8月20日 共感性の中で生きる

昨晩は妻と話しているうちに寝るのが1時になってしまった。常日頃から夫婦のコミュニケーションを取ることは、日々燻る火種を小さいうちに潰していく大切な作業である。おかげで今日は日中眠たくなんだか体調も悪い。

夜の過ごし方。男一人であったら早く寝る。活力は温存する。酒は飲まない。テレビは見ない。これで良い。この反対の生活をした時と比べて翌日の身体と頭のキレが段違いだ。しかし夫婦でこれをやると、自分の拙い経験則から言って、早晩諸々うまくいかなくなるだろう。

女性は共感性の中で生きている。それを常に確認している。

こんなことがあった、あんなことが大変だった。こんなことができたら良い。それに対してワタシはこう答えてしまいがちだ。「大変だったね。でもそれはできない。」これは失敗パターン。成功パターンはこう。「大変だったね。それ良いね、俺もそれやりたい。」本当に実現できるかどうかではなく、同じ価値観でいるのかどうか、反対なら反対としても大筋が一緒なのかどうかというところをテストして確認していると言っても良いかもしれない。これを間違うと、どんなに一日頑張りを積み上げて職業人の他に家族人としての信頼を得たとしても振り出しに戻るどころか一ヶ月分くらいの努力を平気で失いかねない。

テクニック的な共感が大切というわけではない。女性は過去からのエピソード的な繋がりを大切にするので、一緒に歩んできた日々の確認作業を毎日しているのだ。大きな失敗をしてしまうとその後に取り返そうとしても基本的にはチャラ(埋め合わせ)にはならない。こんな失敗したよねというエピソードが一つ追加される。でもそれで良いと自分は思っている。

職業として特に若手は大きなストレスに晒されることは間違いない。そこに家庭人としての成長はない。学生時代からの積み重ねがあってどちらも上手くできればそりゃ良いのだろうけど、そうもいかないだろう。職業人として優れていても家庭人としては最低最悪というのはあり得る。

自分は長期出張や夜勤が長くあった。社会人になってからすぐに結婚と出産もあったので、妻と二人で過ごす時間は思っていたよりも短い。男不在の家庭は、家族みんな不安定になる。家庭での失敗を笑われることとは比べ物にならないほど、悲しい出来事だ。家不在のうえ、家庭での失敗エピソードなどワタシは枚挙に遑がなく、世の男性諸氏も同じような方がいるのではないだろうか。まあそれもまた良き。最初は失敗が苦々しくも、いづれ自分でも笑い飛ばせるようになる。

職業人と同じように、家庭人としても続けてコツコツと精進するが良き。



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