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そのスピードで

昔書いていた小説(二次創作)を、普通の恋愛小説にしてみました。

「甘いチョコレート」というキーワードがあまりに素晴らしすぎて、そこから世界を広げるという試みをしたときのものですね。

ということで、この曲はthe brilliant greenの「そのスピードで」をイメージして作りました。

ではどうぞ。

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 どれくらい、私は彼からのプロポーズを待っているのだろうと思う。そいつは堅物で、いけ好かない。私の好みのタイプとはまるで違っている。ノリの悪い読書が好きな男。けれど、溜息をつきながらも黙って私のことを見守ってくれている人。この前だって、終電を逃した私を迎えに来てくれたり、誕生日には半年くらい前から予約しないと入れないようなレストランに連れて行ってくれる。決まって「おじいちゃんが行けなくなったから、たまたまだ」とか、「暇だったからだ」とか。まるで偶然を装ったかのような言い訳をしてくるのだけれど、その割には毎回タイミングが良すぎる、と思う。そんなタイミングのいい偶然によって私は割と救われているのだから、きっと私の心などとうに見透かしているのだろう。
 そう思って彼の言葉を待っているのだけれど、一向に私にそれを伝える気配がない。今日もデート(といっても、友達の家に遊びに行くというたいしたことのない予定だったのだけれど)が終わってくたびれて。色々と歩き回った泥だらけのスニーカーを蹴っ飛ばすように脱ぎ捨ててから、自分の部屋で悶々としているのだ。クッションをもてあそびながら、私は彼からの言葉を待っている。
 いっそのこと、私が切り出したっていいのかもしれない。でも何でだろう。口に出そうとすればするほど、その言葉を出すことにためらう。言ってしまったらどうしよう。嫌われてしまうんじゃないか。どこか遠くへと行ってしまう気がして。もうすぐ桜が咲こうとしているのに、換気し忘れた私の部屋と一緒でどこかすっきりとしない。じめっとしたような空気の中で、私はからげんきを駆使してハルイチに電話を掛ける。
「どうしたの」
「べっつに。あんたが元気かなっと思ってさ」
「うん、元気だよ。どうにかやれてる」
「それじゃあ話が完結しちゃうじゃない」
「だって、本当にそうなんだからしょうがないじゃないか」
「面白くないわねー。ハブとマングースがケンカしたとかそういう景気のいい話はないわけ?」
「ハブとマングースはいつだって喧嘩しているよ」
 笑いをこらえているかのような声で、私にそう返した。
「ねえ、何かあったの」
 こうした時にハルイチはどこか鋭い。私が不安なのを感じていたようだった。
「別に。何にもないわよ」
 私は強がって見せた。それくらい分かっているはずだった。だけど、詮索をしてくれなかった。
「そう。でもね、強がりは心を削っていくよ」
 その言葉が妙に私の胸に突き刺さった。分かっていても、きっと言ってはこない。私が強がっているからこそ、一歩引いたところから見ている彼の言葉は今の私を映し出す鏡のようで。ひどく不安げな表情をした私が、その中で私の目を覗き込んでいる。捨てられたくない。心の声が聞こえる気がする。その声に、叫び声をあげたくなる。
 叫んでなるものか。懸命に唇を噛みながら、大丈夫よと返事を返した。
「本当に、大丈夫だから」
 電話の最後に、念を押すように。そして私自身に言い聞かせるように。電話を切るときには心が凍えそうになっている。まるで胸の中にいる悪魔が、私へと冷たい風で攻撃をしているかのようで。二階の部屋から、リビングへと降りる。ママはお風呂に入っていて、パパは本を読んでいた。どこかあいつと重なって、私はまた心の中の悪魔との格闘に苦しんだ。
 大丈夫だから。何が大丈夫なものか。あいつは私に何をしてくれる。いつだって私たちには確かなものなど存在しなかった。色々な人、それこそあいつのおかげでパパとママに再会できたのに。それなのに、まるで初めましての状態で、何をどうやって会話すれば良かったのか分からなくて。ハルイチにはまだ、パパとママが見つかっていないのに。
 心の中の悪魔。それは不安そうに私のことを覗き込む、子供の私だ。


 甘いチョコレートで温まる季節では、ない。
 胸の奥が騒ぎそうになる私は風呂場でブクブクと泡を立てている。友達がいつもいつも煮え切らない愛を抱えていることに腹立てていたけれど、それ以上に今私が感じていることが腹立たしかった。あいつも、鈍いんだもの。
 いつでもじらして、私に腹を立てさせる。気があるのならさっさと告白してほしいものだ。だって、私の独りよがりで終わらないことだから。意気地なしで寒がりの悪魔は、そうやって私の心の中に入り込んでくる。
 チョコレートを勧められたのはあいつのお姉さんからだった。昔カフェで働いていたことのあるお姉さんは、私が初めて遊びに来たときに出してくれた時に出してくれたのだ。飲むたびに、そのことを思い出す。寒い冬のことだった。あの時はハルイチも一緒だった。彼の地元は白く染まっていて、まるでどこまでもその世界が続いているようで。
「寒いでしょう。はい、これ飲んで温まって」
 マシュマロがのっかったそれは、今までに飲んだことがないくらい温かくて。そして優しい味だった。ハルイチは猫舌なのか、ゆっくりゆっくり飲んでいた。ふんわりとしたシナモンがコツなの。お姉さんは私にそういって笑った。あいつは無愛想に頬杖を突いて、チョコレートを飲んでいた。
「姉さんな、お前の好きなものは何かって聞いてきたんだ」
 あいつが無愛想に口を開いたのは、帰りに送ってもらう時だった。
「だから『好き嫌いはないから何でもいい』と返したら、そう言われてもと悩んで、出してきたんだ」
「え」
「お前が来るのを楽しみにしていたんだ」
 穏やかに、あいつは話した。冷たい風は相変わらず私たちを吹き飛ばそうとしているけど、その音すら耳に入らない。
「今日は来てくれてありがとう」
 無愛想に飲んでいたとは思えないほど、優しくて暖かい声。あいつはそういう家で育ったのだ。あるいは出会いがそうさせたのかもしれない。そう思えるほどに、その言葉は私の心を掬い上げたのだ。意気地なしな悪魔がそこへは入ることは許されない。その言葉は、いつでも私の中にいる悪魔を追い払う。
 それでも、それを完全に追い出すにはあの甘くて温かいチョコレートが一番良いのかもしれない。私とハルイチが何かに怯えていた頃、温かい飲み物の本当の意味を知らなかった。ただ温まるだけのものではないということを。いや、知っていたのだけれど、かたくなに信じようとしなかっただけだったのかもしれない。缶コーヒーにはない、その温かさの本当の意味を。お姉さんに教わったこと。
 女は台所で魔法をかけるのだ。暗くて辛い、私の魔法を解くためにはその「魔法」にまたかけられることが大切なんだ、と思う。あれからお姉さんのようなチョコレートを作ろうと必死になるけど、未だに味も見た目もあの時のそれを越えたことがない。
 こんな苦しい思いから解き放たれるなら、どれだけいいだろう。それこそ、さわやかな空の中で雨や風を感じながら私の悪魔が見える鏡を叩き割ってやることができるのに。私の中にある鬱屈したものが、大声ではなく溜息として出てきた。それでも、それはまるで溜息をついたから解決するものでないほど大きいものだった。心が重い。そういう重いものを持って私たちは大人になっていくのだろうか。もっと軽やかにいてはいけないのだろうか。
 気が付くと、めまいがするほど風呂に入っていた。そろそろ出ないと、パパも困ってしまうから。軽やかになればいいじゃん。心にいる天使が私に向かって手を振りながら話す。どうすれば、軽やかになれるかわからないのよ。私は虚空へとそう答える。天使は、笑いながら私に手を振って飛び去っていく。軽やかになれない理由は分かっている。私にはいつでも黒い影が付きまとっていたから。


 私には小さなころのパパとママの記憶がない。パパが事業で大きな失敗をしてしまって、それから私とハルイチは孤児院で暮らしていた。それはあいつもお姉さんも知っていることだ。親と暮らしていない。たったそれだけの理由で、私もハルイチも他の子とは強い疎外感を持っていた。その上で、やっぱり「親がいない」ことを口実にして攻撃してくる人たちも多くいたのは事実だ。
 私もハルイチも、何度となくそれをやられた。もちろん他の子供たちもだ。そして、孤児院に帰ってくれば危害を加えられたのは口数の少ないハルイチだった。私だけが知っていた。ハルイチのパパがそういうことをやっていたという事を。

 結局、私とハルイチは早いうちに孤児院から抜け出すことが出来たのだけれど、ハルイチのパパが人身売買をする仕事をしていたのを聞いたのは、抜け出した後だった。孤児院の子供たちを労働者として借り出し、働かせ、見込みのある子は組織の一員として働かせる。ただ、ハルイチをいじめていた子は、パパによって懲らしめられて、私だけがハルイチをかばっていたから助け出されたのだ、と。幸運に感じられているようで、時々怖くなる。ただえこひいきをされて残されていただけなんじゃないか、と。今でも折檻されている子や、男の慰みものにされている女の子を思い出すと、怖くて仕方がなくなる。
「お前は私たちを裏切った」
「ハルイチは悪魔の子だ」
「お前たちだけ幸せになりやがって」
「お前たちだけ」
「お前たちだけ」
 何度、その夢を見ただろう。それだけが怖くて、あいつにもハルイチにも打ち明けられなくて。

 ベッドの上で、まだちょっとだけ濡れている髪の毛を乾かす。今ならハルイチに、話すことができるだろうか。隠された秘密を。きっと、話すことができるかもしれない。根拠のない自信、はったりは得意だ。けれど、それでも迷う。結局立ち止まってばかりの私に、何ができるというのだろう。今の私にはきっと、天使よりも悪魔の声のほうがずっとずっと大きく聞こえていて、それが私を邪魔しているに違いないのだと思う。ああもう! そう思うと私は頭を何度も何度もぐしゃぐしゃとかき乱す。力づくで振り払おうとしても心はいつだって思いを振り払うことができない。そうしながら、いつでも私は眠れない夜を過ごす。自分に詰め込まれたさまざまな思いを巡らせながら。
 目が覚めた時に、パパは仕事に出かけていて、ママは友達と遊ぶために出かけていた。私は家の中でぽつん、と突っ立ったまま。心の穴がじわじわと広がって、虫歯のように痛みが広がってくる。お願い、だれか私をこの魔法から解放して。お願い。お願い。お願い。空は高くなり、もう春はすぐそこだ。それでもうつろなメロディーが私をつかんでいる。きっと悪魔が歌っているんだ。そう思わなければやっていられない。
 この思いをどうしたら振り払えるのだろう。私にはあれしか思い浮かばなくて。スマホを手に取ると、電話帳に残っていたあの人の連絡先へ電話をかけた。二つ返事でOKをもらった私は、髪の毛も束ねないで走っていた。きっと、お姉さんが見る私はあほ毛がいっぱいで間抜けに見えることだろう。
 それでもお姉さんはいつものように穏やかな顔で私を迎え入れてくれた。その顔を見たとき、私は泣き崩れもせず、笑いもせず、ヒステリックも起さず。ただ安心してしまっていた。まるで凝り固まった何かをほぐすような柔らかい表情になるのが、私にもわかった。

「すみません、わがまま言って」
「良いのよ。ティータイムにしようと思っていたところだから」
 お姉さんの手がかちゃかちゃと動く。今日は甘いチョコレートではないけれど、それでも彼女の手はまるで私を守る結界を作ってくれているかのようで。
「アリサちゃんのお話、よく弟に聞かせてもらうの。昨日も夜帰ってきてからは夕飯を食べながらその話ばっかり」
 よっぽどあの子はアリサちゃんのことが好きなのね。お姉さんはくすくすと笑った。でも、それが私には理解できなくて。泣くのが嫌で、苦笑いするしかなかった。
「あまり良い笑顔じゃないわね」
 勘も鋭かった。空元気であの二人をだますことはできても、彼女はだませない。不意に、ハルイチを思い出した。苦笑いだって、気が付かれている。意気地無しで寒がりの悪魔が、私の胸を震わせた。おまえは嘘つきだ。嘘をついてまた男をだますんだ。耳の中で、悪魔の声が大きくなる。やめて、お願い。やめて。もう、いやだ。
「私、あの時言えなかったんです」
 やっと胸の中の悪魔を吐き出す。ごめんね。もう我慢できないの。言いたくて言えなかったあの秘密を。語らなかった色々なこと。淡々と話した。気がつくと、涙が頬を伝っていたのだけれどそれでも私はヒステリックにならなかった。お姉さんは最後まで話を聞いた後、にっこりと笑った。
「よく、話してくれたね」
 柑橘系の匂いがした。爽やかで気持ちが突き抜けるような綺麗な匂い。丁寧に絞られた冷たいジュースを私の前に置いて。それから、私の横に来るとやさしく私の頭をなでた。
「大変だったね」
 その言葉を聞いた瞬間、わあとせきを切ったように涙があふれ出た。それは辛かったからではなかった。やっと、やっと解放された。心の中の悪魔や苦しみから。その喜びで胸がいっぱいになったのだ。だから私は泣きながらも、実はちょっと笑っていた。
 涙を拭いて、お姉さんに話す。
「今度、あの甘くて暖かいチョコレートの飲み物、作り方教えてくれませんか?」
 お姉さんは笑顔で頷いた。私も笑った。

 もう大丈夫。だっていつかきっと、ハルイチにもあいつにも本当のことが言える日が来ることを確信したから。ちょっとだけ怖いけれど、心の中が軽やかになった気がしたのだから。きっとこれで、どこまででも行ける。このスピードのまま。

【お知らせ】

4/29に出版します。

以前書いたものは↓です。

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