ファッショナブルナンセンスについて

シラスの茂木さんのファッショナブルナンセンスについて書きたいと思います。シラスの「#044 人工知能と人間」で見れますね。興味ある人は見た方がいいと思います。個人的には面白かったです(/・ω・)/

さてファッショナブルナンセンスなる言葉をこの動画で知ったわけですが、私の理解だと「何か難しいこと言って芯食ってない言説、理論」という感じで理解しています。実際最近の言説や理論をみるとファッショナブルナンセンスな言葉で溢れているような気がしますね。

しかし、ファッショナブルナンセンスとは何か?有料部分で茂木さんは結構根底的なファッショナブルナンセンスにも言及しておられました。茂木さんの意見はシラスを見てもらうしかないですが、個人的に今のところ考えていることを書いておこうと思います。

カールポパーは世界を3つに分類しました。
第1は物理的対象または物理的状態の世界。
第2に意識の状態または心的状態または行動性向の世界
第3に思考の、科学および詩的思考と芸術作品の、客観的内容の世界。

このカールポパーの3世界論はカールポパーが適当に区分した分け方なので、別に「ああ、君はそう考えたのね」ぐらいでいいんですが。

ファッショナブルナンセンスとは第3世界でのみ論理的に繋がる言説を言うんじゃないでしょうか?個人的には、ポストモダンのいくつかは、世界3での脱構築を持って「どやっ!!」ってますが、まあ所詮、世界3です。

科学は世界1や世界2と世界3を繋ぐことであり、世界3でどうなってようが、両者と結合してなければ、まあ好きに考えればいいんじゃないか?と個人的に思ってますね。

科学的態度とは何か?ということですが。まあ色々な意見あると思います。しかし、ある種の科学的態度の取り方として、世界3に異様に固執する方がいます。その場合、公理系から世界2と世界1は徹底的に排除されます。

しかし、本来は逆順だと思います。世界1なくして世界2も世界3もありません。世界1や他者の世界2と結合のない、世界3の論理構成を持って、世界2が構築されており、世界1で活動している人がファッショナブルナンセンスな人ではないかと今は考えています。

おそらくこのファッショナブルナンセンスな人が突き詰めていくと、世界3の論理的な真=世界2の論理構成とか、世界3の論理的な真=世界1の論理構成を主張するんじゃないかなと。実験して確認が取れている分には問題ないですが、そうじゃない場合が起きているんじゃないかなぁと。実は結構身の回りでもそれは起こっていると思います。

書くのに飽きてきたので、また気が向いたときにそれは書こうかな(笑)
まあしかし、人間そんなもんだと思ってますし、個人的には人間のそういう部分は好きです(*´ω`*)全然嫌味とかではなく(笑)
迷惑かからない範囲に限りますがね(笑)

そんなことを考えました(/・ω・)/

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