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2017年。旅のきっかけは授業に出ないヤンキー。

2017年4月、9年間務めた高校を辞めて旅に出た。
英検は中学2年の時にとった3級で、TOEICは330点と傍から見たら壊滅的ヤバさ。
それでも私は強かった。
行ける、行こう、行くっきゃない。
この「行きたい」3段活用を武器に旅に出たんだ。

遡ること2016年12月。
今年度ももうすぐ終わるね~と同僚と飲みながら来年度はこうしたい・ああしたいと次年度の希望を語っていた。
辞めようなんて思ってなかったんだ。

2017年1月。
うちの学校には世界地図が貼ってある。
たまたまそこを通るとほぼ授業に出ないヤンキーが地図を見ながら立っていた。

私は聞いた。
「どっか行きたい国あるん?」と。


うちの学校は留学とか強く勧める学校だったから彼に興味があるのなら勧めてみるかという打算はあったと思う。
すると彼はこういった。
「俺、父親がオーストラリア出身で、でも離婚して一緒に住んでなくて、オーストラリアのことはよく知らない。でも二十歳までに国籍を選ばんとあかん。オーストラリアのこと知らんくせに選ぶなんてできんくて。卒業したら金貯めてオーストラリアを回ってみたいんよ。それから日本と比べて決めたいんよ。」

斜めからの急転パンチだ。

彼にそんな事情があるのなんて知らなかった。
おそらくみんな知らないだろう。
そう。結局のところ人は人を知らないし知れないのだ。
けれどとある些細なきっかけで急転パンチ的な心情を知ることもある。

私は言った。

「私も行きたいとこあるんよ」

本来の教師の役目は彼の話を聞き、心を理解し寄り添い受容し最終的には励まし応援の言葉をかけることだと思う。

が、全くそんなことは思い浮かばず出た言葉は「私も行きたい」だった。

今まで思ってはいても誰にも言ったことがなかった「世界の歴史スポットに会いに行きたい」という願望。
でも「どうせ無理だし」と自分で蓋をしていた。

「あんたは私の世界史の授業出たことないけど、授業してみんなに歴史の魅力を語ってると、自分が一番ハマって、いつか教科書じゃなく本物のピラミッドみたいなーとか、万里の長城歩きたいなーとか思うんよねー」とそりゃもうペラペラペラペラと出てくる私のパンドラの願望。

去り際に彼は言った。


「じゃあ、先生も頑張ってよ」


少し照れ臭そうに、普段は教師にそんなこと絶対言わないであろう彼が言った言葉を全身で浴びた私は。

職員室に戻った時に3月で辞めると伝えていた。

きっかけは。しごく単純。

そして旅中、卒業した彼がオーストラリアに行ったことを聞いた。

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