ジェンダー史研究事始(三上 喜孝)

※ このnoteは「REKIHAKU 特集:されど歴史」(2020年10月刊行)に掲載された特集記事の転載です。

生きづらさとジェンダー

少し前にチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房、二〇一八年、原著刊行は二〇一六年)という小説が話題になった。韓国ではすでに一三〇万部を突破し、アメリカやフランス、ベトナムなど世界の二二の国と地域で翻訳出版が決定している。日本でも発売から一年で一五万部を超え、多くの読者の心をとらえた。

小説の主人公は、キム・ジヨンという一人の女性。結婚して一児の母になったジヨンは、ある日精神に不調をきたし、精神科医のもとで自らの人生を振り返る。彼女が育った家庭や学校、そして職場での様子が語られていくうちに、彼女がそれまで経験した「生きづらさ」の正体が次第に明らかになっていく。

読んでいくうちに、主人公の直面してきた「生きづらさ」には身につまされる。とくに女性読者のなかに、まるで自分のことのようだという感想をもった人が多かったようだ。同時に男性読者としては、女性に対してある役割を押しつけてきた事実を目の前に突きつけられて、やはり胸が痛い。
なぜ、この小説がこれほどまでに多くの人々の共感を呼んだのか。その背景には、「男性らしさ」「女性らしさ」を求めてきた社会そのものに原因がある。世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表している「ジェンダー・ギャップ指数」の二〇一九年版において、日本は調査対象一五三カ国中一二一位と過去最低を記録した。前年の一一〇位からさらにランクを落とし、中国(一〇六位)や韓国(一〇八位)などのアジア主要国と比較しても低い水準となっている。このランキングは、政治、経済、教育、健康の四分野で男女格差を指数化することで決定されているものだが、日本はとくに政治分野と経済分野での数値が低い。衆議院議員の女性比率はたったの九・九%だし、女性の管理職の比率も主要七カ国では最下位である。政治学の立場からは、日本の民主主義は「女性のいない民主主義」であるという言い方もされる(前田健太郎『女性のいない民主主義』岩波新書、二〇一九年)。

「ジェンダー(gender)」とは、生物学的な性(sex)ではなく、社会的・文化的につくられる性別のことを指す。「男性らしさ」「女性らしさ」というのは、決して自明なものではなく、各時代の社会の文脈のなかで求められてきたものといってよい。性別による生きづらさの原因がそこに求められるのだとしたら、その解決策を、歴史のなかに見つけていく必要があるのではないだろうか。いや歴史学にこそ、その課題が突きつけられているように思えてならない。

画像2共同研究「日本列島社会の歴史とジェンダー」資料調査風景(2017年3月、長野県)

歴史をジェンダーの視点で見つめることの意味

…と、ここまでわかった風な口で書いてきたが、正直に告白すると、わたしはもともとジェンダー史の研究者ではないし、いまもそうである。だからジェンダー史研究についてわたしが何かを語るという資格は、本来はないのかも知れない。

そんなわたしが、なぜこのような文章を書くことになったのか。少し釈明をさせていただくと、きっかけとなったのは、わたしが勤務する国立歴史民俗博物館(歴博)の同僚・横山百合子さん(日本近世史、ジェンダー史)に誘われて、二〇一六年度より「日本列島社会の歴史とジェンダー」という共同研究に参加したことである。共同研究を立ち上げるにあたって、どのようなテーマを設定したらよいか、どんな方々に参加していただいたらよいか、といったことを、準備段階から議論に参加する機会に恵まれた。とくに印象的だったのは、「いままで、ジェンダー史に関わってこなかった方にも入ってもらい、自身の研究のなかにジェンダーの視点を取り入れてもらえるような仕掛けを作っていきましょう」という横山さんの提案である。結果として、全体の三割くらいは、もともとジェンダー史を研究してきたわけではない研究者に参加いただくことになった。もちろんわたしもそのなかの一人である。

共同研究は、時代(先史~近現代)や専門分野(歴史学、考古学、民俗学、美術史)を超えた大所帯となり、自分の専門分野に閉じこもっていてはお目にかかることのないような方とも知り合うことができた。研究会で交わされる議論はいつも活発で刺激的で、自分がまったく考えの及ばない視点を学ぶことができた。こうしてわたしは、自分のなかにある凝り固まった思考が解きほぐされていくことを実感したのである。

もちろん歴史研究にジェンダーの視点を取り入れることは、冒頭に述べたような、現代社会が直面する課題を解決するためにも重要である。だがそれ以前に、研究者の知的好奇心をくすぐり、自らの研究の幅を広げ、さらにはいままでになかった歴史叙述が可能になるという意味で、研究者自身にとっても魅力的な作業なのである。

ジェンダー史研究の実践

では、歴史研究にジェンダーの視点を取り入れるとは具体的にはどういうことだろうか。つたない事例だがわたしの場合を例にとって考えてみたい。

わたしはもともと、東アジアの文字文化がどのように広がり、日本列島の古代社会にどのように定着していったのか、といったテーマに関心を持っていたこともあり、古代の文字文化をジェンダーの視点から考えてみるという課題を設定してみることにした。

たとえば、平安時代末に成立したとされる『とりかへばや物語』には、古代におけるジェンダーを考える素材がたくさん含まれている。

物語は、主人公となる権大納言(ごんだいなごん)の二人の子どもに対する悩みから始まる。姉弟のうち、弟の「若君」は、人前に出るのを恥ずかしがり、御帳(みちょう)のなかで「絵かき」「雛遊(ひなあそ)び」「貝覆(かいおほ)ひ」などの女の遊びばかりをしている。これに対して姉の「姫君」は、男の子たちと一緒に「鞠(まり)」「小弓(こゆみ)」で遊び、「文(ふみ)作り」(漢詩文)「笛ふき歌うたひ」など、男のふるまいばかりしている。父は姉弟のそうしたふるまいに悩まされるが、結局は、姉を男として、弟を女として育てることを決意するのである。

これはまさにトランスジェンダーの物語である。かつて河合隼雄氏は、心理学の立場からこの物語を読み解いたことがある(河合隼雄『とりかへばや 男と女』新潮選書、二〇〇八年、初出は一九九一年)。河合氏の著書が公刊された一九九一年の時点では、まだLGBTという言葉もなく、したがってこの本のなかではトランスジェンダーという言葉も使われていない。しかしいまはそうした視点から物語の読み直しが可能になるのではないかと思う。
そればかりではない。そもそもここにはこの当時の貴族のジェンダー規範が語られている。なかでもわたしが注目したいのは、男性のふるまいの一つとしてあげられている「文作り」(漢詩文)である。

よく知られているように、平安時代にひらがなが発明されてから、漢字は「男手(おとこで)」、ひらがなは「女手(おんなで)」とも呼ばれた。男性の日記が漢文で書かれたのに対し、女性の日記はかなで書かれたし、紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏物語』のような文学作品もかな文化の所産である。漢字=男性、ひらがな=女性というジェンダー規範は、中世の土地売買文書(もんじょ)や戦国時代の書状にもあらわれていて、「文字によるジェンダー」は、前近代の日本社会に根強く存在していた。
しかしそのことは、漢字・漢文に対する知識の男女差をただちに意味するものではない。『枕草子』の作者・清少納言(せいしょうなごん)は漢籍に通じていたし、紫式部は、自分が仕える中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)に『白氏文集(はくしもんじゅう)』という漢詩文集を教えていたから、ジェンダー規範とは別の次元で、漢籍(かんせき)に対する知識を実際には獲得していたのである。

文字とジェンダーの関係は、日本の歴史だけにはとどまらない。朝鮮半島においても、漢字とハングルの関係は、漢字とひらがなの関係と同様にジェンダーの問題としてとらえることができる。朝鮮時代の両班(ヤンバン)(支配者層)が家族にあてた手紙をみると、女性の身内に対してはハングル、男性の身内に対しては漢字で手紙を書いているし、王族の女性も、中国の漢籍の知識を持ちながらも、実際にはハングルのみを使用していた。つまり文字とジェンダーの関係は、東アジアの歴史全体に関わる問題なのである。なぜ、東アジアの文字文化にジェンダーという問題がつきまとうのか。それはこれからのわたしの研究課題でもある。

画像3女性が主体となった中世の土地売券の例「尼しやうせう領地売券」(六角室町屋地古文書) 延慶4 年(1311) (歴博蔵)歴博蔵売券の内容を仮名で書いている部分がある。土地の売却側の一人として「嫡女藤原氏女(ふじわらのうじのにょ)」、買得者として「清原氏女(きよはらのうじのにょ)」の名がみえる。

ジェンダー史研究のこれから

ジェンダー史研究に立ち入るようになって感じたのは、この分野に対する研究者たちの冷ややかな視線が意外にも多いということであった。それは、ジェンダー史研究がこの国では未成熟な学問であることとも関係していると思う。

歴史研究は、現代社会が直面する課題に対して敏感である。東日本大震災の後に災害史研究がさかんになったし、新型コロナウィルス感染症に悩まされる今後は、感染症と社会との関係の歴史が、歴史研究の大きなテーマになるであろう。

ジェンダーも、それに匹敵する大きな問題と思われるのだが、日本ではそれが大きなうねりとなる研究までにはなっていないのが現状である。冒頭に述べた、日本のジェンダー・ギャップ指数が世界のなかでかなり低いこととも、関係するのだろう。

ジェンダー史研究が未成熟なのは、そもそもジェンダー史研究の裾野がまだ広くないからではないだろうか。多くの研究者が、自分の研究テーマのなかにジェンダーの視点を取り入れ、当事者になること、つまり裾野を広げていけば、議論が起こり、研究手法が研ぎ澄まされていくのではないか。研究者の誰もがそのことを意識すれば、究極的にはジェンダー史という枠組みじたいが不要になるかもしれない。性別による生きづらさの解決策を歴史研究が示すことができるようになるまでには、道のりはまだ遠い。

執筆者プロフィール

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三上 喜孝(MIKAMI Yoshitaka)
国立歴史民俗博物館教授(日本古代史) 
【著書】『天皇はなぜ紙幣に描かれないのか』(小学館、2018 年)、『落書きに歴史をよむ』(吉川弘文館、2014 年)、『日本古代の文字と地方社会』(吉川弘文館、2013 年) 
【趣味・特技】映画、演芸、ラジオ、アルトサックス


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