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読書感想『少女不十分』※ネタバレ注意

今週読んだ本(12日に読み終わってました…)は著作西尾維新の『少女不十分』でした。いつか読もうと思っていたシリーズの一つを消化できました。残るは難民探偵です。

今回この小説を読んでいて感じたことは皆さんそうだと思いますが「実話っぽいな」です。100%実話ってことはありえないでしょうが、似たような体験は必ずしただろうというのが読んでいて終始感じていたことでした。

物語は常に20大作家志望の大学生の一人称で語られます。現実感が漂い、境目があいまいになるこの語り口は太宰リスペクトをとてつもなく感じますね。
この語り口が西尾維新感を醸し出し、現実の出来事のように思わせる力を持っているのだと、改めて感じる一冊でもありました。

内容自体もなかなかにショッキングで非現実的なのですが、個人的に気になったのはやはり似たような体験を実際に西尾維新はしていて、その体験が彼の大きなテーマになっているのではないかという点です。

この作品のテーマは『どんなに人生歪んで元に戻らなくても楽しんで生きていくことはできる。』だと、Uちゃんに対して物語るところで明言されています。その際に戯言や人間、最強シリーズに物語シリーズなどなどの作品を伝えていくわけです。よってこれらの作品も明確に同じテーマが含まれているわけです。

そして何より西尾維新の作品を読むうえで外せないのが『親子』です。

戯言シリーズでは親から逃げた二人が主人公であり、哀川さんと西東の喧嘩が物語の根幹にあります。なのに、決着は哀川さんがつけないのです。
個人的にはこの時点の西尾維新は『親と直接的に向き合ってないキャラ』が多いと感じていました。

物語シリーズでは、阿良々木君が次々と女の子を助けますが、それぞれ親が問題の根元に大きく関わってます。
ただ、明確に違うのは『各々がしっかりと親と対峙している』点です。
戦場ヶ原さんは母親への思いに区切りをつけ、八九寺は親の元に帰る未練を果たす、神原は親からの思いを受け止め、羽川は親に復讐します(撫子だけはずっと後にならないと向き合いませんが)。

両作品ともに親が根幹にあります。そして少女不十分でも虐待する親が出てくるわけです。
このことをみてもやはり西尾維新は他人の虐待を認識し、救えたor救えなかった過去があるのではないかとおもってしまうのです。

この作品は西尾維新が今の作風になったきっかけの事件をモデルにしているのではないかという気持ちは読み終わってもぬぐえませんでした。

この小説を10年かけなかったというのは、西尾維新の中で『誰かが親の虐待や親のせいで人生が歪んだ』という事実に対して向き合えなかった、作品として消化・昇華できなかった期間なのではないかと考えてしまいます。


長々と考えを並べてしまいましたが、この小説は間違いなく西尾維新が好きならば読むべきものであるといえます。
彼のテーゼは間違いなくこの作品に表されており、今までの西尾維新作全てを振り返ってみたくなる気づきがあります。

というわけで今週読んだ本は『少女不十分』でした。
もっと早く手に取るべきだったと読み終わって後悔する一冊であり、この先西尾維新を読むうえでも大きな影響を与えてくれる作品でした。


それでは最後まで読んでくださった方いらっしゃればありがとうございました。
著者Twitter:まがしき @esportsmagasiki

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