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上野裕一郎「まだ走れるからこそ」

2009年社会人2年目だった上野裕一郎選手はこのように語っていた。
「現役を引退してからは、楽しみながら走って、両角速先生や田幸寛史さんのように選手が勝つために、自分から一生懸命に動く指導者になりたい。陸上が人一倍好きですから」と。

どこかのツイッタラーから「挨拶をしてくれ」と粘着されるなど、生意気な態度と強気なコメントが印象的な彼のもう一つの顔は「陸上愛」にあふれた男だということだった。

上野選手はその後も5000メートルのトラックレースで世界選手権に出場し、1500メートルと5000メートルでは日本選手権を制覇するなど「スピードキング」の名に違わぬ実力を見せつけ続けた。

そして念願ともいえる、指導者となったのは2018年のこと。33歳でのことだった。

今でも部員より速い=実力不足?

そして38歳となると今も、現役選手として活躍しながら選手を指導している。もちろん箱根駅伝の規定上、彼が立教大学の選手として走ることはできないわけだが、記録会に出ればまだまだ現役の学生たちに負けないだけのスピードと強さを持ち合わせている。

駅伝でも都道府県対抗駅伝では見事にトップでゴールを果たすなどの強さを見せ、まだまだスピードランナーだった時の能力は健在であることが窺い知れる。

その一方で、彼ばかりが話題になるということは……。立教大学の選手たちの実力は「まだまだ」であるということは言うまでもない。しかし、上野監督は全く異なる感覚を持っていたようだ。

襷をつなげたことを喜んでくださる方がたくさんいますが、うちのチームが目指すところはそこじゃないんです。僕はシード権を狙えるチームだと考えていたので、繰り上げとか想像もしていませんでしたね

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/rikujo/2023/01/25/post_7/index_3.php

このように上野監督はレースを振り返る。

確かに立教大学の選手たちのポテンシャルの高さは出身校と持ちタイムから見るに、こんなものではないと感じるだろう。

しかし、観衆がいない大会ではなく、ハーフマラソン級の距離を鈴なりの観衆の中で走るという経験はおそらくこれまででも経験したことがないはずだ。いささか酷だったようにも思えるが、上野監督はそれでもチームに自信を持っていた。

では、何が彼らに不足していたのだろうか。

レースという「経験値」

部内は当然、ハイレベルな練習を積み重ねている一方で、若いチームゆえに今期も期待ができると言える。だからこそ、上野監督は今彼らに必要なのは「経験値」なのだという。

関東インカレを含め、予選会、駅伝とか大きな大会に出て、自分のリミットを越えてギリギリの勝負を戦う経験を重ねること

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/rikujo/2023/01/25/18/

その中で大舞台にも負けない強い精神力も身に着けることができる。そのように上野監督は考えているようだ。とはいっても、上野監督もまた「箱根駅伝用」のチームに仕上げていくという気持ちは現時点では持っていない様子だ。

うちは箱根駅伝のために競技をやっているわけではないので、トラックも含めてオールマイティーにやっていくのが自分たちのスタイルでもあります。

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/rikujo/2023/01/25/18/index_2.php

あくまでも競技の一つに箱根駅伝があり、トラックレースなど距離も含めて上野監督は指導を進めていくことを考えているようだ。現在でも箱根駅伝のためにという指導を主眼に置いた大学は多い。

ただ、三浦龍司くんが在籍する順天堂大学、田澤廉くんが在籍していた駒澤大学と確実にそうした「箱根駅伝だけ」の大学は減ってきていることも事実だ。

それを考えると上野監督もまた、どんな形でもいいので大きな競技会や大会に出ることで得られる経験値を積み重ねること、そのために選手を育てていくこと……。それを考えているようでもある。

まだ走れるからこそ。

「僕には指導経験も言葉で説得できるような力もないし、まだまだ未熟です。自分が他の監督に勝てるものは何かというのを考えた時、走る指導スタイルが生まれてきました。あと数年もしたら、このスタイルができなくなるかもしれないですが、立教のスタイルみたいなものをきちんと形作っていきたいですね」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/rikujo/2023/01/25/18/index_2.php

まだ現役選手として体が動く今だからこそ、選手とともに走って汗を流す。そして気が付いたことをその場で指摘する。こうした姿はニュースでも取り上げられている通りだ。
何よりも「監督を抜いていく」という目標を持っているであろう今だからこそ、選手たちに「生きた教材」としてノウハウなども惜しみなく提供できる。そう考えているのかもしれない。

そして、今年もその気概は変わらない。先日も六大学対抗戦では1500メートルのペースメーカーを行うなどまだまだ健在なところを見せている。それはある意味で箱根駅伝の原風景なのかもしれない。

かつて瀬古利彦さんは自らが走り終わった後、タスキを渡すとそのまま早稲田大学のジープに乗り込み選手に檄を飛ばしていたという。その姿に憧れた大八木監督もまた、走り終わった後にジープに乗り込んで声を張っていたという。

もう上野監督が箱根路を駆けることは叶わないが、ともに走りながら声をかけ励ます。どこか学生スポーツ的であるとさえ思うし、何より選手たちにとってトップレベル選手が近くにいることは最も恵まれた環境にある。

「私も大丈夫なときは一緒に体を動かして走る指導スタイルは変わらないです」

https://4years.asahi.com/article/14812706

と本人も話すように今年もまだまだ続けていくことになるそのスタイルと同時に、

今年は出られるだけで良かったという形でしたけど、もうそれは終わりました

https://4years.asahi.com/article/14812706

と危機感も抱いている。55年ぶりにつながった襷を次は誰よりも早く届けることができるのか……。激戦となっている予選会を勝ち抜くこともできるか含め、立教に注目していきたい。

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