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苦痛に上塗りされた生きがい

コロナ罹患後、ひどくしんどい日が続いていたけれど私は変わらずスーパー銭湯のリラクゼーションコーナーで立ち仕事をしていた。

セラピストとして、とても仕事にやりがいを感じていたし(なんなら天職だと思っていた)、コロナの置き土産はすぐ治ると思っていたし、何より気の良い仲間のいる職場から離れたくなかった。

同僚は、「もう一回コロナにかかったら治るかもよ?」なんて仲が良くないと言えないようなブラックジョークを言っていたし、「浴室の施術室まで台車で運んであげようか」なんて冗談を言って、良く笑っていた。

お客様の前では優しく強く微笑み元気に振舞っていたし、罹患前と変わらず特技の強揉みで、男性のお客様からもよくご指名をいただいていた。

しかし、わずか40分の施術でもぐったりとしてしまい、お客様のいない時間はタイ古式の施術をする部屋のマットで横になり、体の回復を図っていた。

一カ月、二カ月・・・そんな日々が続いた。

「まぐさん、いつになったら治るの?」

そんな囁きも聞こえるようになってきた頃。

私の体は更に悪化していった。
まず、指が腫れて力をこめられない。
ヘッドケアやあかすりの洗髪の時、とても苦痛を感じるようになった。
体への施術でも、あかすりやオイルトリートメントといった腕をよく動かす施術で、自分の腕がどんどん重くなり動かなくなっていくのを感じた。

しんどさに耐えながらする施術は、お客様にはどう感じられていただろう。
痛み、だるさ、脱力感。
後遺症は、仕事へのやりがいを苦痛で上塗りしていった。

その年の夏は、とても暑かった。
私は、浴室に設置された蒸し風呂のような環境のあかすり場でお客様の体を懸命に擦り、施術をしていた。

耐えがたい暑さとしんどさで何度も倒れ掛かったが、あかすりに関しては一年生だったので、必死だった。

悪化が顕著だったのは、その夏だった。

どんどん、歩けなくなった。
痛みは、増していく。
重いものを持ち上げることができない。
全ての動作が、しんどい。

彼岸花が咲くころには、私は駅から職場まで歩く僅かな距離ですらまっすぐ歩けなくなっていた。

やっとのことで自宅に帰ると、どうしようもない疲労感とつらさで涙が出た。

考え抜いた末、もう働くことはできぬと上司に思い切って連絡をした。

「人が足りていないから、悪いけど休ませるわけにいかない」

上司の返事を聞いた秋の入り口のその日、私はやっと自分を守ろうと身を引く決意をした。

守るというより、もう体がセラピストとしてまともに機能しなくなっていた。

***

夏になる前頃に身を引けていれば、今頃私はセラピストとして復帰できていたかもしれない。

自分の足で歩いて、瑞々しい輝きを放つ植物達を写真に収める趣味を、好きな時に好きなようにできていたかもしれない。

体重だって、元のままで自分の体を誇りに思えていたかもしれない。

頑張らなければ、今頃苦痛なく生きられていたかもしれない。

でも、全ては終わってしまったこと。

今この瞬間の私は、あまりに変わり果ててしまった。
仕事も、体も、心も行動範囲も。

それでも、受け入れて生きる。
いつかこのトンネルから抜け出し、幸せで苦痛を上塗りする日が来ることを待ち望みながら。



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