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【レイキの歴史 ①明治・大正】

前回までで「レイキってなに?」「どういうことができるの?」というお話をしてきました。
 
投稿を探すのも大変ですので、noteのマガジンでまとめていきますね😊


さて、今回から数回にわたって「レイキの歴史」についてふわっとお話ししていきます。
 
どんな事でも「成り立ち」を知っていると面白さが膨れ上がっていきます。
「そんなことがあったんだ〜😆」と思いながら読んでもらえると嬉しいです。
 
 
【手当て療法】
 
 
実は江戸時代以前から、伝統的に患部へ手を当てて治療する『手当て療法』が普及していました😳
 
イメージとしては「『痛いの痛いの飛んでけ〜』のちゃんとしたバージョン」と言えます。
 
 
【霊子療法】
 
 
現在のレイキ療法の形態にもっとも近いのは、太霊術師と言われていた田中守平さんが行なっていた『霊子療法』です。
 
「霊子」とは、守平さんが1905年に恵那山で90日にも及ぶ断食した際に感得した『宇宙万有の根本実体』を指します。そしてこの霊子を用いて病気治療などを行なったと言われています。
 
ちなみに下山後、日露戦争中の海戦である「日本海海戦」の勝利や日露講和条約締結などを予言し的中させた、という逸話もあるようです。本当だとしたらすごいですね😮
 
 
【初めて「靈氣」という言葉が使われた】
 
 
その後佐藤信淵さんという方が『佐藤信淵家学大要』という本を1906年に刊行されました。
 
その中で信淵さんは「天地と人とが共に靈氣から生まれたことで一つにつながっている」という伝統的な自然観を、西洋天文学の知識によって補強し、社会政策や倫理的な実践の土台にしようとしました。
 
この時初めて『靈氣』という言葉が使われた訳ですね☺️
 
 
「あらゆるものが物質の最小単位である素粒子で構成されている」という量子力学に基けば、素粒子で構成されているであろう靈氣から「天地」と「人」が生まれたというのも、本質を突いた言葉に見えますね。
 
玉利喜造さんはここに生物学的な知見を取り込んで「靈氣」説を人間の身体内部の機構にまで通底させました。
 
 
こうして当時の治病と修養を兼ね備えた「精神療法的実践」の理論的な基盤が作られていくことになります。
 
 
【大正時代では】
 
 
さらに大正3年頃には川上又次さんが「靈氣」を使って治療していたこと、大正8年に「靈氣療法とその効果」を出版して、初めて「靈氣療法」という言葉を使ったとされています。
 
 
そして米国哲学博士の鈴木美山さんという方が、クリスチャン・サイエンスなどの影響のもと『哲理療法』を提唱し、大正時代に大流行しました。
 
 
美山さんが大正3年12月に発刊した「健全の道」という道歌が、次回お話しする
 
「臼井式靈氣(現代使われているレイキの祖)」
 
を感得した臼井甕男さんの『五戒』にそっくりだ、というところで今回の話は締めくくらせてもらいます☺️

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