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Jpopと次郎系ラーメン

歳のせいか、はたまた元から?


最近の若い子は・・・

最近のJpopは・・・

なんていうと一気に老けた感じもあるが、年とともに感受性の幅は下がるらしい。

これはもう避けようのない事実なのだろう。が、私はそんな自分に毎日必死に抗っている。

抗うのはいいことだ。抗わなければ新しいナニカもかっこよさも生まれない。

受け入れることもいいことだ。受け入れなかったらずっと見栄だけでいきることになるし、時にしんどい。

どっちもいいらしい。


私が私であるための秘訣


新しいものへの興味関心を失わないこと、そしてアンテナを広げ素直で直感的でありながら、「なぜ流行るのか」「なぜ好きなのか」なんて理由を探す。いつも自分であること。そんなことに気を配りながら今日も配信しながらディグ(新しい音楽を探すこと、掘ることからきている)っていた。

最近洋楽のお気に入りを探しがちだったので、久々にあえて意識をJpopへむけ、邦楽をディグろうなんて思いながらいろいろ好きそうなところを聞いていた。


まぁまぁ好きだけど違和感が残る


王様ランキングのエンディングで知った

yamaの新曲「世界は美しいはずなんだ」

をまずはご紹介

王様ランキングのEDはアニメの内容も相まって歌がかなりぐっときて、大好きになったところだったので期待感を持って新曲を視聴。

シンプルに歌詞が好きだし、メロディーラインもなじみやすいし、MVの世界観も悪くない。

が、芯の部分までぐっとこない。

これはいったいなんだ。と自分の中に理由を探す。


私なりの結論は

PV、楽曲すべてにいろんな人がかかわりすぎて本来の味がしない

これは今回noteに書くにあたって言語化するべく理由探しをして気が付いた。

私がJpopに昔から持ってた違和感の正体だろう。

これは歳を食ったからとかではない昔から感じていた違和感の正体をようやく見つけたのだ。


ストリングスがたくさん重なっていて、パッと聞くと綺麗にまとまっている気がするが、もはやそのどれもに想いの統一性狙いがない。

MVもこぎれいなようで、脚本、カメラワーク、演者、そもそも作曲者・・・の意図がバラバラな感じ

味がするけどその根源の味がなにかわからない。


僕があんま好きになれないJpopというのは

化学調味料で整えられた次郎系らーめんなのだ!!


これが言いたかった。

おいしいけどなんの味かわからないと80点くらいから自分の中で超えてこないのだ。

あくまで私は。


別に吉野家だって次郎系だって好きだよ。


もともとなんで表現をしたかったのか

この曲を描いたときにどんな想いだったのか

そこにどういう思いが乗っかり曲のリリースになったのか

そういったプロセスが感じられない。

もしくは私が持ってるアンテナとは、かなり違うところにそれがあるのであろう

かといって常に意味がこめられていたり、壮大なテーマが描かれていなくては聞いてられない!!というわけでもない。

出汁が効いてないと食べられないわけでもないし、すし屋にいってこはだから食べないと怒るわけでもないし卵を食べて偉そうなことは言わない。

ただ吉野家が高級牛丼屋のふりをしていたら行かないし腹が立つ

吉野家がうまい牛丼です!!がウリのブランドだとするならばいかない

そういう話だ。

洋楽を聞いてる際に英語がネイティブのようにわかるわけでもない。でもMVのひとつひとつの色やカット割り、表情から私はその人のマインドや人となりを拾っていてそこで統一性を感じたり好き嫌いを感じているのだ。

サウンドの響きだけだったり、マインドがかっこよかったり、MVがふざけていて、ただ単にこのフレーズが真似したいから、そんな理由で好きになることもある。

adeleのrolling in the deepは

ウィクゥドゥハディオーーーー

の響きが好きで好きになったくらいだし

カニエウエストのカレッジドロップアウトははじめてジャケ買いした洋楽CDで、色やデザインだけでも好きなものが共通したりすることを私は16で知った

勝手に理由をつけているだけかもしれない。

けれど私には好きな琴線が明確にあって

その”好き”には理由が存在している


それが分かれば人の好きが理解できるようになる

逆もしかり

人の好き嫌いがわかるようになれば自分のこともわかるようになる



言語化するという能力と人の才能


僕は何一つ特別な才能がない

そう思って10代をずっと生きていた

なににおいても1番が取れない子供だった

周りには優秀な友達が多くみんななにかに秀でていた

小さいころから両親に褒められた記憶はほぼない

3歳からはじめたヴァイオリンも才能あるとだけは言われていたものの

なにがいいのかわからないから自分の中の100点がないまま練習しなくなった

唯一少し記憶にあるのはIQが120くらいあって天才だ!と3歳か4歳くらいでオヤジが喜んでいたが、自分にはなんのことかわからなかった

でもそれによって”ドルトンスクール”というくそ高いらしい塾に通わされた

そしたらそこでは1番じゃなかった

だからすぐに盆栽といわれるようになった

その言葉だけが残った

なぜくそ高いイメージだけあるかといえばオヤジにずっと

ベンツ何台分もかけたのにお前は盆栽だ

そういわれ続けたからだ


だから僕は

人の得意な能力を使って生きればいい

そう思っていた


得意な人に教えてもらったり人の才能が見える人であろうと

そう思っていた。



昔「花咲か天使テンテンくん」という漫画があった

人はだれしも1つ特別な才能を持っており、それを天使が種に水をやって花咲かす。主人公は神様の手違いでそのサイダネ(才能の種)がなかった



高校生でバンドを始めた

きっかけはすでにバンドをやっていた友達に

ボーカルをやってほしい

そういわれてバンドを組んで大会に出た。全国大会で優勝したらCDデビューできるそんな大会だった。

僕らは結構とんとんと勝ってあと1歩で全国大会というところまでいけた。


勝てなかったのは自分に華がなかったんじゃないか

自分は主役じゃないから

そんなことを考えたのだろう、僕は自分がベースになって華のあるボーカルを連れてきて新しいバンドを組んだ

曲も全部書くのは自分だった

さながらノエルだ





いつの間にか音楽をやめ、お金を稼いで人より楽をし、偉そうにすることに夢中になっていた

人の能力を使って楽をするようになった





そしたらなにもなくなった





大切なことを忘れていた

この物語の主人公は僕だった

そう思い出させてくれたのは配信で出会い価値を与えてくれた人たちだった


自分が作ったものに自分が責任を負ったり、自分が背負う、言い切るだけの自信がなかっただけだった


ただその時々で必要なこと、目の前のことに全力で生きてきた

自分は人より劣っているから

そう思って詰め込んできた

みんな努力家だしみんなまじめ

でも僕は不真面目で努力できない

だったらせめておもろく生きて、いろんな経験して自伝が書けるように生きよう


そう思ったら、想定よりだいぶ苦労して破天荒になってしまった


でもいま

みんなが評価してくれる環境に身を置いて、

いや評価してくれるあなた方に出会えて

僕の才能はおそらく花開こうとしています。

ありがとう。



あれ?なんの話をしていたのだろうか。なんてなるがこれでいいしこれがいまはいい。

想いのままに筆を走らせ、思考を巡らせ

それを誰かが楽しんでくれたら幸いです。

今日も読んでくれてありがとうございました。


出汁の味のする人間まげおーれ今後ともよろしくお願いします。


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