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20代のヤングケアラー

 若くして、介護や家事を担う中学生や高校生の問題。

 これに加えて、「経済的なサポート」という要素を加えたら、この令和においても、実はたくさんの、“ 20代・社会人のヤングケアラー ” が存在するのではないでしょうか。

「ヤングケアラー」とは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと。責任や負担の重さにより、学業や友人関係などに影響が出てしまうことがあります。

こども家庭庁



20代のヤングケアラー


 上記の一般的な解釈に加えて、

 ◆ 幼少期から20代までに、「経済的な配慮、我慢、気遣い・サポート」を、親や家庭に対してしてきた人。

 ◆ そのような理由から、平均的な(それがどこにあるかは分かりませんが)同世代よりも苦労している20代。

 という要素も含めるのなら、実は少なくない、全体の4割くらい?(僕の肌感覚)が、「20代のヤングケアラー」なのではないでしょうか?

 実はこれ、かつての僕も当てはまります。

 40代で、僕を産んだ父は、その後リストラにあい、実家には借金があることをいつからか知っていました。

 3人の兄弟のうち、大学進学したのは僕だけ、であるから、「能力のある自分が、なんとかしなきゃいけない」と、たいていの同世代よりは、強いプレッシャーを抱えていたのではないか?と思います。*

 * 大学卒業時点で、父親が何歳になるか?の計算はかんたんですよね?

 周囲の友人にも、かつて付き合っていた人にも一切言い(え)ませんでしたが、そのような理由から、20代の前半は恐ろしいほどお金に執着して活動してきました。(奨学金のこともあります。)

 このような、“ 問題が見えないヤングケアラー ” が、実はたくさんいるのではないでしょうか。

 おもしろいことに、「同質の人」というのは、言葉を深く交わさなくても、「この人苦労してるな」というのがヤングケアラー同士、分かるものです。

 今思うと、大学生の時にも、サークルメンバーや、ゼミのクラスメイトにも、「ヤングケアラー」がいました。ちょっとした発言や、日常の行間に、それは見えます。

 「姉が⚪︎⚪︎で…」「実家の工場が…」

 “ 自分と同じ経験・痛みが、見える

ヤングケアラーの親もヤングケアラー


 これに関連して、もうひとつ気づいたことがあります。

 それは、僕らの親(世代)もまた、「ヤングケアラー出身」なのではないか?ということです。

 いえ、きっとそうです。

 僕らの親世代は、昭和・戦後世代です。
 (あなたがZ世代であれば、それよりも少々若い・新しい世代になります。)

 現在50歳以上程度の親であれば、大抵の人が、「家事を担い、経済的な我慢を当然のようにしてきた」のではないでしょうか?

 それは全体の6〜7割以上(肌感覚です)だったわけですから、「ヤングケアラーだけど多数派」な時代だったわけです。

 そうして、平成が近づいてきて、日本全体が豊かになってきた。

 もう、「ヤングケアラー哲学」は不要になりつつあったのにもかかわらず、ここの時代の移行(豊かな精神へのシフト)がうまくできなかった人たちが、いわゆる「毒親」となり、毒親の元で、繊細な人、賢い人、気遣いのできる人たちが、HSPやエンパス、ギフテッド … つまり「ヤングケアラーとしての20代」になるのではないか?

 という直感が、ふとよぎりました。

 “ 自分が育った時のように ”、子供(僕ら)にも、不健全な環境や価値観、言葉・感情を、無自覚に悪意なく、押し付けてしまう。。


 親世代(50歳以上)で、「ヤングケアラー出身」であっても、それが多数派なわけですから、平成(前半)を生きていく上で、あまり障害にならなかったと思います。

 これは《昭和からの平成》への変遷。

 でも、僕ら世代やZ世代で「ヤングケアラー」である(あった)ことは、全体の4割程度でしょうか?少数派となりますから、非常に苦労します。

 こちらは《昭和(の家庭環境)からの令和》だから。

 それはまるで(あえて言わせてください)、毒の湧いてくる沼地で生まれたようなものだから、頑張っても頑張っても、そこには毒があるんですね。

 周囲の考えやあり方、方向性やスピード感と同じようには生きられません。理解されにくい(言いにくい)問題を抱えている。

社会を矯正していくヤングケアラー


 僕の仮説になりますが、僕らのような存在は特に、「メディアが流す社会の基準」「現実的な課題を抱えた人たち」との違い・ギャップを、深く深く理解していますから、そのはざまを埋める、満たす、つなぐことが、使命になるのではないでしょうか?

 それは、「どんな職業になるか?」は全く関係ありません。*

 大切なことはそのような『目的』です。

 僕らの過去、親世代のたどってきた背景を知ることで、それらをあったかく受け止めて、たいていの人が持っていない大きな器で、この社会に参加していくのが、僕らの天職ではないでしょうか。まずは自分を最優先しながらね。

 * 本質的には、カウンセラーやセラピスト、スピリチュアリスト的な役割を持つと思います。


 「高いゴールに向かって鞭打って、限界に打ち勝っていく」

 それが人生なのだと僕は生きてきました。

 30代になって思うのは、反対に —

 「誤った価値観や常識が、本来の姿と混ざり合うように、本当の声を拾い集めていく」

 ってことです。

 Matty



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