新型コロナワクチンの集団提訴と、今からでも遅くない『自律』の生き方
いよいよ来たか、という記事が出ました😮
【記事等の概要】
・新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐり、接種後に死亡した男女の遺族や後遺症を発症した人など13人が、国に総額9152万円の損害賠償を求め、東京地裁に集団提訴した。
遺族らは、ワクチンの危険性を広報しないまま接種を推進したことは問題だと訴える。
・訴状では、国が作成した、ワクチン接種を呼びかける広告に言及。
2021年の5月9日と10日に全国紙などで呼びかけられたワクチン接種の広告には、副反応について、死亡例があることは記載されていない。
また、6月11日に総理官邸のホームページに掲載された、広報には「新型コロナワクチンは、高い効果が認められています」「ワクチン接種によるメリットが、副反応のリスクより大きいため、接種をお勧めしています」と記されている。
しかし原告側は、その根拠が何も示されていないと主張している。
・ワクチン接種の広報として、「新聞広告」、「テレビCM」、「ユーチューバー」を挙げていたが、訴状には、2021年5月9日・10日に厚労省が新聞広告に出した、65歳以上の方向けのワクチン関連の広告が例として挙げられていた。
・この広告について、訴状では、広告が出る前の2021年4月30日の副反応部会資料で、19件の死亡報告があったが「副反応報告で死亡報告が相次いでいる事実は無視され、報告されていない」と訴えている。
そして政府は随時死亡人数などの発表や報告を出していたが、この広告には死亡したことが書かれていない。
・訴状には、政府の動画による呼びかけについても「被害を広げた」と書かれていた。
・具体的に訴状では、岸田首相の3回目のワクチン接種の呼びかけが書かれており、この動画については「副反応報告など不利益情報についてまったく触れられていない」としている。
・さらに訴状には、当時のワクチン担当相の河野デジタル相と人気ユーチューバーの動画についても書かれていた。
・2021年6月24日に、ユーチューバーの「はじめしゃちょー」と河野デジタル相が対談している動画。
(2024年7月31日に御本人より動画が非公開となりました)
河野デジタル相が
「アメリカで2億回打ってるんですけど、ワクチンで死んでる人は1人もいない。そんなに心配することはないです」
と話したことについて、訴状では、収録前日の2021年6月23日に行われた副反応検討部会で「6月13日までの累計接種回数は2368万5319回のうち、死亡報告数が254件。
そのうち『関連あり』として報告されたものが20件」と報告されていて、アメリカでなく、日本の現実の接種を答えるべきで、「大臣による隠蔽(いんぺい)と評せざるを得ない」としている。
・このコロナワクチン集団訴訟について、17日午後4時過ぎに林官房長官は
「本日、新型コロナワクチンに関して訴訟が提起されたことは、報道で承知をしておりますが、訴状が届いていないと承知しておりまして、コメントは差し控えます。
新型コロナワクチンに限らず、ワクチンについては、一般的にワクチンの有効性のみならず、ワクチンには不可避的に生じるリスクがあること、ワクチンによる健康被害につきましては、予防接種法に基づく健康被害救済制度があることなどについて、周知を行っていると承知をしている」
とコメントした。
・被害を訴える原告側の青山弁護士は、集団提訴に踏み切った理由をこう述べた。
「国民はワクチン接種について、自分自身で決めるための情報を与えられないまま接種を決め、そしてある方は長引く後遺症に悩まされ、ある方は数日のうちに突然の死を迎えたのです。
国がこの3年間続けてきた、新型コロナウイルス接種に関する、国民に対する数々の不正義を正すというのが、今回の集団訴訟の目的です」
【いよいよ始まる国への集団提訴】
これまでコロナワクチン関連について方々で幾度もお話ししてきましたが、いよいよ国を相手に集団提訴する事態になりました😮
これで風向きが変われば…とは思うのですが、それこそこれまでお話ししてきたように、その背後にいる存在の大きさを思えば、コロナワクチンを薬害と認めさせるのはかなり難しいでしょう😶
この集団提訴がどのような決着を迎えるかも重要ですが、こうしてコロナワクチンの問題点がメディアを通じて報道され、国民一人ひとりがコロナワクチン及び『コロナ禍』について意識を持って調べて、学びを得ることがとてつもなく重要です👨🏻🏫
なので「訴訟の結果」を待つだけではなく、こうした動きが「今の日本」で起きている事実を広めていくこと。
一人ひとりが自分で調べて、考えるきっかけを得ることが大切なのです。
【医療・介護・福祉分野はどう動くべきか】
2024年4月現在でも変わらず感染症対策を推奨される医療・介護・福祉分野では、今回の訴訟をどう捉えて、どう動けば良いのでしょうか。
コロナ禍における最大の認識弊害は
「感染するのは誰かのせい(他責思考)」
であり、ここが変わらない限り今回の訴訟も
「一部の人が何か言ってる😑」
「国からお金をもらっておいて、更にもらおうとしているのか?😠」
くらいの認識しか持てないでしょう🥲
ウイルス感染を「誰かのせい」にしているからこそ『感染症対策』が徹底され、医療機関や介護施設等ではいまだにマスク・ワクチン推奨がなされている訳ですから、ここの認識を変えていかない限り
「病院・施設側が責任を取らされる構造」
が改善されない為、状況は変えようがないのです😞
今年に入ってコロナワクチン後遺症に関してのセミナーやボランティアに参加してきましたが、医療従事者が口を揃えて言っていたのが
「『ワクチンを疑う』という発想が全くないので、ワクチンが害を及ぼすという意見をデマ(誤情報)と捉えて自分で考えようとしない」
というもの。
医師、看護師になる過程で現代医学による教育を受けてきた彼ら彼女らは、ワクチンや薬を受け入れる前提で医学や看護学を身につけるため、それらを疑うことは「異端」であり「非常識」になります。
仮に医療現場でワクチンや薬の害と直面することがあっても、それは「個体差」であり「イレギュラー」と脳内で処理される訳ですから、「運が悪かった」くらいの認識にしかならないのです😔
故に、「自分で考える医師、看護師」が現場にいるかいないかで、取るべき対応が大きく異なります。
①「自分で考える医師、看護師」がいる場合
もし現場に自分で考える医師、看護師がいる場合、「事実から湧き上がる疑問」としてコロナワクチンについて質問してみると良いでしょう。
例えば
「2022年、米メジャーリーグでは観客席の誰もがマスクをしていなかったのに、感染者数の割合はマスクをしていた日本の方が多かったのは何故なんでしょう?」
と投げかけてみれば、自分で考える人であれば自分で調べて情報を整理して答えてくれるでしょう🔍
このような「ひっかかり」を何度か投げかけていけば、自ずと「これはおかしい」と気づき、現場の空気感を変えてくれるかもしれません。
海外の論文等に目を通せば「コロナワクチンの世界認識」に触れることにもなりますし、世界と日本の立ち位置、関係性にも意識が向くようになるでしょう。
②「自分で考える医師、看護師」がいない場合
このケースの方が圧倒的に多く、国や専門家の出した情報を鵜呑みにする、あるいは「自分が得をする側」にいる場合は、下手に関わろうとせず距離を取ることをお勧めします😥
自分で考えない医師、看護師に対して「気づき」を与えようとしても、「伝わらないものは伝わらない」という結果になるでしょう。
気づくどころか自分の「正しさ」をこれでもかと伝えてくるでしょうから、お互いが傷つくだけに終わるでしょう😭
それほどまでに、今の社会は『正しさ』に偏っていて、情報によって住む世界が異なるパラレルワールドに差し掛かっているのです😔
お互いが傷つかないようにするためにも、距離を取る。
自然の摂理に反した生き方を続ければ、その人にとって必要なタイミングで否応なしに気づくことになるでしょうから、それまでそっとしておくのが吉です。
それよりも自分の身を守るため、あるいは自分から離れられるようになるため、生きるための知識や技術、収入源を手に入れることに注力していきましょう💪🏻
【まとめ】信じずに、疑って考え、自分で選ぶ『自律』の生き方を
今回は「新型コロナワクチンの集団提訴」についてお話ししてきました。
厚生労働省が「コロナワクチン後遺症」の存在を認めない限り、この集団提訴を薬害として成立させることは難しいでしょう。
「存在しないものはない」訳ですから、「訴状が届いていない」と、のらりくらりとかわされて終わる可能性も十分あります🫥
そうなれば、先に紹介したパンデミック条約やレプリコンワクチンの普及、または「地方自治法改正」によって、国民全員が「ワクチン後遺症」と隣り合わせの生活を余儀なくされることになるでしょう😰
今回のお話は「どこか遠い世界の話」ではなく、「自分自身の話」であって、他ならぬあなた自身がワクチン後遺症になる可能性が日に日に高まっている、ということです。
そうならないために、広められるところから今回のニュースを周りの人に広めていくこと。
「自分で考えられる人」を育てるか、側にいること。
側にいないなら、まず自分の身を守って変わるタイミングを待つか、離れられるように力をつけること。
こうした『自律』がとてつもなく重要となります。
2024年は日本にとっても、日本に住む僕たちにとっても明暗を分ける重要な年です。
ワクチン接種の弊害について一人ひとりが向き合うことで、流れは変わっていきます。
最後に重要なことをお話しします。
この手の話をすると「0か1か」の二元論で考える傾向にありますが、世の中は「0も1もそれ以外も」の多元論でも成り立っています。
今回コロナワクチンの集団提訴や諸々の問題を取り上げましたが、だからと言って「それらが絶対的に正しい」あるいは「絶対的に間違っている」ということではないのです。
もし「0か1か」といった「絶対的かどうか」について悩む場合、それは「どちらを信じたいか」という信仰であって、考えていることにはなりません。
それだけに『正しさ』信仰に偏ってしまうと多様性を見失って、やがて「絶対的なもの」に身を委ねて『自律』を手放すこととなります😱
その有様をして「コンニャクのお化け」と称したのが日月神示の預言だった、とも言えます。
2020年のコロナ禍から何を学ぶか。
これまでと同じになろうとしては、何のための数年間だったのか、その意味を自分から手放すことになります😢
どのような情報も、もちろんこの記事も鵜呑みにして信じようとせず、まずは一旦疑って、自分で調べてみて、考え、その先で自分で選ぶこと。
そのような自責思考が、これからの人生の明暗を分けることになるでしょう。
今回もここまで読んでもらい、ありがとうございます☺️
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