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桜の木の下には[た:田植え]

滝が見たい。

そう言ったのは恵(けい)だった。


田舎の山道を車で登るとなると骨が折れるかと思ったが案外そんなことはなかった。

海沿いの街に生まれ育った私たちにとって山道は新鮮だ。

道の左右には棚田がどこまでも続いている。

もう秋が始まろうというのに棚田にはまだ青々とした苗が植えられていて、ところどころ田植えをしているトラクタの姿が見える。

一面緑の景色の中を赤のスポーツカーで走るのは色で世界を切り裂くみたいで爽快だった。

どうせだからと思ってレンタカー屋で一番高いのを頼んだ甲斐があった

「田植えって普通夏だよね?」

私は助手席に座る彼女に話しかける。

「多分?そうだとおもう」

彼女も季節に合わない景色に少し困惑していた。

「それにしても棚田がこんなに続いてる景色初めて見たかも」

「そうだね、すごいよね」

彼女は笑いながらそう言った。

女の子がすごいという言葉を使うときはどうでもいいって感じたときだって言葉があるけど、ここ数日不機嫌だった彼女の笑顔を見れただけで嬉しかった。

仮に彼女がどうでもいいと言って笑ったとしても、私は喜んだと思う。


恵と出会ったのは高校2年のときだった。

私が所属していた軽音楽部に彼女が仮入部してきた。

整った顔をしていて背も高かかった彼女を初めて見たとき一瞬上級生かと思った。

同時に私は恋に落ちていた。

それ以来だからもう10年近い付き合いになる。


滝を見に行くと決めた際に、この場所を選んだのはここに伝わる面白いうわさを聞いたからだ。

この山の滝の近くにある大きな桜の木は秋に咲くという話が伝わっていて、それを見た者は願いが叶うという話だった。

SNSで回ってきた情報でおそらくデマだろうけどどうせ行くならという話になって恵と計画を立てた。

「香(かおる)、その桜の木は一本だけなの?」

「うん、そう書いてあったよ。ま、ほんとにあるのかも分かんないけどね」

「ふーん」

そういうと彼女は黙ってしまった。

何かまずいことを言っただろうか?口の中が渇くのをこらえて運転に集中する。

「ねぇ知ってる?桜って自家不和合性なんだよ。」

恵が次に口を開いたのは山中に入り道端の簡易トイレに寄った時だった。

「ジカフワゴウセイ?」

漢字が拾えずに思わずオウム返しになる。

「桜の木はね一本じゃ結実しないの、二本以上ないと子孫を残せない。」

恵は相変わらず何でも知っている。でもその分心は脆かった。

「その桜の木は私たちと同じだね」

恵はできる限り何でもない風に話そうとするが、声は上ずっていて言葉の後に変な間が開いてしまう。

「恵には私がいるじゃないか、恵は一本じゃないよ」

私は満面の笑みを作って答えた。

「うん、そうだねありがとう。」

恵はまだ何か言いたげだったが。そう言ってまた黙った。

いつからかこんな綱渡りをするような会話が増えた。


今までも恵は子供が欲しいと拗ねたことが何度かあった。

例えば養子とかでもいいじゃないか、私たちで育てればきっと素敵な家族になれるよ。

私はそうやって説得したが、彼女は貰いっ子は嫌だと愚図った。


しばらく行くと車では行けない登山道が見えた。

「おし、降りよう」

「ういーー!」

まったく、恵の情緒はどうなってるだ。私はさっきまで拗ねていたのがウソのようなテンションの高さに驚く。

その後、徐々に恵の機嫌は治っていった。

少なくとも私にはそう見えた。

「山道を登りながらこう考えた。」

恵がふざけていった。

「漱石の『草枕』だっけ?」

「うん、そうだよ。」

「前から気になってたけどなんでそんなに漱石が好きなの?」

「高校の時、現文で『こころ』やったでしょ?」

「ああ、そういえばやったね」

「あれにKって出てくるでしょ?自分の名前と同じだからそれできょうみもったんだ」

「Kって自殺した奴だっけ?」

「うん、そうそう。私さ、それまで自分の名前好きじゃなかったの。男の子みたいな名前だし、名字が木村だから頭文字をとってケイなんてバカみたいな由来も嫌いだった。小学校のときも自分の名前の由来話すの恥ずかしかったのいまだに覚えてる。」

「確かに、男の子みたいってのはわかるかな。私も同じ理由で自分の名前嫌いだったし。この漢字なら普通読みはかおりだろ。」

「確かに香の漢字、普通だと風薫るとかの漢字を使うよね。なんでその漢字になったの?」

「ほら、うち花屋だろ?だから今の漢字を使ったんだって。」

「そうなんだ、でも香の家の花きれいだよね。前うちに行ったとき、家もこんなならいいのにって思った。」

「そうかな?小さい時からずっと見てるから正直何にも思わないんだよね。」


「そういや、『こころ』に出てくる先生って主人公に寝取られるんだろ?」

「なにそれ?」

「いや、そういう説があるんだよ。でも手塩にかけて面倒見た相手に妻を寝取られるなんて。ドンマイだよな」

「やめてよ!」

恵の口調は強かった。

「ごめん、恵の好きな話を悪く言うつもりじゃなかったんだ。」

「わかってる、こっちこそ感情的になってごめん。」


それからしばらく無言で私たちは歩いた。

秋がそこまで迫った山は早くも葉が色付き始めていて。

私たちの気まずさを溶かしていくみたいだった。

「きれいね」

先に口を開いたのは恵だった。さっきの言い合いはまるで無かったみたいに恵はあっけらかんとしていた。

恵のテンションの切り替えが早いのにはいつも助けられる。

「田植え、紅葉、そして桜か、今日一日でいろんな季節を見て周ってるみたいだな」

「そうだね、なんだか竜宮城みたいだね」

「走馬燈かもね」

「もぉ」

実際私たちにとっては走馬燈みたいなものだったのかもしれない。

「ところで香、桜って言葉の語源知ってる?」

「わかんないけど毎年咲くからとかそんな感じ?」

「あのね、さくらって稲の神様が居る所って意味なんだよ。」

「3文字に情報詰め込みすぎじゃないか?」

「確かにね。でも、初秋の今の時期に田植えをが見れたんだから、きっと稲の神様がこの辺に稲の神様もこの辺にいてもおかしくないなって。この時期に桜が咲くこともあるんじゃないかなってそう思うの」

「そんなもんかね」

「そんなもんだよ」


「でも、その桜って望んだのとは違う形で願いが叶ったりしないのかな?」

「あの話本気にしてるの?恵はもっとリアリストだと思ってた」

「そりゃ私もそこまで本気にはしてないけど、ほら『猿の腕』みたいにそんなこともあるのかなあって」

「猿の腕?」

「外国の小説だよ、魔法の猿の腕で願いを叶えようとするんだけど望まない形で叶っちゃうの。お金が欲しいって願ったら子供が死んで保険金が入ったり。」

「ノーペインノーゲインってやつか、いたたまれないけど仕方ないのかもな。」

恵は今回の桜の話に関しては妙に熱心だった。

今回は二人にとっては特別な旅行だから無理もない話だが、普段は占いすら気にしないタイプだから少し驚いた。

そういば、この場所を最初に選んだのも恵だった。

しばらく進むと大きな木を囲んで写真を撮っている集団がいた。

大学のサークルか何かだろうか。

「お二人も桜を見に来たんですか?」

男女5人のうちムードメーカーっぽい切れ目の男が話しかけた。

「ええ、皆さんも?」

「はい、この桜がそうみたいなんですけど、見ての通り」

男は神様がペンキを塗り残したみたいに青々とした葉を示した。

木の前には立札がかかっていてどうもこれが噂の桜で間違いないらしい。

「僕たちはもう山を降りて麓の街で遊ぼうと思います。お二人もお気を付けて」

そんな中、恵は下山する若者を尻目になぜか桜の木に興味津々だった。

「香、この木ヒマラヤザクラだよ。」

「ヒマラヤザクラ?」

「うん、日本の桜は殆どがソメイヨシノでしょ?この桜はそれとは違ってヒマラヤザクラって品種なの。」

「それはなにか違うのか?」

「ヒマラヤザクラの開花時期は秋なのよ」

「じゃあ、ネットで言われてた桜の話ってのは」

「多分本当だと思う、でももう散っちゃったみたいね。」

恵は少し悲しそうだった。

「まあ、良いじゃない。本命は滝なんだから」


噂通り滝は桜の近くにあった。

ほのかな紅葉にたたえられたそれは綺麗な一筋の切れ目のようだった。

「きれい」

恵は思わず口から出たみたいにそういった。

さっきまで悲しい顔をしていた恵の表情も、私の未だに踏ん切りのつかない気持ちも、その割れ目に吸い込まれて行くみたいだった。

気づくと滝に向かって私も恵も歩き出していた。

その滝には不思議な魔力のようなものがあった。それこそ猿の腕みたいに。

私たちは滝のまじかに近づいて気づいた。

滝の裏に勝手橋がかけられていてその向こうに深い洞窟がある。

恵は私を不安そうに見た。

私も恵も我慢できなかった。

私たちは一緒に奥に進むことにした。


洞窟の中はそんなに深くなかった。

ただ、どこかに割れ目があるのか一筋の光が差していた。

そして、その光の先には、満開の桜の枝が飛び出していた。

「これ、さっきの桜の子供だと思う」

恵は目を見開いていった。

「桜は一本じゃなかったのよ。きっと山奥のどこかにもう一本あってうまく受粉してここまで種を運べたんだよ!」

恵は心底嬉しそうだった、恵が本当に見たかったのは桜でも滝でもなかったのかもしえない。


「香、言わなきゃいけないことがあるの」

帰り道もう一度トイレに立ち寄った後、恵は思いつめた顔をして話し始めた。

彼女の顔を夕日が半分照らしている。

「さっきトイレで調べたんだけど私、赤ちゃんできちゃったみたい。」

「そっか」

「でも、父親は香じゃないの」

「知っている」

嫉妬や恨みは無かった。

ただ懺悔するように話す恵が愛おしかった。

私は無精子症だと医者に診断されていたし、それが原因で恵の両親が私たちの結婚を認めないのも知っていた。

僕は路肩に車を止めた

恵は俯いて肩を震わせていた。

「『猿の腕』では息子が死んだんだっけ?私たちの子供が無事でよかった。」

恵はさらに肩を震わせて助手席に蹲った。

「…ありがとう」

彼女はか細い声で言った。


外車が珍しいんだろう路肩に車を止めた私に農家の男性が話しかけてきた

「桜を見に来たんですか?」

「はいそうです、ところでなんでこんな時期に田植えを?」

「二期作ですよ、うちは昔からなんです。」

二期作。なるほど教科書で昔習ったことを思い出した。

この地域には稲の神様が多めに住んでるのかもしれない。

農家の男性は僕の隣で恵が泣いているのに気が付くとまずいところに居合わせたと思って。話を変えてきた。

「お二人は夫婦なんですか?」

「いえ、これからです」

僕は車をゆっくりと発進させながら、今晩二人で飲み干すはずだった睡眠薬のシートの束を車のごみ箱にねじ込んだ。

「ノーペインノーゲインだ」

緩やかにカーブを描いた道は青々とした棚田の景色に入った一筋の切れ目のようにどこまでも続いていた。

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