002 世界で一番、着陸が難しい空港|Buthan
スワンナプーム空港で待ち受けていたのは白い雷竜だった。
手に玉を握りしめ、硬い鱗に覆われた肢体をうねらせて、飛び立つその時を今か今かと待っている。幸せの国へと誘うこの白い雷竜は、一体どんな空を魅せてくれるのだろう。
Druk Yul|雷竜の国
日本人がJapanを『日本(日出ずる国)』と呼ぶように、ブータン王国の人々も自国Bhutanを『ドゥック・ユル(雷竜の国)』と呼ぶ。
ブータン唯一の国営航空会社Druk Air(ロイヤルブータン航空)の尾翼には迫力のある雷竜をあしらった国旗が描かれている。
日本からブータンへの直行便はなく、アジア間のいくつか就航路線のうち、タイで乗り換えてインドのコルカタを経由するルートをとった。スワンナプーム空港からブータンのパロ空港まで、コルカタでのトランジットを含めておよそ4時間半。
外国人旅行者にとってのブータンへの空の玄関口は、世界で一番着陸が難しいと言われているパロ空港だ。
パロ空港
パロ空港のたった1本の滑走路と小さな建屋は、四方を山に囲まれた狭い谷間に埋め込まれている。この地形と空間的な制約に加え、パロ空港には管制施設が存在しない。明るい時間帯のみ飛行となるため、この地でパイロットの神業を繰り出すためには恐らく猛禽類のような視力が必要だろう。
飛行中、視界の近景と超遠景をスケーラブルに捉え、超高速でピントを調整する。それができれば、精度の良い着陸が実現するのではないだろうか。
世界一〇〇な空港
しかし「世界一〇〇な」とか「日本一〇〇な」という形式の似たような評価を受けている空港は他にも存在する。
ならば「パロ空港に着陸できるパイロットは世界の如何なる空港にも着陸できる」とブータンが自負する、その背景が気になるところだ。
地形や設備以外で飛行に影響する要因として、地域特異的な気象条件が思い当たる。
ブータン王国が「雷竜の国」と称される由縁
国の名として掲げるくらいだから、ブータンと雷が無関係ということはまずないだろう。6〜8月頃のブータンは雨季(モンスーン)にあたる。
Monsoon|季節風
語源はmawsim(アラビア語で「季節」の意)
・アフリカ、南米 :雨季の嵐や大雨
・インド、東南アジア:雨季そのもの
南アジアに位置するブータンは、北に中国、南はインド、バングラデシュに挟まれている。夏場にシベリア高気圧が弱まってできた西アジアの低気圧地域に向かって、インド洋やオーストラリアあたりから南西季節風が吹くようになる。
6月にはインド南西部から強まり始め、湿気を大いに吸収しながら徐々に北東へと広まってゆく。これが西アジアにおける長い雨季の始まりである。
日本でも近年はゲリラ豪雨が多発し、被害がより目立つようになってきた。そんな中、都会生活を離れて就農するという話題が増えつつあるが、その移住者たちが自然界の一員として自然現象の影響というトレードオフを「恵みの雨」として受け入れることができるかどうかは、一つの大きな心理的ハードルではあるだろう。
自然現象への畏怖や驚異
ブータンにおける雷も「人間が太刀打ちできない自然現象への畏怖や驚異」の象徴だろうかと考えていたところ、以下のような記述を見つけた。
案の定、度重なる自然災害に翻弄されているらしいことが分かる。
けれど、こういった通信機器への影響を懸念する時代が到来するよりもっと以前から、ブータンに生きる人々は「雷」という自然現象に畏怖と驚異の念を抱いてきたに違いない。
ブータンの神話と竜
神話というものは、その国(あるいは世界や集落)の成り立ちを語る伝承と、偉人の活躍を描いた英雄譚に大別される。ブータンの成立と国名の由来を伝える神話では、以下のように雷を竜に見立てて語られている。
これはチベットの南方に新たな僧院を建てるに相応しい場所を探す中で、仲間と共に議論をしていると空に雷鳴が響いた、というシチュエーションでのエピソードだ。
つまり天(空)、竜(雷)、そして僧(チベット仏教)、この3つがブータンの始まりだったことを示唆している。
何せブータン王国は「天空の国」だ。
ブータンの国土は標高 300 〜 7,000 mに跨っており、高低差が非常に大きい。この山岳地帯に在るパロ空港のあたりで標高 2,300 mほどで、これは富士山の五合目の高さに匹敵する。
そして周囲は 5,000 mを越えるヒマラヤの峰々に囲まれている。
つまり空が近く、雷の脅威をありありと感じる土地柄に居て、逃れようのない畏れを抱きながらも、恵みの雨の到来を祈ったのではないだろうか。
その精神が、ブータン神話の最後の一文に集約されているように思われる。
Gnam Druk Yul |竜と天空の国
ブータン神話に登場した『ナム・ドゥルック(天に舞う竜)』とは、ストーリーからしてチベット語に由来するものだろう。
gnam *:天、空
brug * :雷を引き起こす天空の蛇
*チベット語をチベット文字で表記するのは難しいので、上記のように拡張ワイリー方式(チベット文字綴りをラテン・アルファベットに翻字する方式の一つ)で表記した。
この方式ではBrug Yulと表記して「ドゥク・ユル(竜の国)」と読む。
一方で、国の正式名称のラテン文字表記は "Druk Gyalkhap" だが、 "Druk Yul" という略称を使われることが多いという。
"brug" :文字綴りからの転写(ワイリー方式)
"druk" :発音に基づく表記(ラテン文字表記)
雷竜の腹の中にて
ツナとマッシュルームのパスタを滞りなく腹に詰め、食後の珈琲を受け取ったところで、我々を腹に詰めた雷竜が激しく身震いした。カップの縁をぐるりと走った珈琲は際どくも事なきを得たが、どうやら随分と気流が乱れているらしい。
乱気流を駆け抜ける雷竜
客席の間をCA達が慌てて退散していって間もなく臨戦体制に入った。
志半ばで取り残された食後のトレーを前にして、座席に張り付けとなった身体は落ちてゆく中で存分に浮遊感を味わっていた。リアルに急降下する雷龍の中では身体を支える座席も壁も床もそのすべての存在が無意味であった。
インド北部の険しくも気高いヒマラヤ山脈から洗礼の風でも吹いているのだろうか。我らを孕んだ白い雷竜はうねりをあげて乱気流の中を突き進んだ。
空の路で雷竜の国へ至ることができるのは、この白い雷竜だけである。
トランジット中に起きたドタバタ劇
経由地コルカタでのトランジットは、搭乗者を待つ30分ほどの休憩だった。
回収されずに待ちぼうけをくわされていた昼食のトレー達は、コルカタへの着陸態勢へ入るまでの束の間にものすごい速度で連れ去られた。時間の倒錯が起こっているのか、感覚がかき乱されて訳がわからなくなっているのか、それをポカンと眺めている間にコルカタに着いたよな気がしてしまう。
ここからブータンまでそう遠くはないとはいえ、先ほどの揺れのこともある。皆考えることは同じで、トイレの前に長めの列ができている。
しかし2つあるトイレうちの1つは一向に空く気配がなく、やはり先ほどの度重なる揺れが原因で気分の悪くなった人も居たのだろうと心配していたら、CAの一人がやってきて何か気づいたような顔で列を見渡した。
「あら? まさか、あなた達、みんなトイレ待ち?」といった感じで。
現王妃のようなキリッとした顔立ちに一同の視線が集まった。皆で肯定の意を伝えようとウンウンと頷くと、あーゴメンゴメンといった風に開かずのトイレ個室へ向かってゆく……と思いきや真っ直ぐに使用中の個室へ向かい鍵を開けようとするので、並んでいたメンバーが慌てて止めに入った。
どうやら片方の個室を先ほど怒涛の勢いで回収した昼食のゴミ袋の一時的な置き場としたままだったらしい。なんとも忙しそうな空のアテンドだったのでこちらとしては大変な仕事だなと思うけれど、彼女は「さっ空けたよ〜どうぞ〜」といった風に極上の笑顔を振り撒きながら颯爽と去っていった。
これによって、トイレ前の行列が一気に解消されたことは言うまでもない。彼女は雷竜の国より現れた救世主として、皆の心に刻まれた。
着陸態勢
コルカタからの離陸は実にスムーズで、その後は特に気流の乱れもなく白い雷竜の乗り心地は快適そのものだった。
いよいよ着陸態勢に入るのを前にして、緑豊かな集落が眼下に広がった。なんとなくむき出しの乾燥した褐色の光景を勝手に想像していたが、山に囲まれたこの土地は、非常に水に恵まれた印象を受ける。
雷竜が旋回する最中、窓の向こうで羽根板の角度が微調整されている。再びの浮遊感と共にぐんぐんと滑走路へ向かって滑り込む。そしてそのまま着陸……することはなく、再び空へと飛び上がった。
着陸に成功するまで何度もトライするのだろう。
小さな竜体に積載可能な燃料には限りがあるから、コルカタでのトランジットの間に補給していたのかもしれない。
幾度となく竜に乗っている人にとっては、このようなことは珍しくないのだろうか。少なくとも私はこれが初めての経験だった。
高度を上げて旋回する竜体が再び美しい緑の集落の姿を見せてくれた。国旗が刻まれた羽根が空を切り、仕込まれた板の角度は繰り返し微調整される。
腕の良いパイロットだったのか、この時は2度目のトライで無事に着陸できた。普段は着陸後の周囲の雰囲気の変化で目覚めるまで眠っていることの多い私も、この着陸劇の臨場感はしかと記憶に刻み込まれた。
この時の私の脳内は、大きなモニターを前にしてロケットの打ち上げを固唾をのんで見守っていた皆で成功の瞬間に大歓声をあげて喜びあっている、という風な非常におめでたい状態だった。
現実にはアドレナリンが駆け巡るのを感じながら両手を固めに握りしめ、涼しい顔でベルト着用サインが消えるのを待っていただけだったけれど。
いよいよ白い雷竜から降り立ち、久しぶりに地上を踏みしめた。
端から端まで少しの時間で行って帰ってこれるほどのたった一つの滑走路周辺で、誰もが周囲の環境に目を見張っている。そして空が近い。まるで雲の中にある雷竜の住処に降り立ったかのようである。
こんなにも滑走路のあちこちを自由に歩き回って良いものかというくらい、誰もが其処此処を彷徨いて、滑走路が本当に谷間にあることを体感した。
距離、角度、速度、風向、風力……
ただでさえ様々な要因が絡む上、地域特有の空気の質や雷雨の可能性まで孕んでいる。おまけに平面的に狭いだけではない。
谷間であるということは、空間に満たされた空気が竜の侵入によって押し除け流され、それによって新たに生じる乱れた風をも身に受けることとなる。
四方を山に囲まれた唯一の滑走路と一仕事終えて佇む雷竜の姿は、ブータンの地を初めて踏んだ者の心を魅了して、中々放そうとはしなかった。
興味の琴線に触れたあれこれを抽出・精製し、第一の人生を編纂しています。Festina Lenteの信条に則り、「もっとやれ」というサポートによる加速度の変化はありませんが、私の心は満たされます。いつもご覧くださり有難うございます。