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Rugir-光をつかむ-①

8年前に書いたボクシングの小説です。全部で6話。

書きながら、スポーツ系の小説をちょっと頑張ってみようと思いました。

ギレルモ・リゴンドウとノニト・ドナイレに敬意を表して。

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 試合前のアリーナは、セミファイナル試合の熱気がいまだに渦巻いている。なかなか派手な打ち合いだった前座の試合は、スーパーライト級北米大陸のベルトを賭けたタイトルマッチ。序盤からジャブでしっかりと距離を利していた挑戦者がそのままポイントをリードしたままベルトを取るものと思われていたにもかかわらず、第7ラウンドに入ると大振りの右フックをチャンピオンが見舞う。挑戦者はこれに大きく揺らめくと、チャンピオンが接近して連打を見舞いレフェリーが試合を止める。打ち鳴らされたゴングに思わず誰もが立ち上がって拍手を送った。まるで、これがメインイベントであるかのような大歓声。横の席に座った若いアメリカ人は「この試合だけでおなかいっぱいだよ」と冗談を交えながら話している。
 確かにそうなのかもしれない。アメリカでは花形の階級は中軽量級と呼ばれるスーパーフェザー級以上。軽量級がメインイベントを張ることなどめったにない。ましてやニューヨークの観客ともなるとエンタメの「目」も肥えている。エキサイティングで、しかもパワフルでなければならない。だからこそ、軽量級のようなスピーディーでテクニカルな展開にはどうしても興ざめてしまうのだ。今日のメインイベントは階級としてはスーパーバンタム級。前述した階級の二つ下となる、いわゆる軽量級だ。
 それでも、軽量級には軽量級の良さがある。何よりもスピーディーである。体が軽いからか、戦いも非常にスピーディーである。出入りが激しく、注視しなければパンチも当たっているのか解らない。だからこそ、ハードパンチャーは軽量級において希少で人気選手となりうる。

 リチャード・ヒダルゴはまさにその軽量級における「希少」なハードパンチャーだ。それゆえに、ここアメリカでも人気が高かった。人気者であるフィリピーノの特徴はタイミングを逸さないカウンターの精度と左フックの破壊力。フライ級で王者の足を痙攣させて立ち上がれなくしたとき、スーパーフライ級で猛然とラッシュを仕掛けてきた王者にたった一撃のカウンターでダウンを取ったとき。バンタム級では王者に陥没骨折の重傷を負わせたとき。いずれも試合を決めてきたのはすべてを粉々に砕くような「左フック」だった。今のスーパーバンタム級でもその左でダウンを奪っている。もっとも、そのときはアッパーだったのだが。
 前年の大晦日に見せた日本での防衛戦は衝撃的だった。日本のエースと呼ばれた比佐との対決。計量後のフェイス・オフで挑戦者の比佐がヒダルゴに挑発的な言動を見せて王者と乱闘寸前になった経緯があったのが影響したのか、ヒダルゴに容赦はなかった。ガードなどお構いなしにパンチを振るい、ガードの隙間という隙間を見つけてはパンチをヒットさせた。そして、試合は早くも第2ラウンドに決する。比佐が踏み込んだ瞬間にコンパクトな左フックが決まり、よろめくとロープ際までラッシュで詰める。そして、比佐に右アッパーがヒットした瞬間に比佐は倒れそうになる。ところがヒダルゴは右アッパーで持ち上げ、上からかぶせる様にして左を叩き込んだ。これに比佐はダウン。立ち上がったものの、意識は朦朧として表情はうつろ。それでもレフェリーは続行を指示。猛然と襲い掛かるヒダルゴはさらに比佐へ容赦なくパンチを振るう。比佐はコーナーポストへ詰まりまるでおびえるように頭を抱えて背中を向けたとき、レフェリーがここでようやく試合を止めた。一度目に倒れてから2分経っていた。ゴングの音は、静まり返った観客席に響き渡った。
 後に救急車で運ばれた比佐は右目眼窩骨折、左のあばら骨骨折、あごに亀裂骨折、頚椎に軽度の捻挫があったというほどの重傷を負った。顔は整形手術をする可能性も浮上し、日本の天才と呼ばれた比佐は完膚なきまでに叩きのめされた形となった。
 また、バンタム級で絶対的な強さを誇っていた今村もまた、ヒダルゴに挑んだことがあった。海外で厳しい修行を積んで、WBAの絶対王者をねじ伏せた男の結果もやはり比佐と同様。何もできぬまま9ラウンドでKOされてしまった。タフさと接近戦での回転力を武器に攻め立てたところまでは良かったが、それ以上にヒダルゴのパンチ力が上回った形となった。ヒダルゴはまさしく軽量級の絶対王者となりつつあった。そんな彼に対抗できる最後の刺客として挑戦するのが今回のパレだ。

 パレはアマチュアボクシングのキューバ代表選手として輝かしい経歴を持っている。シドニー、アテネ、北京でフライ級3大会連続金メダル。アマチュア通じて250勝2敗。250勝のうちKO勝ちは230あるといわれる。スピードとテクニックをすべて備えた高度なボクサーである。その戦いぶりから「精密機械」と称されるほどの技巧をもつ。
 亡命後に正式にプロボクシングに転向すると、バンタム級で5戦目にして北米タイトルを、7戦目にしてWBA世界スーパーバンタム級暫定王者に。8戦目で正規王者を下して正規王座を吸収した怪物である。同時期に亡命したオリンピアンは皆口をそろえて話すのは「パレとはやりたくない」ということ。「強すぎる」せいと有力なプロモーターとの折り合いが悪くなったことで以後3戦は防衛戦で精彩を欠くものの、相変わらずの強さを持った選手であることに変わりはない。
 また、今村もパレと対戦経験があることは良く知られている。試合では今村が積極的にインファイトを敢行しようと前進するものの、パレのジャブがその前進を食い止めるという構図となる。そして第7ラウンドには左ストレートでダウンを奪い、ポイントを有利のものとする。しかし、今村はそこからねじを巻きなおしてジャブで距離を制されるのを力技で制して接近戦に持ち込むと、なんとパレからダウンを奪う。フルテンションでの攻防が続いた中で見せたパレの隙を突いて猛攻撃に出た今村だったが、ペースダウンしながらもパレがアウトボクシングを徹底させて判定勝ち。しかし、ジャッジ3者のうち1者は引き分けとするきわどい内容だった。それだけに、パレの「プロボクシングでの経験」を危惧する人間は多い。その汚名を晴らせるかどうかもかかった一戦。
 いよいよ近づく試合を前に、スクリーンには両者を紹介するドキュメンタリーが流れている。この試合は日本でも衛星中継として流れているらしい。日本人と対戦経験のあるヒダルゴが希望したという。そのせいかわからないが、日本にはヒダルゴファンがきわめて多いことは事実だ。
「俺は強い」、「ベストを尽くす」。「あんな奴なんて踏み台さ」、「最高のボクシングを彼相手にお見せしたい」……。両者のコメントはどこか対照的だ。終始紳士的なインタビューを繰り返し、優等生の印象を強めている陽気な青年ヒダルゴと、大人しめながらも言葉の端々から煮えたぎった闘志を見せ付けているパレ。
 それは彼らのスタイルにもどこか似ていた。ヒダルゴのボクシングは明快だ。シンプルで、倒すという1点においてまさに彼は中量級の選手たちと比較しても劣らないだろう。パレのボクシングは玄人受けするボクシングだ。だから、観客受けは決してしない。ボクシングというルールに則って、リスクを冒さずに的確なガードとポイントを稼ぐパンチを忠実に行うパレのボクシングはあまり明快とはいえない。時には派手に殴り合うことも求められてしまうボクシングはスポーツというよりエンタテインメントに近しいものがある。観客がエキサイトするかもしれない展開で距離を取って打ち合わない選手ほど人気が出ないものだ。パレはまさにそれだった。だから、おもしろくないパレを打ち負かすことを誰もが望んでいるのだ。パレの映像が流れるたびに、アリーナからブーイングの声が聞こえるのはそのためなのだろう。それと、キューバに対する敵対心か。
 ただ、誰もがわかっている。この試合が世界最高峰の試合であるということを。だからこそかけられているタイトルが多いのだ。パレの持つWBAのベルト、ヒダルゴが持つWBOとWBCダイヤモンドベルト、これが評価されてリングマガジンも認定ベルトを発行することに相成った。誰もが思うのがパレがボロボロにされることを望んでいて、そうなるだろうと考えているということだった。

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そういえば、出版しました。良ければどうぞ。


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