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「糸」と唐茄子屋政談

 朝。蓮舫氏が都知事選に立候補すると知った。ふむ。なんとなく応援しようと思った。たいていなんとなく、である。なんとなくは説明できない。
 夕方。友だちと待ち合わせビールと餃子で乾杯した。近況報告。互いの無事と相変わらずのさえない暮らしを笑う。女性ホルモンの話をした。美容の話。ファンデーションは何を使っているかや髪の色はどうしているか。下着を買ったとか、高くて買えないとか。最近買った洋服の話。友だちはいつも「男はバカだ」という。「バカに惚れる女はさらにバカだと思う」とも言う。彼女はネイビーのデニムを履いていた。昔と比べ、ずいぶん痩せた。一歳か二歳のお孫さんもいるというのに、彼女は前よりいっそういい女になった。50代60代のいい女を見逃す手はない。熟した肉体はそのあたりの小娘にはとうていかなわない貫禄と色っぽい諦念をこれ見よがしに発散している。と、そう思いたいのはおそらく私だけか。

 ビールの後、落語を聴いた。春風亭一之輔独演会。観客のほとんどが同世代か私より上と見た。前の座席にひょろっと丈の長いおじさんが座った。おじさんは紺色のキャップをかぶっていて、そのキャップが壇上を少しさえぎる。ただそれだけのことでなんだか不機嫌になった。私はふだんよほどわがままに暮らしているらしい。おじさんたちの頭を眺める。白髪のない頭はない。かつてはみな、いきのいい若者だったのかもしれないが、今は皆揃って月曜の夜を落語に費やそうとするいささかくたびれた世代である。いや、そんなことはない、まだ皆さん前線で戦う企業戦士なのかもしれない、なんにせよ、みな緩んでいる。あちらこちらにスマホの光が見えた。落語が始まるよ、電源落とそうよ。言ったらさぞ愉快だろうな、などと眠い頭で考えた。
  
 前座をつとめたのは春風亭与いち、と名乗る若い噺家さんでイケメンに弱い私は綺麗な子だなと嘆息する。この「子」という言い方がいかにも高齢の女である。でもそう思ってしまったのだ、仕方ない。
 さて。春風亭一之輔師匠の登場である。
 不思議な方だ。座っている。それだけでなんとなく可笑しい。ずいぶん長い枕もよどみなく笑わせてくれた。なんだかよくわからないけれども、なんとなく寄席を訪れる外国人には、落語のことをジャパニーズコミックストーリーとかいえばいい、などと言っていた。適当である。適当を魅せる技はしかし、おそらくは適当とは言えないのだろうとこれまた眠い頭で考える。

 青菜と唐茄子屋政談を聴いた。
 青菜ははじめて聴いた。なんともおかしい。真夏に綿入れをみっつ重ね着させられる女房の身になると、さらにおかしい。
 唐茄子屋政談は以前古今亭志ん朝師匠の噺を何回かCDなどで聴いている。好きな噺だ。同じ噺でも噺家さんによって味わいがずいぶん異なる。春風亭一之輔師匠の唐茄子屋政談は話の動きが早い。コミカルである。しかし泣かせる。人情噺に単純に泣ける自分に少々驚いた。道楽者が心を入れ替え唐茄子売りの仕事に励もうとする。重い荷をかつぎひいひいしながら、吉原の花魁を思い出すシーンがある。花魁は男を好む、しかし男よりさらに金を好む。色と金はいつの時代も布を織る。中島みゆき氏の「糸」は縦の糸をあなとといい、横の糸をわたしという。今の私は、縦の糸は「色」で横の糸は「金」と歌ってもらった方が世の中は過ごしやすいなどと少々淋しくそう考える。どうやらずいぶん年を重ねてしまったようだ。

 帰りの電車で友だちに、いやね、なんだか今いろいろと勉強しているのだよ、などとついつい口走った。それはいいね、と彼女は答えた。汗ばんだ額に乱れた髪が数本貼りついていた。

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