宝塚という枠を超えた銀ちゃんの恋〜その2〜

その1の続きです。(1の次は2です、知ってます)

その1読み返してみましたけど、段落タイトルと内容があってないね?!
もういい、勢いで書くのだ!


銀幕を彩ったスターたち

銀ちゃんを観ながらね、列挙するいとまもないほどクズエピソードてんこ盛りなんだけど、なぜか懐かしさ、親近感を覚えまして。(クズ男に懐かしさて、あーた)
そういやわたし、昭和の銀幕スター達、大好きだったじゃん、と。
萬屋錦之介、三國連太郎、丹波哲郎、千葉真一、エトセトラエトセトラ。。。

そんな胸を張って言えるほど作品を多く観ているわけでもないし、深く研究したわけでもないけど、飢餓海峡、点と線、砂の器、復讐するは我にあり、そして市川崑監督作品などなどが大好きで。
さらに(あまり大きな声では言えないけど)深作欣二監督作品も大好きなわけで。(でも言うけど)
そういった映画にたーんと出ていたじゃありませんか!銀ちゃんが!(銀ちゃんは出てないぞ)

好きが高じてその当時の俳優さんの自叙伝とかインタビュー本とか読みふけった時期がありましてね。そりゃもうアウトエピソードだらけなんですわ。
鶴田浩二と三國連太郎は役を取った取られたからの犬猿の仲で、佐藤浩市が鶴田浩二に「おめぇのとんでもねぇ親父よりお前はマシだな」と言われただとか、丹波哲郎の初体験の相手は家の女中さんだったとか(下品エピソードすみません)、市川崑監督は有馬稲子と長く不倫関係で、、とか、銀ちゃんなんてかわいいもんだ。(いや、よくはない)
(ちなみにこの辺のエピソードにご興味がありましたら「怪優伝」「大俳優 丹波哲郎」あたりをどうぞ。めっちゃくちゃ面白いです)

で、大幅に脱線したところで何を言いたかったかというと、石田先生がおっしゃっている「むき出しの本性」、どれほどの大スターであってもカメラからはずれたら一人の人間、エゴやら下心やら見栄やらプライドやら、ちっちゃいちっちゃい欲望に振り回されて生きているもんなんだ、でもそれが人間というものなんだ、ぶつかりあって、離れて、また引き寄せあって生きていくんだ、というテーマをね、水美舞斗の銀四郎は見事に表現していると感じたのです。

ですがもちろんそれは、まわりのヤス、小夏、子分たち、板の上の全員がいてこそです。

ということで、その3に続くよ!(絶対終わらないなこれ)


(この記事を書いている最中に千葉真一さんの訃報を知りました。大好きでした。ご冥福をお祈りいたします。。)

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