宝塚という枠を超えた銀ちゃんの恋〜その5〜

はい、ずいぶん間が空きました。
(突然絶筆するパターン)
うかうかしている間に神奈川千秋楽を迎えてしまい、呆けておりました。
そうしている間になにを書くべきか見失うという。
ハハハハハハ!あ〜あ。。(銀ちゃん風乾いた笑い)
よし、気を取り直して!

銀ちゃんの孤独

この物語を成立させるための核のひとつに、銀ちゃんの底しれぬ孤独があると思うのです。
お芝居の中で数回、「子役あがり」という言葉が出てきます。
銀ちゃん自身にも「オレのこと、子役あがりだと思って馬鹿にしてんだろ!」と言わせることで、銀ちゃんの生い立ちや取り巻く環境、抱えているコンプレックスを示しているわけですよね。

きっと、天才子役だなんだと幼少期からもてはやされ、親は子供を金づるとしか見なくなり、仕事場では打算しかない大人たちに囲まれ、なまじっか天才天才と言われてきただけにちゃんとした演技を学ぶこともなく、スターとはこうあるべきだという思い込みで育ってきてしまった。
でも生来の頭の良さと繊細さで、自分が置かれている環境、周りの評価、このままでいいのか、そういうことはちゃんと感じ取っている。(でも絶対にそれは見せない)
だから慕ってくれる子分達をそばに置いて、なんだかんだ文句を言いながらも面倒を見ることで自分の存在意義、存在価値を確認している。(無意識に)

と、ここまで書くと本当にただの嫌な奴なんだけれど、天性の愛嬌、人懐っこさゆえに周りもほっとかない、放っておけない、愛すべきキャラとして成り立ってるんですよね。

でもやっぱり彼の本当の孤独は誰にもわからない。
小夏にさえ、ましてやヤスにも本心を吐き出せない。
オレだって辛いんだよ、と口では言うけれど、心の奥底の寂しさは到底誰にも伝わらないことを理解しているし、言うつもりもない。言ったところで下手な同情や哀れみを受けるなんてまっぴらごめんというプライド。

それでもどこかで、ヤスには、小夏には、わかってもらえていると思っていた、その2人すら離れていく、その言いしれない孤独。

みなみさんが歌う「ひとり」、その声にはさみしさ、弱さ、辛さ、プライド、、それらが全て乗っていて、ストレートに伝わってきました。

これが「芝居をする」ということだなと。
けして憑依型の役者さんではないと思うのです。
丁寧に丁寧にその役の感情や気持ちをトレースして作り上げていく、実直な、真摯な役作りの上に成り立っている銀ちゃんなのだと感じました。
だけど舞台上ではその過程を微塵も感じさせることなく、倉岡銀四郎を体現している。
だからこちらもより胸打たれるのですよね。

まぁ、それもこれも水美舞斗の圧倒的なスターオーラが根底にあっての事ですが!(突然の乱暴な締めくくり)

いやー、書いても書いても書きたりませんね。。
あれ、その4で次は着流しだよ、とか言ったような…
うん、まぁ、そんなこともあるさ。

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