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関わるべき人

以前
『人の好き嫌いの話』
をしましたが、
もう一段冷静な感覚を掴んだので
その続きを書いていきます。
 

 
僕たちは直感的
— 一瞬のうち — に、

「この人とは関わるべき」
「この人は人生に不要」

ということを
察知しているんじゃないか
と考えたのです。

ちなみに
「この人は人生に不要」
という字面は
なんかひどいですが、

“バイキングに行ったら
 好みじゃない食べ物があって、
 お皿に取らなかった!”

くらいに特別な悪意が
込められていない
ドライなものです。


だって僕たちが
人類全員と物理的に
関わろうとしたら、
あっという間に
人生を終えてしまうでしょう。

バイキングで全ての料理を
食べることはできません。

むしろ「嫌いなもの」が
はっきりとしていた方が、
「好きなもの」もはっきりとして、
その制限時間を迷わず、
美味しく楽しむことができます。


心のことを学び出すと、
「人全員を好きになること」
が正しく思えてきます。

でもそうじゃなくていい、
嫌いでも愛。

「許可」(ゆるし)と
「嫌い」(不快)は共存していい。


「関わらなくていい人」
がはっきりするから、

「関わるべき人」
もはっきりする。

時を大切にできる。


「仕事」とかも一緒。

あなたに相応しくないもの
(環境・ペース・形式)は、

肉体的にか精神的にか
ストレスを感じて“くれる”ように
なっているはずです。

だからこそ、
「私はこれ!」
というものがはっきりと分かる。


食べ物の好き嫌いや食べ残しは、
(日本の)マナー、
しつけじゃ怒られます。

でも、
人を好きになるようにその感覚は、
あなたの未来をはっきり
見せてくれるメッセージ。

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Matty
 

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