見出し画像

イェゴン・ヴィンセント「衝撃」

未だに忘れられない衝撃的な走りがある。駅伝などで分かりやすくソフトで、選手の勝算を惜しまない渡辺康幸さんが唯一言葉を溜めて絶句した男。そう、イェゴン・ヴィンセント・キベットくんである。

彼が1年生の時、同じ区間で田澤廉くんがデビューしたその中でヴィンセントくんは21.3キロという長い区間をあっという間に駆け抜けて見せた。59分25秒は、現在の箱根駅伝でも6区以外で1時間を切った唯一の記録であり、そこにヴィンセントくんがいかに桁違いな実力を持っているのか……という事を指し示す存在となっている。

チームからヴィンちゃんと呼ばれ愛され、牛丼を愛するケニア人留学生が東京国際大学にもたらしたのはシードだけではない。ヴィンちゃんを通して我々はスケールの大きな「世界」という存在を目にしているのだ。

規律正しき「軍人を夢見た男」

ケニアのカレンジン族というエリウド・キプチョゲ選手などを輩出した「走る民族」をルーツに持つヴィンちゃんだが、意外にも陸上選手になることを意識したのは比較的遅い時期からだったことは、ファンであれば知っていることだろう。

本格的に興味を持ったのが16歳の時にクラブに入ってからと割と遅咲きのランナーでもあるのだ。そこで記録会などの数字も良かったこともあったことから陸上選手の道を志し始めた、ある意味で異色のランナーでもある。

例えば、同じケニア人で北京オリンピックの金メダリストでもあったサムエル・ワンジルさんは小学生の頃から頭角を現していたという逸話もあるし、かつて山梨学院大学で「最強留学生」とも呼ばれたメクボ・ジョブ・モグスさんも高校から日本で活躍を見せている。

それを考えれば、ヴィンちゃんの陸上のスタートは比較的遅いことが分かるだろう。だが、彼ほどの能力ならば例えば同じ日本でも実業団という選択肢もあっただろうし海外のランニングチームに入るという選択肢も取れたはずだろう。それにも関わらず、東京国際大学への入学を決めたのは自らをより追い込むため。

そして、ランナーとして成功するためだったのだ。その想いは走りによって確実に形となって行く。

衝撃

あまりにも強すぎる衝撃が、箱根路に渡ったのは1年生の3区でのことだ。実況のアナウンサーが「1時間切るんじゃないですか?」と解説の渡辺康幸さんに投げかけると、渡辺さんも一つテンポを置いて「……あります!」と答えるほど。

しかも、これが「駅伝」というレースの初体験だったのだ。あっという間に他大学を置き去りにしただけでなく、当時のハーフマラソン歴代5位相当となるスピード……。感動すら覚えたものだった。

翌年になると2区で起用され、前年に相澤晃選手が出した1時間5分57秒という記録もあっさりと更新し1時間5分49秒という大記録をたたき出して見せた。一体どこまで強くなっていくのか。187センチという長身とそれに見合った堂々とした自信ある態度。

軍人を目指していた男は、その衝撃的な走りで区間記録を打ち立てそして卒業後には大志田秀次監督が在籍していたHONDAで陸上選手として競技を継続することが決まっている。てっきり海外に転戦するものと思っていただけに、驚きもあった。

だが、気心知れた伊藤達彦選手や丹所健くんが居るのは心強いし、何よりも東京国際大学の坂戸キャンパスには大志田監督もいるのが大きいはずだ。底知れぬ才能を持った彼はどこまで羽ばたいていくのかはとても楽しみである。

心そしてライバル

そんな堂々とした風貌のヴィンちゃん。だが、日本に来て手にしたものもきっとたくさんある(あってほしいと思っている)と私は思うのだ。

起きているときは音楽をガンガンにかけているものの就寝時間となると音楽も消してしっかりと睡眠をとる、時間をしっかりと守ると言った規律をしっかりと守る一面を持つ。こうしたことからチームメートからは寮で一緒の部屋になることを希望する人も多いのだとか。

また、その細やかな人柄はチーム内でも「留学生」という存在以上に強い信頼を受けている。

初駅伝となった箱根駅伝では「仲間からもらった襷は絶対嬉しいはずだよね」と語り、他の区間に出走するチームメートには翻訳機を使って一言一言励ましのメッセージを送りその人柄の良さと心使いはとても細やかである。
「チームで勝ちたい」と語ることも多く、もしかすると誰よりも東京国際大学というチームに強い信頼を持っているのかもしれない。それはもしかするとケニアでは手にすることが出来なかった可能性もあると思うと、ちょっとだけ感慨深い。

そして、何よりもライバルに恵まれた。
駒澤ファンだからなのかもしれないが……。何よりも田澤廉くんにとっても彼が居てくれたことが、大きな成長を促したと思うのだ。
どこか渡辺康幸さんと真也加ステファンさん(当時はステファン・マヤカさん)のようなライバル関係でもあることはどこか感慨深いものがある。

あれは今年の出雲駅伝でのことだ。左ふくらはぎの故障で欠場したヴィンちゃんが3区を走る田澤くんに手を振り、それに田澤くんが応えるという一幕があった。全日本でも出ることが叶わなかったが、その負傷が癒えた箱根駅伝では、一体二人がどんな走りをするのか。

その時、これまでにない衝撃的な走りを目にするかもしれないと私は考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?