生活が安定して直面する自分の不安定さと保障のない世界線について
海外に飛び出した当初よりも、「海外で生活すること」そのものに耐性がついたようだ。メキシコに来てからまだ1ヶ月ほどしか経過していないが、かなり生活に安定感がある。
メキシコは不用意に買い物でぼったくられることもなければ、モロッコにいる時よりはるかに簡単に必要なものが手に入る。ここに辿り着いてからすぐに、日本にいるときの生活サイクルに非常に近しい日常を確立できた。
そこでふと気がついてしまったのだ。自分の足元のグラグラ加減に。
「あれ?私ってなんで海外にいるんだっけ?この先ってどうするんだっけ?」
という疑問符がたくさん頭に浮かぶ。
日常でトラブルもなく平凡な生活を送れるようになってしまったことで、将来への不安が頭の中からひょっこり顔を出したのだろう。
あー海が綺麗だー。とか、呑気にしている場合ではないのでは?といきなり冷水を浴びたように現実に引き戻された感覚だ。
ちょっと待ってくれよ、と。私って何がしたかったんだっけ?と。
こんな話、確かモロッコでもしていたように思う。
これだ。まじか、やりたいことが見つからないまま2ヶ月が経過してしまった!
ここに来てようやく気がついたのだ。私は人生で何かを成し遂げたいだとか、そんな大層な「やりたいこと」なんて無い人間なんだと。
一般的な人生のレールから思い切って外れてみたものの、知ることができたのは自分がフラフラした不安定な人間だという事実だけだった。
普通に不自由ない生活の中であわよくば子供を授かって、親にたまに顔を見せて、夫が元気であればそれで幸せな人間だった。海外に出る必要なんてもしかしたらなかったのかもしれない。
むしろ海外に来てしまうと、逆にこの平凡な生活を手に入れるのが大変になったように感じる。
・収入は今のところその日暮らしな状態。
・子供は海外で産むことのリスクと、親を心配させてしまう気後れがある。
・実家には気軽に帰れる距離ではない。(コロナなのでみんな一緒か?)
・夫は元気だ。
今のところ私が求めている最低限の幸せで安定しているのは「夫が元気なこと」だけだ。夫よ、元気でいてくれてありがとう。
さて、会社員を辞めて物価も安い海外に来たら、「何でもチャレンジできる」状態になれると思っていた。それは間違いではなかった。
やりようによっては日本とメキシコの二拠点生活も夢ではない。
ただ、それは同時に「自分でチャレンジをしないと何も得られない」ということだ。もし私がサボりまくって収入がゼロになっても、損失を保障してくれる人は誰もいない。
日本にいてもそうだ。
雇用されないということは、そういうことだ。
風の時代という言葉をよく聞くようになったが、不安定な状態で楽しむことの裏に隠れた不安や恐怖があることを同時に伝えたい。
ちなみに、今年1年間はどんなに不安でも、海外で生きると決めたからにはやり切る気概である。
不安ながら見守ってくれている親や、応援してくれている友人にどんな時も「元気だよ!キラキラだよ!」と伝えていける努力を怠らず、求めている平凡な生活を手に入れたいと思う。
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