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私が「今」旅をする理由

2022年10月からヨーロッパに留学するもまさかの全授業がオンライン化。
そこから私は、パソコンを片手に、夢だったバックパッカーを始めました。
このnoteでは、私が「今」旅する理由を、以下の内容でお伝えできればと思います。

⚠注意⚠
めちゃめちゃ長い。暇な人以外読まんでくれ。(笑)

  1. 私の過去、私の「生きづらさ」、そして海外へ

  2. 大学生のうちに旅をする理由

  3. これからどんな旅がしたいか?キャリアプランとともに

1.私の過去、私の「生きづらさ」、そして海外へ
私は、静岡県静岡市で生まれ、普通の公務員の親の元で育ちましたが、
親の転勤の関係で「少しイレギュラー」環境で幼少期を過ごしました。
保育園は、梅ヶ島という温泉が有名な静岡市の山奥の村の保育園に通っていたのですが、10人ほどの同級生の中でなんと女児は私だけ。

写真のポーズはいつも仮面ライダーのポーズでしたし、
よく女の子たちがしている?笑おままごとの相手はいませんでした。
いつも違う男の子の友達とかけっこをしたり、虫を捕まえたり。

とはいっても、毎週日曜日のプリキュアは楽しみにしていましたし、
バレンタインにはお気に入りの男の子にチョコを作っていたりしました。

女児が私だけの環境で、特別かわいがられていたのかもしれないですが、
その時は寂しさや不満を感じたことは一切なく、
むしろ自分が女子一人で
ほかの親御さんや先生に同情されたりしていることにも全く気付いていませんでした。


しかし、小学校から市内中心部の小学校に通うことが決まり、
ここで自分の育ち方に「違和感」を感じるようになりました。
その根底にあったのは、日本の学校の「グループ」制度。
ある日友達に言われた言葉。

「何で今日、遊びに来なかった?」

それは、入学当初に仲良くしていた女の子5人組の1人から言われた言葉でした。
当時おそらく、仲良くしていた5人組は、昼休みになると毎日同じ場所(砂場かどこか)に集合し、遊ぶような風習があったのですが、
普通に気分じゃなかったので、私がその場所に行かなかった日があったんです。
元々、10人の少人数の中で自由に保育園時代を楽しんでいた私にとって、
40人の中で固定化された5人組という概念そのものが理解できませんでした。

「私たちと遊ぶのいやなの?グループから抜ける?」

と言われ、正直ドン引き。なんと返したのか忘れてしまいましたが、
このあたりから都会の人間関係が嫌いになりました。

口を開けば誰かの悪口、違う人と遊べば仲間外れなんて言われたり、
そのせいで誰かが傷つくことは勿論わかってはいましたが、
自分が自分でいられないもどかしさでいっぱいでした。

今でもこのような「グループ」制度は日本の学校に残っているんでしょうか。
私は1年間、仲のいい友達はいたけれど、日本の学校に馴染めないまま、小学1年生を過ごしました。


そして、小学2年生から海外に行くことになります。
そう、実は私は、「エセ」帰国子女です。
2008年から2011年の3年間、父親の転勤でアラブ首長国連邦の首都アブダビに住んでいました。
なぜ「エセ」なのかというと、当時はインターナショナルスクールに通っていたわけではなく、日本人学校に通っていたため、特段に英語ができるわけではないからです。
(TOEICも、830点くらいしかないです)

当時通っていたアブダビ日本人学校は、小中一貫で、全児童生徒は30人ほど。
各学年の児童・生徒数は、多くて10人、少なくて1人というまさに少人数教育でした。

日本の小学校で大人数の中での教育を1年間受けていた当時小2の私は、かなり自分勝手な子になっていました。
日本の教育では、一人ひとりにまじめに向き合う時間がなかなか取れないので(これは、批判ではなく個人的な経験に基づく比較です)、
私一人の行動が何か集団に大きく影響することはなかったからです。
自分の行動には特に意味はないと思っていました。

しかし、そんな私の意識を変えたのは、転校して初めての全校集会です。

クラスメイトと一緒に体育館に向かっていましたが、私は途中で教室に体育館シューズを忘れていたことに気づき、一人遅れて体育館に行きました。

私は「あーめんどくさいな~」くらいにしか思っておらず、集会が始まる時間が過ぎてだらだらと体育館に歩いていましたが、体育館に入ると、誰の声も聞こえず、シーンとした雰囲気でした。全員が、私が来るのを待っていたのです。

担任が、「遅れてごめんなさいって言うんだよ」と私にささやき、生きた心地もせずそう言いましたが、集会の間私は衝撃で頭がいっぱいでした。

全校生徒が、私の為だけに、待っていた?

日本の学校で何も考えず諦めながら生きていた私にとっては、
理解ができないことでした。

この出来事から、「私自身」の存在について考えるようになったのかもしれません。

日本人学校での生活は、小1からみんな委員会に所属し、
行事もみんなで計画して進めます。
そこでは学年はほとんど関係なく、小学生が中学生に意見を言うこともありました。
個性が育ち、皆が伸び伸びと生活しながらも、他人を尊重して決して否定しない。
良くないことがあるときは、素直に言う。
そんな人間関係ができていました。
小学生と中学生が一緒にサッカーをしたり、
一緒にマンガを読んだり。
お互いがお互いを認めて尊敬して生活するので、
私たちは誰かが旅立つとき必ず「別れの会」というものを開催していたのですが、皆が毎回号泣。


こんな環境で学べた3年間は、私にとって貴重でした。
日本の小学校1年間でフワフワしていた私の「自分」という存在に対する迷いは、この3年間で消えました。
自分は自分でいていい、と周りが認めてくれたからです。
自分という存在について見つめることで、初めて周りの人たちの暖かさが見えるようになりました。

さらに、海外にいた間、日本では東日本大震災が起こりました。この出来事も、私がその後海外に興味を持つきっかけの一つになります。後ほど詳しく書きます。


そして、小学5年生で日本の学校に戻りました。そこから現在まで、日本の教育機関で教育を受けています。
小5で小1の時と同じ小学校に戻ったときは、「グループ制度」の残像のようなものも感じましたが、ただ自分が自分でいていいという自信があったので、嫌ならいやという、しっかり自分の意見を伝えて、行動にすることを意識していました。あまりにも素直すぎて猫を被ったりできなかったので、部活の先輩に嫌われたり、状況も知らないのに怒られたりしたこともありましたが、それでも「私自身」を信用してくれる人は多かったです。というか、あまりにもはっきりしているから、変に考えを推測する必要がなく、分かりやすいひとだったから、ストレスなく人間関係を築けていたのかもしれません。もちろん友達と喧嘩したことはありましたが(笑)

ここまで読んでくださった方は、「あれ?海外関係なくね?笑」と思われたかもしれません。

なので、海外に興味を抱くようになったきっかけをここから話します。

まず、海外に興味を持ったきっかけは、複数あるのですが、私の母親がかなり海外旅行好きであるということが大きいです。
海外赴任の前にも、年1回くらいの頻度で家族旅行に行っていました。
そして、海外では「自分が自分でいていい」という私の小学校の学びをより実感する体験が多かったです。
アメリカ、ヨーロッパが多かったですが、
言語も文化も見た目も違う自分が同じように生活できる。
人々が話しかけてくれる。見るものすべてが美しい。
同じ人間が、全く違う方法で暮らしているのが不思議で、面白くて、毎回旅行がワクワクしました。

さらに、ここでアブダビにいた時に東日本大震災が発生したエピソードがこの海外への興味を加速させます。

忘れもしないです。
私は当時小4、早起きしてパソコンでゲームをすることにハマっていました。
でも、3月11日だけ、いつも休日は寝坊が趣味な母親が急に走ってきて、「テレビつけて!」深刻そうな顔で言いました。チャンネルはNHKworld。そこに映っていたのは東北を襲った津波の映像でした。
私は人生初の津波で、何が起こっているのか全く分からず、それが今の日本の状況であることも理解できませんでした。

しかし、その感覚を実感のあるものに変えてくれたのは、現地の外国人です。

エレベーターですれ違った人が、「お前、日本人だろ。お前の家族は大丈夫なのか。」と急に声をかけてくれる。
警備員のおっちゃんが、「日本のニュース見たよ。俺に何かできることがあったら教えてくれ。」と優しい声掛けをしてくれる。

逆の状況だったら、日本人は外国人に声をかけることができるだろうか?
たぶんほとんどの人ができないでしょう。
今ロシアとウクライナの問題があると思いますが、その問題に対して少しでも現地の声を聞こうとした人はいますか?
こういう、日本人にはできないことを、アブダビで出会った、外国人はしてくれました。
当時私は小4でしたが、なにか海外の人に対して誤解を抱いていたような申し訳ない気持ちになったし、すごく感動したし、嬉しかったです。

こうして順調に育っていった私の「海外に対する興味」ですが、
高校生の時にタイのスラムや農村での教育ボランティアに参加したことで、国際教育について深く学びたいと志すようになり、一浪はしたのですが(全く苦じゃなかった笑)東京外国語大学に合格することができました。

しかしここでコロナウイルスが世界中を襲います。
趣味だった海外旅行が難しくなり(コロナ前は高校生だったので親のお金で、だったけど。)ストレスの昇華先が分からなくなってしまいました。
また、楽しく過ごしてはいたものの徐々にモチベーションを失い、
毎日の繰り返しにハッとした時には私の自我みたいなものが崩壊していました (笑)
当時半年後にはなくなる、と言われていたコロナが全然収まらなくて、夢だった留学もできないかもしれない。そう思うと、自分の未来が暗すぎて、何もうまくいく気がしませんでした。それでも大学の単位は取らないといけない。卒業しないといけない。疲れた。私が好きなものってなんだっけ?

とにかくこのネガティブな気持ちをやめたかった。
私は、我慢できなくなって、2022年GWにバンコクに1週間一人旅に出ました。実に2年ぶりの海外でした。

周りで海外に出る人はいなかったので(当時タイ入国にもPCRと隔離が必要なほどだった)、周りには言わずに、ただ一人ノープランで飛行機に乗りました。

そして、ここで、1人の日本人と出会いました。彼は、今は社会人ですが、元バックパッカー。
大学生の時に休学し、バックパック一つで海外に出たが、まさかの1国目のフィリピンで家族ぐるみの詐欺にあい、全財産を失う。1ヶ月後のバイトの給料日まで、生活するお金はなく、日本に帰国するしかない、という状況にもかかわらず、彼がした行動は「水上で暮らす民族との共同生活」でした。

コロナで疲弊していた私の脳には、この大胆さがきらきら、あまりにもきらきらしていて見えました。

他の方に共感していただけるかわからないのですが、「自分の可能性を信じる」みたいな、コロナで失った考えが、彼を通じて自分に湧いてきたんです。そしてこの頃からバックパッカーへの憧れなんかも抱いちゃっていたわけですが (笑)

残りの大学生活、頑張って充実させよう!とポジティブになれました。

そして、海外に留学が決まり、学びたいことを学べる大学にご縁を頂けたのですが、まあここで授業がオンラインになってしまいまして、留学先でコロナ禍のように引きこもり生活をしていてもあまりメリットを感じなかったので、夢だったバックパッカー挑戦に至りました。

「自分らしくいていい」という幼少期の学びをコロナで失いかけた私に、自分の可能性を信じる手段としてでてきたのが、バックパッカーという選択だったのかもしれないです。
旅を半年以上続けてきて、この可能性とは、「自分の思考の柔軟性、豊かさの可能性」みたいなものが大きいと感じています。

2.大学生のうちに旅をする理由

大学生のうちにバックパッカー旅をする、利点は何でしょうか?
結論からいうと、大学生のうちに旅をしていて、よかったことは時間がとりやすいこと以外ありません。
でも、大学生というお金がない身分で旅をしたことによって、今まで普通に旅行しているだけでは見えてこなかった世界の良さが見えるようになりました。

先ほども言った通り私にはお金がないので、泊まる宿のほとんどはドミトリー、カウチサーフィン(現地の人のホームステイ)です。今のところ7か月旅をして、ホームステイは20回ほど経験しました。
現地の人と交流する機会が増えたことで、その国の社会問題や、日本についてのイメージについて話すことが増えました。
日本に対して好印象を抱いている人が世界でほとんどだと思うかもしれないですが、そうではない人も正直いました(主には過労についてが多かったです)。日本人が嫌いだと言ってくる子もいました(小学校のボランティアにて笑)。
地元のローカルなご飯屋さんに一緒に行ったり、誰も知らない公園で夕焼けを一緒に見たり、トレッキングをして果物をもぎ取って食べたり、家庭料理を一緒に作ったり、恋バナなんかをしたり、普通にホストと喧嘩したこともあります(笑)
観光客でいるだけでは見れなかった世界のいろいろな側面を感じたことで、自分の中の「固定観念」がどんどん溶けて、人と人が生きているこの世界は、ほんとにおもしろいな、もっと知りたいし、自分の知らないことはまだたくさんあるんだろう、と考えるようになりました。

もちろん私は行先を決めるときに観光地ばかり行くし(だって見たいんだもんwww)、観光客が食べるものも普通に食べますが、貧乏旅を通じて、海外の美しさは、そこにすんでいる「人」であると考えるようになりました。

たとえ観光地に行くときも、その人々の暮らしを見てみたい。他人について、もっと知りたい。
ただの趣味だったかもしれない旅行が、東日本大震災の時に感じた暖かさと少し繋がり、「ひと」について知る手段に変わりました。

また、ひとについて知ることは、自分を知ることでもあります。人の話を聞くと、「自分はこうだな」「自分はこう思っていたけどそういうパターンもあったのか」「自分にもこんなことができたんだ」と知らない自分に会う機会をもたらし、自信につながります。

美しい自然や繊細な建築物を見て、癒されることも旅行の醍醐味です。もちろんこの側面も、私が旅行が好きな理由だし、実際に私のマインドはいつも旅行を通じてリフレッシュされます。
でも、大学生の貧乏バックパッカー旅行で、旅は人を知ることでもある。そんなことを学ぶことができました。

3.これからどんな旅がしたいか?キャリアプランとともに

これは私にとってとても難しい問題です。
なぜかというと、日本の労働下では、やはり長期休みを取ること自体難しく、旅行と仕事の両立、本当の意味での両立、はできないからです。できる人もいるけど、私にはまだ強みやスキルがなく不可能です。

結論からいうと、今の自分の性格に一番近いのではないかと考えた外資系コンサルに内定を頂いたため、2024年からそちらで働くつもりです。
色々考えた結果、コンサルという立場で観光業や、大学で専門的に勉強した教育業に関わりたいと思うようになったことが背景にあります。
まだ先のことはわからないですが、旅行を仕事にして、また自分の生きがいにもする。そんな生き方のために、しばらくは頑張りたいです。
(自由LOVERな私が平日朝9時から毎日働ける気がしないのが今の正直な気持ちですがwww)

そして、入社はおそらく8月なのですが、それまでは日本でお金をためながら、
社会人になってから何が何でも月一で旅行に行くための節約術、専門知識を勉強する期間にし、さらに日本に帰ったらいいカメラを分割で(この考えも超安定志向だった日本での私にはできなかった)買って写真の勉強もします!ちょっとだけインスタも頑張りたいな^^
また年末からは北欧旅行、ニューヨーク年越し、カリフォルニアディズニー、卒業してからは南米周遊を本気で考えていますので、まだまだ旅も楽しむぞ♡

世界には様々な美しい景色や人のやさしさ、逆に目を背けずに考えなければいけない現実もあります。そんな学びやマインドの変化をもたらしてくれるのが、旅行ですよね。

以下、私が旅行を通じて自分に求める変化です。
①世界の人、街、自然の美しさを知る。
②世界の人、街、自然の問題を知る。
③私が幼少期から意識していた「自分らしく生きること」を信じ続けること。

そして他者に向けて発信したい旅行の魅力です。
①世界の人、街、自然の美しさで癒されてほしい。
②世界の人、街、自然の問題を知って、できることを一緒に考えたい。
③さまざまな文化圏や人の笑顔に触れることで、「自分」という人間が関わることのできる世界は大きいのだということを知ってほしい。

私はただの普通の特別取柄もない人間ですが、海外での経験によって、「自分の生きやすさ」を知ることができました。
世界には、いろいろな人間がいて、みんなそれぞれ今を生きている。
日常では他人かもしれないけど、その人たちに気づかされること、勇気をもらうこともある。
皆が、自分らしさを大切にして生きているから、この世界は色々で美しい。

色々書いてしまってわかりにくいと思うのですが、旅を通じて、海外を通じて、私の人生は本当に豊かになったし、これからの人生も楽しみです。
記事を読んで、皆さんが「次の夏休みは、どこか遠くに行ってみようかな」と思ってくれたら嬉しいです。

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