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あるとかないとか

「アゲハ!」

春に植えたオクラの葉っぱにアゲハ蝶が休んでいた。時々ヒラヒラしながら、またとまる。

朝の洗濯物を干しながら、アゲハが逃げないように静かに遠くから眺めていた。
パンパン!と洗濯物のシワを伸ばすと、ビックリしてあっという間に逃げていきそう。だからシャツも靴下も少しシワのままになっている。「今日はシワでもヨシとしよう」と言い訳じみたことを考えている自分も可笑しくなるくらい、アゲハと洗濯物の朝は嬉しかった。

干し終わって、アゲハに近づいてみた。
あれ?
左うしろの羽がハサミでカットしたように真っ直ぐ切れている。
アゲハ自慢のブルー、イエローで鮮やかな部分が左にはない。
どうしたんだろな。どこで食べられたのか、ちぎられたのか。
私のそれまでの花の子ルンルンな気持ちが、急にアゲハの過去現実に引き込まれて不安になった。
この羽をちぎったのは誰だ・・
カマキリのかまでシュッとカットされたのか?
鳥に捕まりそうになって、逃げた拍子にちぎれたのか?
そんなことを考えながら見ていたら、またパタパタパタと飛び始めた。
意外だったが、その姿は羽が欠けているとは思えないくらい綺麗に飛んでいる。
綺麗とは、羽があるとかないとか関係なくありふれた飛び方という意味だ。
遠目で見た時に羽が切れているなんて気がつかないわけだ。

羽が完全ではないアゲハを見てその原因を思い、不安になる私。そんなことを他所に「だから何でしょう?」という雰囲気で舞っているアゲハ。
ハッとした。

私は「ない」ことが不完全だと思って生きてきた。だからいつも「ない」状態を早く補って「ある」に到達したいと思っている。
でも最近「あるがまま、その場の、今の自分」について考えることがある。
将来のあるべき姿ばかり追っかけてしまうのは一生、幸せな気持ちにれないのじゃないかと思い始めた。未来に向けて努力はしたいが、私には今を感じる努力も必要だ。

そんな気持ちで洗濯かごを持ちながら部屋に入った。
外を振り返ると、まだアゲハは飛んでいる。今ある姿で十分綺麗だった。




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