<あの夏の日に>


まだ娘の真帆が、小学生の低学年のころ。
多摩川の河原にある茶屋(というほど洒落たものではなく、バラック小屋と言った方が正しい)に何度か通ったことがある。
同行したメンバーは、中学、高校の同級生2人中島と塚原、娘の真帆の4人だ。
中島は台湾で大学の教員をしており、夏休みで帰省していた。
この2人とは、学生時代から一番親しくしていただろう。
JR登戸駅で待ち合わせ。踏み切りを渡って多摩川に出る。
土手を降りた河原に、昔は三軒茶屋が並んでいたが、営業しているのは一軒だけになってしまった。
店は20人入れる程度の広さで、多摩川に向かって、大きく開放されていた。
中はテーブル席に座敷もあった。
真夏の昼間でうだるような暑さだ。風が入ってくるテーブル席に陣取る。
まずはビールで乾杯。キリンラガーの大瓶だ。喉をカラカラに渇かしてきたので、最初の一杯の旨いこと!
ツマミはホルモン炒めとか、オデン、焼きそばなどで、気取ったものはない。
その後は、ウーロンハイなどに切り替え、ひたすら飲み続ける。2時間ほど飲み続けたあと、すっかり出来上がった状態で、出発する。
目的地は民家園にあるプラネタリウムだ。
冷房が良く効いたそこで昼寝をしようという算段だ。
そこに行くまでタクシーなどは使わない。
真夏の炎天下、一時間近くひたすら歩き続けるのだ。その試練に耐えてこそ、至福の時が待っている。
酔いと暑さで朦朧(もーろー)となりながら、灼熱の太陽の下ひたすら歩く。
そして、ようやく民家園に着いた。

全員、全身汗だくだ。塚原が水道で頭から水を被ったので注意する。
ここまで汗をかいてきた甲斐が無くなってしまうではないか。
坂の上は広場になっており、SLのD―51が鎮座している。わりと大きな噴水もある。
その奥にはるばるここまで真夏の太陽に焙られながらやって来た、目的のプラネタリウムが我々を待っていた。
三時からの回になんとか間に合った。
ドアを開けて中に入る。期待どおりキンキンに冷房が入っている。
中はけっこう広く、100人は入るだろう。
イスは背もたれが180度近く倒れ込むプラネタリウム独特のものだ。
中央の投影機を取り囲んで、円形に並んでいる。
さっそく適当なイスを選んで後ろに倒れ込む。円形の天井が見渡せる。
さあ、いよいよ投影開始だ。照明がゆっくりと落とされ、太陽を示す丸いライトが西の空に降りていく。太陽が完全に沈むと、待ってました、辺りは暗闇に包まれ、明るい星から輝きだす。
静かな音楽に乗せたナレーションがはじまる。
そのあまりの心地よさに、星々を眺める余裕もなく、爆睡してしまう。
次に目覚めるのは、すでに投影が終わり、人々がざわめく気配を感じてだ。
ボーッとしたあたまのまま外へ出る。
あるものに会いたくて、民家園に向かう。すると、なんともう開園時間が過ぎているではないか。
とっさに出口へ向かい、係員に「忘れ物をしてきたので戻ってもいいですか?」とたずねた。
許可が出たので、4人で中に入る。とっさの思いつきが上手くいった。
時間もないので、会いたいものに急いで向かう。
会いたいものとは、小さな船頭小屋だ。
菅の渡しという、多摩川の南岸から調布の間を通す渡し船が、かつてあり、その渡しの河原にあったという船頭小屋だ。
縦横一間、畳二畳ぶんの狭さだ。腰かける高さに畳が一畳ひいてあり、畳一畳分の土間には囲炉裏が切ってある。
これが僕が理想とする住居だ。やはり趣があり、わざわざ観に来た甲斐があった。ありがとう。また、来るね。
民家園の坂を下ると、太陽もだいぶ西に傾いていた。
最後にいつも、登戸駅近くの路地にある喫茶店に向かう。
ここで最後にマカロニグラタンを4人で食べるのが習慣になった。
真帆はこの喫茶店の雰囲気を今でも覚えているという。
楽しかった夏の思いでの最後に。
塚原の家には、無邪気に笑う真帆の肩に手を乗せている僕が写ったネガフィルムがあるという。
あの夏が、そこにある。


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