崩れた世界の白と早紀#2
薄雲は月にかかり、朧月が頼りなく街を照らす夜。
遠目には生い茂る木々が揺れ、周囲には風化し緑に覆われたビルが立ち並ぶ。そんな中で私は、身の丈程もある狙撃銃を胸に抱え、ビルの屋上で座り続けていた。
…というか、居眠りしていた。
目を薄く開いたまま、ぼんやり重い瞼を指先で軽く撫でる。
「………?」
目元が濡れている。
風に吹かれて、頬を濡れた一筋の跡が冷たく軋む。
なんでだろう、と不思議に思いながらも、胸の奥も一緒に軋む感じがする。
理由は…わかんない。多分涙だとは思うんだけど、なんで泣いてるんだろ…
…まぁいいか。
そう思った私は胸の妙な感覚に息を吐いて誤魔化して。
喉に這い上がる微かな痛みを咳払いで和らげながら、目元を袖で拭った。
「ん……風、強いなぁ…」
耳元で叫び散らす風の音。
何かを切るような音と共に、髪が視界をちらちらと邪魔する。
苔だらけで柔らかい屋上の地面。 音を立てて頬を撫でる夜風。
自分の長い白髪が、風に吹かれて次々に肩や顔に張り付いていく。
片手でそれを払いのけていると、すぐ横の箱みたいなものから音が出た。
[…もしかして起きた? 聞こえてる? ……白?]
[…うん。 大丈夫だよ早紀]
昔、お師匠から貰った道具のひとつ。
なんか無線機っていうらしいけど、どうみても遺物だよねこれ。
この銃もそうだし…あの人って結局、何者だったんだろ…?
「…あっ」
危ない、忘れてた。
箱…じゃなくて無線機の横に置いてある小さな木箱に手を伸ばす。
指を入れると、チャリ…っと小さな金属音が聞こえた。
指先の感覚を頼りに、中身の小さくて細長いもの。
そう、狙撃銃の弾丸を摘まみ上げる。
危うく空撃ちしちゃうとこだった。
「……」
込める弾は数発。 でも一発しか使わない。
というか、使う必要がない。 弾一個で事足りる。
レバーを引いて、月明かりを頼りに弾を放り込む。
もう一度レバーを戻して弾を込め終わったら、銃を構えて。
ふわっとした苔の上で、狙撃銃の照準器を覗く。
真っ暗なビルの一室から、ぼんやりとした橙色の光が漏れている。
事前に聞かされていた通りなら、『蔓の鎖』っていう組織のはず。
どうせロクな事しない奴らの集まりだし。
いずれにしても、そのボス様は今日ここで、私に殺される。
まぁ、予想すらしてないだろうけど。
[現在19時29分48秒。30分に目標はそこから出てくるよ。]
[ん…わかった。 今から40秒ぐらいかな? 通話は控えて。 いいね?]
[あいよー。 白なら大丈夫だとは思うけどな。 まぁ頑張ってな!]
あまりに楽しそうな声に私は少しだけため息をつき、再び気を引き締める。
もう一度視線を狙撃銃の先に戻すと、さっきと何も変わらないビルのドアと
その左右を守る警備員が、面倒そうにビルの壁に背もたれながら喋っていた。
めんどっちい。二人まとめて殺ってしまいたい。
けれども仕事は仕事、流石に目標外の人間を殺るのは駄目。じっと耐える。
「……やっときた」
そうしてドアに標準を合わせてしばらく待つうちに扉が開かれた。
次々に出てくる人の波の中から殺すべき相手を探しだす。
狙うのは警備員共に囲まれ、偉そうに煙草を吸いながら出てくるガラの悪い男。上から見ているのもあって、男を見つけるのに時間はかからなかった。
…ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐く。
ほんの一瞬の深呼吸。
ただそれだけで動いていた人の波は静まり返った。
私の動きも、目標の動きも、分け隔てなく全て遅くなる。
限界を超えた体感速度の低下_最後に使ったのいつだっけ。
ゆっくりに感じる世界の中で、そんな呑気な考えが脳裏を掠めた。
とにかく、ギリギリまで目標に偏差を合わせて引き金を引くだけ。
これだけであっけないほど簡単に仕事は終わる。
呼吸を整えて体感速度を元に戻し、狙撃銃の次弾を一応装填しておく。
…銃声が完全に聞こえなくなる頃。
狙った相手は頭を真っ赤に散らしながら崩れ落ちるようにして倒れていた。
追加の弾丸も要らないね、問題なく死んでる。
もちろん周りは混乱し、中には周囲を警戒し、数人で死体を運んでいるけれど、やるべきことは終わった事だから後は知らない。
……蟻のように慌てる彼らを見ていると、少しだけ笑ってしまう気がする。
[おーい?時間やで?終わったんだからさっさと帰ろ?]
[あ、あぁうん。ごめんごめん、今行く!]
真横の無線機から時間通りに通話してきた相方の呼び声で我に返った私は、
慌てて無線機をバッグに直すと、銃を抱えて階段へと向かった。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「っと、確かこっちだっけ」
暗い、暗い空。 煌めく半月。
夜風を受けて、真っ白なコートとワンピースが強く私の背中を押す。
ビルから出て来た道を戻っているけれど、相変わらず月明かりだけが頼り。
この町は別段、治安がいいわけでもない。
数発の弾が込められた銃は、肩からかけている。
「ん…? おい! そこの!」
銃に片手を添えながら、暗い裏路地を歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。
振り返ると、鉄パイプを片手にぶら下げ、黒緑の服を着た男の姿。
「こんな夜中に出歩くなんてあぶねーぞ?」
「…そう、ですね」
確か鎖の蔦は草で染めた黒い緑の服を全員着てた気がする。
…いや、気のせい気のせい、ただの偶然に違いない。 うん。
「優しくてカッコよかった、うちのボスが殺されてよ…」
「そう…なんですか」
ですよねー。
多分私を探しに来たんでしょう。 言い方が完全に勘づいてるもん。
早紀とは離れてるし…この状況、どうしよ。
「んで、この辺りで不審な奴見てないか?」
「…知らない」
「そうか、ところでその銃なんだが――!」
こっちに手を伸ばしながら近づいて来る。
咄嗟に振り返った私は、裏路地のさらに奥へと逃げ込んだ。
暗い夜道を、微かな月明かりを頼りに走り抜ける。
「確か…こっち…!」
…だったような気がする。
暗くなってしまった裏路地は昼とはまったく別の風景で。
夜の街をよく知っていてなお、その暗さが見知った道を迷路に変える。
「あぁもう…! 仕方ない…!」
ただただ無我夢中で、迷っている暇などないと走り続ける。
選んだ道への嫌な予感が冷たい風と共に背筋を撫でるものの、
追われてる以上、それでも頼りにならない直感に頼るしかない。
「こっちだったっけ…!?」
ある程度引き離したのか、後ろの足音は聞こえなくなっていて。
…代わりに私の足音だけが、目の前に続く無音の闇に響いていた。
「今度は…! ――あ、れ…っ?」
見慣れない場所、込み上げる違和感。
しかも目の前は行き止まり。 …道を間違えたかも。
「――どこいきやがった!」
「ったく、しつこいなぁ…!」
お相手さん、逃がすつもりはなさそう。
「仕方ない、かな…」
しゃーないけど…でも、戦うのは面倒くさい。
複数人相手に1人で戦うとか、避けるのが普通でしょ。
「……」
辺りを改めて見回す。
落ち着こう、ここは裏路地。 家の一つや二つあってもおかしくない。
そもそも、この場所は行き止まりというには何かがおかしい気がする。
「…!」
壁に生えた蔦の向こうに、四角い何かがちらりと見えた。
急いで近寄ると、それは間違いなく扉だった。
ざらりとした感覚と、手に張り付く硬い何かの破片。
多分これ、錆びているけど…これぐらいなら開けられそうかな。
「このっ…!」
両手で思いっきり引っ張ると、ガコン、と音が鳴る。
いける。間違いなく開くとそう確信して足で壁を踏み、両手に力を込める。
「開けっ、あけっ!!」
焦りながら何回か力を加えていると、大きな音を立てて勢いよく扉が開いた。そのまま体ごと扉に持っていかれそうになるけれど、踏ん張って耐える。やっと開いてくれた。と思っていると――
「こっちだ! こっちで物音がしたぞ!」
「探せ! 探し出して捕まえろ!」
――すぐ近くで、男達が私を探す声が聞こえてきた。
急いで中に入り、体重をかけて引き抜くように扉を閉める。
擦れるような音と共に扉がはまり、バコン、と大きな音を立てて扉は閉まった。背中からもたれかかり、ゆっくりと力を抜いていく。
「はぁ…」
とりあえず、あいつを殺さなくて済んだのはよかった。
無駄に騒ぎが大きくなっても面倒でしかないもん。
でもすぐ近くまであいつらが来ちゃったわけだけど…それはまぁ…
「…仕方ないか」
手を胸に置いて一息。
建物の中に逃げ込んだはいいものの、どうにも暗くて前が見えない。
「ん…?」
誰かの足音が後ろの扉越しから聞こえる。
多分あいつらだろうから、できるだけ静かに急いで離れないと。
ただ、真っ暗で何も見えないけど…仕方ない。
壁を伝いながら、そっと離れるしか……。
「うわっ」
そう思いながら進むと、何かに足をぶつけた。
――と同時に、奥から誰かが近づいてくる気配。
「誰!?」
急いで銃を向けて引き金に指を置く。
けれど、次に聞こえてきたのはとてもとても、聞きなれた声だった。
「その声は……もしかして白?」
「うん、そうだけど…早紀、だよね?」
銃を向けた方から、聞きなれた声が私の名前を呼ぶ。
私が銃を下ろして安心していると、視界をジッ、と明るい灯火が照らし出した。ぱっと明るくなった埃っぽい廊下は、散乱した木箱だらけで埋め尽くされている。
「よかった……でもどうしてここに?」
「なんか変な奴らに襲われてな、逃げて来たんよ」
早紀がライターで蝋燭に火を付けて渡してくる。
燭台を握り、足元に気をつけながら奥の部屋へ。
「…殺した?」
「まさか。 仕事じゃないし、面倒事は避ける。 やろ?」
少し埃っぽい部屋に入って扉を閉める。
オレンジ色の光が閑静な部屋を照らしていた。
「――なぁ、今日はここで寝らん?」
「えっ?」
「外は暗いし、まだ私らを探してるかも分らんし」
「そう、だね」
換気をしようと窓に手を伸ばしても、錆びついた窓は開かない。
寝具の代わりになりそうなモノもないし、床は硬そう。
…仕方ないか。
「ふぁ…眠っ」
膝を折り、部屋の隅っこでうずくまる。
角に体を寄せてもたれかかると、早紀がすぐ横に寄りかかってきた。
一緒に寝るのはいつもの事なんだけど、この態勢は……
「ちょっと重いかな…」
「なっ、そんなこと…!」
でも重いものは重いし。もろに体重掛かってるし。
「ほら、ちょっとそこ座って」
「…? ええけど…」
早紀に座ってもらい、伸ばした足の間に座る。
背中から抱きしめてもらう形で座り、早紀に体を預けて力を抜いた。
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみ。 白」
すぐ近くの蝋燭を持ち上げて吹き消す。
私達の吐息と、温もりと、微かな心音だけが五感を支配する。
そのまま、全てを忘れるようにして。
暗闇に包まれた部屋の中で、意識だけが。
ゆるやかに沈んでいった。
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