子宮頸がんワクチンの安全性に関する誤った情報に流されないために
最近、Twitterで「ワクチン」と検索すると厚生労働省へのリンクが表示されるようになるなど、ワクチン関連の話題を目にする機会が増えてきたように思います。
NHKでも先日、世界的に麻疹 (はしか) の流行が広がっている原因の一つとしてワクチン拒否の実態が取り上げられており、公衆衛生の観点からもワクチンへの理解を深めていく必要性を感じます。
例えばこちらの記事では、ワクチン拒否の考えを変えるには「実際にその病気で苦しんだ患者から体験談を聞くこと」が効果的だという研究結果が紹介されています。
「実際の患者から体験談を聞くこと」が反ワクチン派の意見を変える
GIGAZINE
WHOも1月に、公衆衛生上の10大脅威の一つとして「ワクチンの躊躇 (忌避)」を挙げていますが (*)、そこでは信頼できるワクチン情報を医療従事者が提供できるよう支援していく必要があるとの見解が示されています。
ワクチン全般の接種率向上のためには、ワクチンに対する不安を取り除き、信頼を高めていくことが重要になるでしょう。
(*) 一部では「反ワクチン運動家」が挙げられたとの記述があるがこれは誤り。
その一方で、HPVワクチン、いわゆる子宮頸がんワクチンを取り巻く状況は、他のワクチンへの反対運動とは異なる点があります。
まずはこちらをご覧ください。
Ⅷ. 脳と自律神経の症状を呈する新病態 1. ヒトパピローマウイルス (子宮頸がん) ワクチン接種後にみられる中枢神経系関連症状
高橋 幸利; 松平 敬史; 笠井 良修 (静岡てんかん・神経医療センター)
日本内科学会雑誌, 2017, 106.8: 1591-1597
これは2017年に日本内科学会雑誌に掲載された論文で、HPVワクチン接種後に全身の痛みや不随意運動 (体が勝手に動く)、記憶障害などの症状が出た32人の髄液を検査した結果、サイトカインという炎症に関係する物質の増加や自己抗体などの異常が認められたという内容です。
HPVワクチンは、子宮頸がんの原因とされるヒトパピローマウイルス (HPV) の感染を防ぐ目的で開発され、子宮頸がん全体の約6~7割を予防できると考えられています。
日本では2013年4月に、小6〜高1の女子を対象とした定期接種になりましたが (*)、接種後に全身の痛みなどの報告が相次いだことから、厚生労働省は同年6月に積極的に勧めることを中止しています。
接種自体は現在も可能ですが、一時期70%を超えていた接種率は1%未満にまで減少しています。
(*) 公費助成は2010年に開始。
その後、厚生労働省の疫学調査の結果が公表されたり、2017年にHPVワクチンを推進する立場のジャーナリストが賞を受賞したこともあって、ワクチンと接種後の症状に因果関係がないと結論づけられたような印象を持っている方も多いかもしれません。
しかし、実際には因果関係は否定されておらず、上記のような症状から回復していない女性も多くいるのが現状なのです。
仮説の分類
HPVワクチン接種後の症状に関して、「因果関係の有無」と「心因性かどうか」の論点がよく混同されていますが、その点を分けて考えると仮説は以下の4パターンに分けることができます。(このリストはご自由にお使いください)
A. 因果関係なし / 機能性身体症状や心因性疾患
B. 因果関係あり / 機能性身体症状や心因性疾患 (接種時の痛みや不安による)
C. 因果関係なし / 線維筋痛症や自己免疫性脳症など
D. 因果関係あり / 自己免疫性脳症など
現時点では、厚生労働省はAまたはBを支持しています。
病態について
HPVワクチン接種後に現れた症状というのは具体的にどのようなものなのでしょうか。
ヒトパピローマウイルスワクチン接種後の神経症状は, なぜ心因性疾患と間違われるのか
高嶋博 (鹿児島大学)
神経治療学, 2019, 35.4: 536-542
鹿児島大学病院を受診した36人の解析では、
・ 頭痛, 全身の痛みなどの疼痛 - 89%
・ 手足の脱力, 不随意運動などの運動障害 - 72%
・ POTS, 発汗障害, 尿閉などの自律神経症状 - 64%
・ 記憶障害, 学習障害, 視力障害
・ 視床下部症状と考えられる月経異常, 乳汁分泌, 睡眠異常, 強度の羞明 (眩しさ)
などがみられています。このうち、不随意運動はミオクローヌス, 振戦, ジストニア, ジスキネジアなどで、発汗障害は体の一部にしか発汗がない例もあるとのことです。
検査では、
・ 髄液抗GluR抗体 - 測定した8例中7例で陽性
・ 皮膚生検 - 63%で表皮内神経線維密度が低下、ほとんど神経線維がみられない症例もあった
・ 抗ガングリオシド抗体 - 33例中39%で陽性
・ 抗gAChR抗体 - 33例中24%で陽性
などの異常が認められています。
これらの異常はワクチンとの因果関係が証明されたわけではありませんが、本来は体を守るはずの免疫系が脳などを攻撃して炎症が起きる自己免疫性脳症の一種とみられています。
橋本脳症やAQP4・MOG抗体陽性などの自己免疫性脳症に準じて、免疫吸着療法やアザチオプリン、プレドニゾロンなど免疫の暴走を抑える治療を行った結果、23例中13例で著明な効果を認め日常生活にも復帰できています。
(9/10 追記)
また、信州大学とイスラエルのテルアビブ大学・ドイツのCell Trend GmbH研究所の共同研究では、HPVワクチン接種後患者において複数の自律神経受容体 (α1, α2, β1, β2 adrenergic receptor & muscarinic Ach receptor) に対する自己抗体が有意に上昇していることが判明しています。
子宮頸がんワクチン接種後に生じた症状に関する治療法の確立と情報提供についての研究 研究報告書
2019
ワクチンとの関連を否定する意見への疑問
1. 報道による集団ヒステリー?
HPVワクチン接種後の症状は、テレビ報道によって引き起こされた集団ヒステリーではないかという見方もあります。
しかし、鹿児島大学や信州大学の症例では発症のピークは2012年頃で、これはHPVワクチンに関するネガティブな報道が始まったとされる2013年3月よりも前です。
また、同様の症状は日本だけでなくスペイン、イギリス、コロンビア、アイルランド、台湾など海外でも報告され問題になっています。
2. 失神は他のワクチンにもある?
一般的に注射や採血の際には、痛みなどによる迷走神経反射で失神などの症状が起きることが知られており、HPVワクチンも例外ではありません。
しかし、迷走神経反射は通常注射の直後に現れ、数分程度で回復する一過性のものがほとんどです。
HPVワクチン接種後の症状として本来問題になっている失神や運動障害は長期にわたって持続するものなので、迷走神経反射とは性質が異なります。
一過性の迷走神経反射がHPVワクチン以外のワクチン接種後にもみられたからといって、副反応全体を否定したことにはならないので注意が必要です。
3. 認知行動療法で治る?
厚生労働省の研究班の一つである牛田班は、HPVワクチン接種後の慢性の痛みに対して、物事の捉え方を前向きに変える認知行動療法的アプローチで治療を行い、7割の患者で痛みが消失または軽快したと報告しています。
この報告だけを見ると、HPVワクチン接種後の症状は認知行動療法で治るように思えるかもしれません。
ですが、先ほど挙げたようにHPVワクチン接種後の症状は痛みだけではなく不随意運動、記憶障害など様々です。
実際に牛田班の病院を受診した方が「痛み以外の症状に対しては何もできない」と言われ治療を断られたという声もあり、私が調べた限りでも痛み以外の症状が認知行動療法的アプローチで治ったという報告はありません。
4. 「心因性」という診断の問題点
HPVワクチン接種後の症状は、心因性疾患でよくみられるような症状に似ているため、身体症状症 (身体表現性障害) や転換性障害 (以前はヒステリーとよばれた)、解離性障害など、ワクチンとは無関係の心因性疾患 (仮説A) とする見方もあります。
これらの疾患は、身体的な異常がないにも関わらず疼痛や運動障害、自律神経症状、記憶障害など様々な症状が現れるというもので、いずれもストレスなどが原因と考えられてきました。
しかし近年、脳神経内科領域の研究が進むにつれ、従来は心因性とされてきた中に、実際は橋本脳症やNINJAなどの自己免疫性脳症が数多く存在することがわかってきています。
そのため、症状が心因性に似ているからといって、特に心因も見当たらないまま安易に心因性と診断してしまうと、自己免疫性脳症などの脳疾患を見落としてしまう危険性があるのです。
元をたどれば気管支喘息、重症筋無力症、ギラン・バレー症候群、多発性硬化症、抗NMDA受容体脳炎など多くの疾患がかつては心因性と考えられたものの、のちに原因が判明したという歴史があり、安易に心因性と決めつけてしまうことの危険性がお分かりいただけると思います。
実際、HPVワクチン接種後の方の多くも最初は心因性と診断されていましたが、心療内科的治療では改善せず、脳神経内科の専門医が自己免疫性脳症を疑って精査したところ、髄液や自己抗体、末梢神経などの異常が発見できています。
5. 線維筋痛症との違い
線維筋痛症は、ワクチンに関係なく国内に約200万人の患者がいると推定される病気で、全身の激しい痛みが主な症状です。
HPVワクチン接種後の症状はこの線維筋痛症と似ているので、一部ではワクチンとは無関係の線維筋痛症 (仮説C) ではないかという意見もあります。
しかし、線維筋痛症では通常、重度の記憶障害や不随意運動、幻覚・幻聴などの症状はほとんどみられません。
また、線維筋痛症の専門医である横田俊平医師・西岡久寿樹医師らは、線維筋痛症の診断基準を満たすものの線維筋痛症だけでは説明がつかない10代の女性患者が2012年頃から突然増え始め、その共通項を探すと全員がワクチン接種後に発症していることがわかったと話しています。
当初は、医師も本人もまさかワクチンが原因とは思いもせず、あとからワクチンとの関連が浮上したとのことなので、「最初からワクチンが原因だと思いこんでバイアスがかかった」という可能性は否定的です。
6. 元々思春期によくある症状?
HPVワクチン接種後の症状は、ワクチン導入前から元々思春期によくみられた、ワクチンとは無関係の症状ではないかという指摘もあります。
その根拠としてよく取り上げられるのが、厚生労働省の祖父江班が2016年に行った疫学調査で、確かに「非接種者にも接種者と同様の『多様な症状』を有する者が一定数存在した」と結論づけられています。
全国疫学調査 調査結果
祖父江友孝
2016
全国疫学調査 追加分析結果
祖父江友孝
2017
ただ、この調査は一部の病院を受診した患者のみを対象としたもので、ワクチン接種者と非接種者のうち「多様な症状」を有する正確な割合はわからないため、因果関係には言及できないとの記載があります。
簡単に言うと、「この調査結果からは因果関係があるともないとも言えない」ということです。
さらに、ここで使われる「多様な症状」という言葉は定義自体が曖昧で、結果的に接種者の「多様な症状」と非接種者の「多様な症状」は内容が全く違うものになっているという点も指摘されています。
こちらのグラフをご覧ください。
これは調査結果p17-18のグラフをわかりやすくしたものですが、例えば光過敏, 全身痛, 記銘力低下, けいれん, 振戦の症状は、接種者での頻度が非接種者の5倍以上と突出しているのがわかります。
結論では「非接種者にも接種者と同様の『多様な症状』を有する者が一定数存在した」と書かれていますが、見ての通り各症状の頻度は非接種者と接種者でバラバラなので、これを「同様の症状」とするのは適切ではありません。
よって、この結果は「ワクチンを接種しなくても同様の症状が起きる」ということを示せていないので、因果関係を否定する根拠にはならないと考えられます。
また、鹿児島大学は2018年5月の学会発表で、この2年間同じ症状の新規患者はおらず、県内の他の病院に問い合わせてもゼロだったと報告しています。
仮にワクチンと症状が無関係なら、積極的な接種が行われなくなった現在も同じ症状の患者が一定数発生するはずなので、これはワクチンとの関連を示唆しているといえます。
7. 「有意差がない=因果関係がない」は間違い
HPVワクチンは、臨床試験や疫学調査では接種後の症状の発生率に「有意差がみられなかった」ため、それを根拠に「因果関係がない」とする意見も多くみられます。
しかし、本来これは統計的有意性に対する誤った解釈です。
「“統計的に有意差なし”もうやめませんか」 Natureに科学者800人超が署名して投稿
ITmedia NEWS
そもそも統計的仮説検定では、「帰無仮説」と「対立仮説」という概念が用いられます。
例えばワクチン接種と症状の関連を調べたい場合、まず
a. 帰無仮説 (否定したい仮説)
ワクチンと症状は関係がない
b. 対立仮説 (主張したい仮説)
ワクチンと症状は関係がある
という2つの仮説を立てます。
そして、検定手順を踏み、「帰無仮説が間違いだと確信できる」という結果 (有意差あり) が出た場合は、帰無仮説を棄却、対立仮説を採用し「ワクチンと症状は関係がある」という結論になります。
一方で「帰無仮説が間違いだと確信できない」という結果 (有意差なし) が出た場合、帰無仮説は棄却できないのですが、この場合「帰無仮説が正しい」ということは示せていません。
つまり、「ワクチンと症状は関係がない」という仮説は「棄却できない」だけで、「正しい」かどうかはわからないのです。
HPVワクチン推進派・慎重派それぞれの見解をまとめたものがこちらです。(ご自由にお使いください)
HPVワクチンの最大の問題点
薬やワクチンに副作用・副反応が存在するのは避けられないことです。しかし、HPVワクチンの場合には他のワクチンとは大きく違うところがあります。
それは治療体制が整っていないということです。
例えば、ワクチン全般の接種後には、稀にADEMやギラン・バレー症候群などの重篤な神経障害が起こることもありますが、これらの疾患は比較的よく知られているので、早期の診断・治療によって回復する場合がほとんどです。
一方で、HPVワクチンの接種後に全身の痛みや不随意運動、記憶障害などの症状が出た方の多くは、医療機関を受診しても詐病扱いや診療拒否などで病院をたらい回しにされ、適切な治療を受けられないという状況が実際に起こりました。
因果関係の有無はわからないにしても、ワクチン接種後に症状が出たという場合に、全国どこでも適切な治療を受けられるような体制を構築していくことが必要ではないかと思います。
まとめ
HPVワクチン接種後の症状は、現時点ではワクチンとの因果関係が証明されたわけではありませんが、免疫異常の報告や症状の特異性などを踏まえるとその安全性には懸念が残ります。
その一方で、国内では年間1万人が新たに子宮頸がんを発症し3000人が亡くなっているという現状があり、こちらの対策も不可欠です。
京都大学は先日、子宮頸がんの原因となるヒトパピローマウイルス (HPV) の増殖を抑える新薬の治験を開始したと発表しました。
現状では、子宮頸がんの手前の子宮頸部異形成が検診で発見できても、軽度の段階では経過観察のみで、高度異形成に進行した場合も手術以外の方法がありません。しかし、この新薬の投与によって手術より前の段階でウイルスの増殖を抑え、進行を防ぐことが可能になるということです。
治療のためには、定期的な検診による早期発見がより重要になってきますが、日本における子宮頸がん検診受診率は、欧米の70〜80%に比べて40%台と低いため、検診を受けやすい環境の整備が今後の課題です。
HPVワクチンで子宮頸がんを防ぐ重要性に対して異論はありませんが、接種後の症状に対する治療法が確立していない現時点において積極的な勧奨を再開することはリスクが大きいと考えられます。病態の解明が進み、一日も早く治療体制が確立されることを願っています。
(ご指摘等あればコメント欄へどうぞ)
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