見出し画像

昭和の介護、令和の介護

介護施設は全国にも沢山あります。
利用する家族からすると、、、

どんな内容のサービス、より「誰がいるか」


人と人が交わる介護現場なので、
やはり「どんな人」がいるのかが、とても大きい、、、

ぼくとしては、自由にノビノビ過ごせる介護現場
を増やしたいな、と思っていますので、介護の教育の場では、

管理的な介護ではなく、ノビノビできる環境を作ること

を伝えるようにしています。


しかし、そのように利用者の自由を推奨する事業所は
決して多くないのが実情です。。。


これには昭和の時代にさかのぼると、
狭い空間にベッドに寝かせられた老人が並んでいるような、
非日常の空間が、アタリマエの時代がありました。

生活というより、集団を管理する

それが、かつての施設介護の普通でした。


その名残が、昭和→平成→令和と時代の変化にも関わらず、
未だに残っているのです。

さすがに、ベッドに寝かせ切りで並べられることはありませんが、
利用者さんを自由に、というより「管理する」思考は残っています。

これが、宅老所ができるようになり、
近年では「あおいけあ」のように、普通の暮らしを支えるケアが知られるようになったり、「はっぴーのいえ、ろっけん」のような自由過ぎる場所が知られるようになり、

「高齢者の自由で活き活きとした暮らし」に注目されるようになってきてはいると思います。


ただ、これらの事例を知らない介護職も多いです。

介護施設は閉鎖的?


閉鎖的な所は多いです。
なぜか?

人が出入りしないから

歴史がある施設は、これまでの積み重ねがあります。

それが管理的価値観であったとして、
「今の時代」の介護としては求められていません。


介護サービスを利用することが一般化していて、
家族などから求められていることは、

「姥捨て山に入れればいい」というような
かつてのような非日常の介護ではありません。


少しでもいい暮らしを

というニーズです。


昭和の介護は求められていません。

そして、そのような「非日常の介護」では、
若い世代も、異業種からの転職者も、

カルチャーショックでやる気をなくします。。。


介護職は人材不足。

自分たちの「非日常の介護」も、その一因なのです。


介護業界を良くしたい。

なら、やることは、

介護現場に「日常の当たり前をする介護」を実践することです。


介護現場が、お年寄りの笑顔や家族の笑顔に溢れていれば、
職員だって笑顔になれるはず。

これはキラキラ思想っぽいけど(笑)、
当たり前をアタリマエに感じて実行することで実現できる。


認知症のお婆ちゃんだって、包丁でリンゴの皮むきはできるし、
縫物だって上手にできたりする。

洗濯物だって上手に畳めたり、
テーブルを拭いてもらえばピカピカにしてくれたり、、、


これらの本来「できること」を取り上げてしまうのはなぜか?

その方が楽だから。


「できること」をやってもらうには、

ちゃんとアセスメントして、できることを見極めないとできない


つまり、ちゃんと利用者さんを観察していないとできない。

そして、事故が心配なので、
取り上げてしまう方が

面倒がなくていい、と思ってしまう。


アセスメントして、チームでシェアして、
家族にもシェアして、リスクもみんあで分かち合えばできる。

この段取りが面倒だからやらないだけ。


いまだ、そんな事業所は多い。


時代が求めるものに、柔軟に変化するには、
人が出入りして、外からの刺激が入らないといけない。

もしくは、自分から外に情報を取りにいかないといけない。

その努力をしていない事業所も多い。


お局問題が、話題になるのは
その弊害に多くの人が気付いているから。


今までのやり方を変えたくない。

変化を恐れる。

これは人間の本能


否定でもなく、排除でもなく、
相互理解を少しでもできれば、、、

お局さんには、お局さんなりの正義や考えがある。

じっくり対話。

しかし、事業所として

「大切にするべきことは何か」



仲良しごっこが仕事ではない。

同じ理念に則って、事業所としての目標の実現を目指す


そのための対話。

ご機嫌を取るためではないことに注意しないといけない。


同じ目標を持てるように関わる。

これが難しい。


利用者さんのケアより、難しいと思う今日この頃、、、(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?