見出し画像

「子ども主体の保育」とは?

待機児童が大問題だったのは今は昔。現在は激減する子どもの数を眼前に「保育の質」がフィーチャーされるようになりました。その質のなかで重要視されているのが「子ども主体の保育」です。

「子ども主体って?」
「主体性を伸ばす保育?」
「子どもの好きなようにさせる保育?」
なんだか曖昧な感じがしますね。実際、保育者の中ですら迷いや誤解があるようです。

今回は著名な先生方のお話などをもとに、「子ども主体の保育」についてまとめていきたいと思います。


自分たちで考え決めさせる

「トントン前」で一列に並ぶ、先生の「お片付け〜」というピアノに合わせて一斉に片付ける。30代(20代も?)のパパ、ママでも「やった、やった」と思われるのでは? 号令に合わせて子どもを統制するやり方に疑問を持ったこともないと思います。

1日の予定や遊びについても、保育者が「これやるよ!」と指示を出してクラス全員を従わせたり、大人が考えたレベル感の遊びを大人が選んだりしていました。
そんな中で「やりたくない」といえば「問題児扱い」されていたでしょう。

しかし「子ども主体の保育」では、さまざまなことを子どもに任せ、自分たちで考え決めさせるのです。遊びも、行事も、園のルールでも。

例えば、これまでお遊戯会の演目やセリフ、時には配役まで保育者が決めていたとします。子ども主体で進めると、これらを全て子どもたちが話し合って決めます。お遊戯会をやらないという選択肢だってあります。

もちろん、年齢の低い子どもたちには話し合いが難しかったり、大きい子たちの中でも声の大きい子に流されてしまいそうになったりするでしょう。

そこは保育者がオブザーバーとして、子どもたちが自分の思いを伝え、相手の思いも聞きながら、どちらに引き寄せるでもなくみなが納得するようアドバイスすることも必要です。

しかし、保育者はオブザーバーやアドバイザーであって決定者でないことは心に止めておきましょう。

必要なのは環境と観察

「子どもがやりたいことであればなんでもやらせるのか?」というと、そうではありません。子どもが面白そうと思い、のめり込める”環境”を保育者があらかじめ作っておくのです。
作っておくといっても、ここに大人の「すべき」論や意図を入れてはいけません。

その環境を作るためには、子ども一人ひとりの興味関心が何なのか観察する必要があります。
目線を子どもに合わせ、子どもの思いだけでなく、思いが生まれた背景や、周囲との関係性などにも深く寄り添い”その子らしさ”を引き出していきます。

例えば、虫を好きな子がいれば、まずは虫に関する絵本を出しておく、お散歩のコースを虫のいそうな道にしてみる。次は捕まえて観察してみる。というように、興味の進み具合によっても環境を変えていきます。クラスのお友達にもその子が虫好きだということを話して巻き込んでいくと、さらなる発展があるかもしれません。

興味関心が知的なことに繋がり、遊びが豊かな学びの場になるのです。

また、みなが同じことをする必要もありませんから、教室内や園庭には自由に使える工作材料が置いてあるコーナーやブロックがたくさん置いてあるコーナーなどなど、趣の異なったコーナーがあり、おのおの集中して遊べる環境を用意します。

もちろん、保育者がテーマを持って子どもに何かしらの提案をしても構いません。むしろ、アイデアを子ども任せにするのは無責任。しかし、遊びなどを進めて行く中で、子どもたちからでたアイデアは保育者の提案内容から外れていくとしても尊重する。それが子ども主体です。

ただ、環境が整っていない状態で「好きにしなさい」といわれても、子どもたちは何をしていいかわからず、走り回っていることになるでしょう。これは子ども主体ではなく放任です。

子どもたちを見守る保育は子ども主体の保育の手段の一つではありますが、イコールではありません。

子ども主体にすると“わがまま”になる?

自分たちで決める、自由に遊ぶなどというと、「単なるわがままになりはしないか?」と不安の声も聞かれます。

しかし、自分たちが決めた自分たちのルールであれば守ろうとするし、不都合が起きた時に個の思考が育つといいます。

また、他の子らと互いに思いを伝えあい、協働して遊ぶ楽しさを知れば“わがまま”にはならないとも。

先に触れたように、保育者がきちんと観察していて、声の大きい子に流されそうになるところを、みなで思いを伝えあうようにしていれば、つまり子ども主体の保育を丁寧に行っていればわがままには育たないのです。

そもそも何をもって“わがまま”というのでしょうか?
仮に「集団生活において他の子たちと同じことをしたがらない」ことを“わがまま”と捉えているのであれば、それは大きな間違いです。

幼児期において最も尊重されるべきは“個”の育ちです。個が育つための集団であって、集団のための保育ではありません。集団も保育も主体的な個の成長を支えるためのものです。

また、協働性は主体性の延長線上にあるものなのです。

「子ども主体の保育」が求められる理由

以前は園の外側、つまり家庭や地域での生活の中で、子どもたち自身が考え遊ぶ機会がたくさんありました。そして、その遊びの中で学力(認知能力)とは違う力(非認知能力)が育まれていました。この非認知能力こそが生きていく上で必要な力、例えばコミュニケーション力だったり、アイデア力だったり、自主性・自発性だったりするわけです。

近年生活の中の子どもの遊び場がどんどん消えていき、そこで育まれていた力を教育の場で育てていかなければならない状況になってきたのです。

園での保育が従来通りの指示出しスタイルのままだと、社会に出ても指示待ちで受け身なまま。指示がなければ動けず、うまくいかない時にどう対処していいのかわからない大人になってしまう。それではいけないと発想の転換をおこない「子ども主体の保育」が保育の質の中でも重要視されるようになりました。

保育の質は、経済度の高さや幸福度の高さにも直結しているといわれています。「子ども主体の保育」は、目の前の子どもたちだけでなく未来の社会にとっても非常に重要なものなのです。

「子ども主体の保育」について、Mafficeの具体的な取り組みについては、次の機会に書いてみたいと思います。



マフィスで働いてみませんか?
マフィス公式Instagram
働き方も子育ても、もっと自由でいい
オクシイ株式会社コーポレートサイト



参考資料
https://www.youtube.com/watch?v=n2OARCXuuow

https://www.youtube.com/watch?v=KYRnQ-QqJiA

https://www.youtube.com/watch?v=AlC40cTq0WE



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?