<サンタクロースの秘密>

<サンタクロースの秘密>

 (これは2001年のクリスマスに書いたものです)

 あなたは何歳のときまでサンタクロースを信じていましたか。そして大人になった今はいかがでしょうか。

 私の上の子供は小学校5年生になります。友達から入れ知恵されたのか、去年くらいからサンタの存在に大いなる疑問を感じたらしく、さかんに「本当はパパがサンタなんでしょう」といっていました。去年のクリスマスイブの夜は、「サンタの正体を見破ってやる」といって、寝ないで頑張っていました。しかし、小学生の彼よりはるかに狡知(こうち)にたけたサンタクロースは、彼がやがて監視に疲れて、ウトウトとした一瞬のすきを狙って出現したようでした。

 今年もさかんに「本当はサンタなんかいない」「親がプレゼントを買って来るんだ」とかまをかけてきましたが、私は親としての暗黙の守秘義務のために一切その発言を無視してきました。

 いまは9割方は「信じられない」に傾いているようですが、残り一割ではまだ信じている部分があるようです。

 あなたはこういう疑問を感じたことはありませんか。なぜ親はサンタクロースがいるといって純真な子供たちを騙すのだろうか。いつかはばれてしまうのに、最後の最後までとぼけ続けるのはなぜだろうか、と。

 何世代もかけて、世界中の親たちがサンタの実在に関する情報操作をめぐらし、共犯関係を持つ続けようとするにはわけがあるはずです。そこにはサンタクロースの存在をめぐる大きな秘密がかくされていると思います。

 親たちはサンタクロースの実在をめぐって、けっして子供たちをからかってやろうと思っているわけではないでしょう。逆説的ですが、子供たちを大切に思うからこそ、子供たちを騙し続けようとするのです。なぜ親たちは、そんな手間のかかることを好きこのんでするのでしょうか。

 それはきっと子供たちの心を大切にしようとするからなのだと思います。

 子供の心は夢やファンタジーを糧としています。けっして元素記号や 統計学的な数値によってではありません。

 子供の心はア・プリオリ(経験に先立って)にサンタクロース的なものの実在を信じています。親たちはただそれを、無意識にくみ取って、その心の真実を守ろうとしているにすぎません。その真実が果たして事実であるかどうか、それを知ることを、子供の心の成長に任せるべきであることを直感的に感じているだけです。

 ある意味でサンタクロースは実在します。それは赤と白の派手な服を着て、ヒゲを生やした正体不明のヨーロッパ人の男性としてではなく、私たちが親になるときに、誰からも命じられぬまま、ひそかにサンタクロースという役を心のなかで引き受けることのなかに生き続けています。この地上の不思議は、本当にサンタクロースが実在するかどうかよりも、そういう親と子の心の働き合いの中にあると思います。

 私があからさまな性教育に、ほのかな疑問を感じるのもそういうところにあります。私たちの先祖たちが、コウノトリが赤ん坊を運んでくるといい続けてきたのも、それはただ事実をごまかそうとしてきたのではなく、子供の心の成長に従おうとしてきたからだと感じます。その心の真実に逆らって、ありのままの事実を教えることは、ある時期までの子供には傷つきの体験となってしまうかもしれません。

 子供の心はある時期まで、眼にみえない保護衣によって、傷つき体験から守られていると思います。

 つまり現実と直面することが、子供の心に とってかならずしも良いこととは限らないのではないかと私は思っています。乳児はその一日の大部分を、うとうととまどろみながら過ごしていますが、子供の心にとって、その「まどろみ」こそが、心を育てる大事な保護衣であり、培地であると思います。それは心の機能としては、成人してからの覚醒した思考とは異なった、「夢想」を育てるものとしてあります。

 子供のとき、親にきつく怒られて、こんないやな親は本当の親ではなく、本当のやさしい親はどこか別の世界にいて、自分は間違ってもらわれてきたのだと、甘く夢想することはなかったでしょうか。

 例えばそれが子供の心を、傷つき体験から守ってきた保護衣の機能だったと思います。そうした心理的に安全なまどろみの中で、ぼーっと夢想にふけることこそ、心の成長にとって重要なものはないと感じます。それはジグムント・フロイトが考察したように、神経症の起源にもなるものですが、人間の精神が現実と密着した本能のくびきを離れて、宇宙の神秘へと旅立つことができるのも、その夢想する力があればこそだと思います。

 サンタクロースの実在に疑問を持ち出す時期というのは、子供時代の終わりでもあります。それと性の事実を知る時期とは、ほぼ重なり合うような気がします。

 私はそれを性教育という名目で、大人たちのがさつな指先で機械的にやってほしくはないと思います。事実を知ることは、心の保護衣を捨てて、思春期という荒野に一人で旅経つ準備が出来てからでも決して遅くはないのではないでしょうか。その時期は一人ひとりの子供によってもきっと微妙に違うことでしょう。

 サンタクロースを信じていた頃のあなたと、やがて成長し、心の保護衣を脱ぎ捨てることが出来るようになった頃の、つまりサンタクロースはいないと知ったときのあなたとを較べてみてください。それはあなたの心の成長にとってどんな意味があったでしょうか。

 よろしかったら、あなたのサンタクロース体験を教えてください。あなたは何歳のときまでサンタクロースを信じていましたか。そして大人に なったいまはいかがでしょうか。あなたがもし親になったとき、あなたはこの誇りと責任に満ちたサンタクロースの役を、果たして自分も引き受けようと決意するのでしょうか。

注:サンタクロースでは、あまりに西洋的すぎると思われる方は、たとえば秋田の「なまはげ」などの、大人たちが鬼に化けて子供をおどかす伝統行事などを思い浮かべてください)

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