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『正しさ』よりも『優しさ』を


何だか名古屋城関連が炎上しているようですね😥


この件に関して専門家はこのような指摘をされているようです。


「そもそも『完全復元』ではないのに、木造やエレベーターなしにこだわるのがおかしい」といった意見も。


これらの記事を一通り読んで思ったのは

『正しさ』でぶつかり合って『優しさ』がない

というものです。


観光地としての価値を高める為の「こだわり」と、世界標準としての「平等」は本来平行線にならないはずです。

それを対立せしめているのは『主義・主張』であり、「こうあるべき」という『観念』に他なりません。


そうした観念は時に情報不足から発生し、今回の件で言えば、世界では障がいのある人の権利について『障害者権利条約』が締結されており、日本も批准していることを多くの方がいまだに知らないのです😔


障害者権利条約とは

「あらゆる障害者の尊厳と権利を保障するための条約」

で、社会に『合理的配慮』を求めるものです。


その合理的配慮とは

「障害者が社会の中で出会うバリア(困難さ)を取り除くための調整・変更などの配慮」

です。

配慮と言っても

「何でもかんでも配慮されるべき😤」

というものではなく、調整や変更の負担が重い場合はその理由を説明し、『別の方法』を話し合って決めることが求められるのです。


障害者権利条約に批准している日本でも『合理的配慮』がなされていることが「世界標準」として求められている訳ですから、

「エレベーターを欲しがるのはわがまま」

といった判断は世界に通用しません。まして差別用語を容認しているようでは冷ややかな目で見られることになります😰


仮にエレベーターなしで建造したとしても、世界から見れば「日本は遅れている」と見られて観光地として機能しない(インバウンドが見込めない)可能性があります😓

また建造物としての価値も「完全復元」ではないことから、何とも言えないものになってしまうでしょう。


一方で「今まであったエレベーターが無くなるのは差別だ」というのも行き過ぎた考え方です。

エレベーターを無くすのには無くすなりの理由があるはずで、その説明を聞かずして一方的に差別と断じるのも「相手に対する差別」と言えます。


だからこそ「話し合い」が必要で、「わがままだ」「差別だ」と感情的に「言い争う」うちは同じ穴のムジナなのです。


「言い争う」場にあるのは『正しさ』で、
「話し合う」場にあるのは『優しさ』です。


そして『主義・主張』とは『正しさ』の皮を被った「わがまま」です。


そうと見えてきたなら、「同じ土地に住む仲間」として話し合えるのが良いですね☺️



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