ミニスカートで挑んだセンター試験は極寒だった

最後のセンター試験と騒がれた、2020年1月18日。やけに寒いと感じたのは、緊張のせいじゃなかった。いつだって東京の冬は快晴続きのくせに、センター当日に限って、みぞれが降りやがったのだ。自転車なんて漕げやしないから、くすんだブルーの傘を刺して、最寄り駅までノコノコ歩いて行った。

そんな悪天候でも無問題、センターの日の服装は決めていた。タータンチェックのマフラー、茶色のカーディガン、そして制服のミニスカート。

わたしはお姉ちゃんと同じ高校に通っていたから、お下がりの制服を使っていた。緩い校則にしっかり甘えて、お姉ちゃんが切ったスカート。姉妹合わせて6年間着回されたスカートは、当たり前のようにぼろぼろだった。

好きな人に振られたのと受験期が重なって、7キロ太ってしまったから、スカートはきつくて苦しかった。それでもやっぱり制服のスカートを履きたくて、机の下ではそっとホックを外していた。

女子高生のわたしは、端的に言って強かった。タイツもストッキングも履かず、半端丈のソックスだけを履いた生足を、真っ黒なローファーに突っ込んでいたのだから。「寒くない?」家を出る直前、家族は心配とも呆れともとれるような笑いをこぼしていた。しょうがないからスカートの下に履く用のウィンドブレーカーも持っていったけれど、一番寒い道中では履かなかった。なんか可愛くない気がしたから。見た目なんて気にしちゃいられない大一番なのに、スカートの下から伸びる生足だけ、どうしても守りぬきたかったのだ。

女子高生のわたしにとって、可愛さの象徴はミニスカートだったような気がする。小学生のわたしが憧れていた平成の女子高生は、揃いも揃ってミニスカートを纏っていたから。令和に移りゆく中で、スカートは短過ぎない丈が一般的になったけれど、わたしはずっと平成のお姉さんたちになりたかったのかもしれない。平成の終わりと令和の始まりに挟まれて、平成ミニスカートへの憧憬を捨てきれないまま、センターの寒空をミニスカートで歩いたわたし。馬鹿な女子高生だったなって、21の今はただ笑ってる。

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