってない僕の平和な日常。このまま、平凡だけど平和な人生を歩めたらそれに越したことはないが、いつか、いつか日常の根幹を揺るがす出来事が起こってしまったときに、僕はどうするだろう。どうなるだろう。今の、平和ボケした日常へのありがたみを痛感しながら、新しい日々を生きていくのだろうか。クソ平和で退屈で、些細な絶望も抱えながら生きている2024年の今の記録として、このnoteを残しておこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?