住宅地が好きだ

わたしは住宅地が好きだ。いちばん大きな理由はわたしが田舎でも都会でもない「住宅地」で育ったからだと思う。魂の形が住宅地にフィッティングするようになっているのだ。だがきっとそれだけでは、住宅地への愛は説明できない。わたしは住宅地の何が好きなんだろう、好きを言語化するのは少し怖い試みだ。自分の好きという感情が、わたしの貧弱な語彙に限定されてしまう気がするからだ。

住宅地の好きなところ、何だろう。うーん、多分住宅地は情報量がちょうど良いのだ。戸建ての住宅は静かにデンと構えているだけで、普通に歩いていたら何の情報も与えてこない。無意識に日々を過ごしていたら、何の変哲もない住宅が永遠続いていると思ってしまいそうになる。でも注意深くゆっくり歩いてみると、「あ、今日は晴れだからこの家お布団出してる」とか、「火曜日にストゼロの缶を大量に出すストレスフルの住民が近所にいるぞ、、、」とか、「この家のちっちゃい自転車、補助輪いつのまにかとれてるな」とか。あまりじろじろ見ると不審者だから怪しまれない程度に見て、おーここ変わってるなとか、ちょっと思いを馳せる。そんな気づきのある家が大量に立ち並ぶわけでもないから、見たものについて色々考えながら歩くのにもちょうど良い。

音の情報量も適度に少なくて好きだ。これは一日中家にいると楽しい。ちょっとデカめの車の音がしたらゴミ収集車が来たということだし、小学生の声がしたら学校終わったんだとわかるし、夕方2種類ワンワンと声がしたら犬友だちで井戸端会議しているということだし、そしてその合間合間にキジバトが鳴いていて、夏は全ての音をミンミンゼミがかき消していく。

そういえば、どこの家からもピアノの音がしなくなったな。わたしが小学生の時はどこかの住宅からはピアノを練習する音が聞こえたけれど。今思うと、戸建てに住んで子どもにピアノを習わせるってすごいことだったのだ。

戸建ての住宅は人の営みを伝えてくれる。これはすごく好きなところだ。都会を都会たらしめるタワーマンションは洗練されていてオシャレだけど、やっぱりどこか無機質な印象を与える(タワマン嫌いとかではない)。わたしたちはタワマンとオフィスビルを見て、どちらがタワマンかオフィスビルか見分けられるだろうか?それくらいタワマンには生活感がない。一方戸建ての住宅は、人がここに暮らしているのだと伝えてくれる。それは4つ並んだ自転車だったり、道路にチョークで描かれたケンケンパだったり、玄関先に貼られた犬シールだったり、学校でもらう青い植木鉢だったり。そういう人が暮らしているしるしを見つけて、みんなは今生きているし、わたしも今生きていると実感できるのだ。その温かみは住宅地でしか得られないものである。「○○?どこにでもある住宅地じゃん」と言われても、わたしの住んでいる場所みたいに人の生活がわかるような住宅地が日本にたくさんあるのだと思えるから、ただ嬉しい。

さて、今日も住宅地を散歩しよう。TシャツとGパンの飾らない自分で、時折立ち止まってぼーっとしながら、やさしいまちの変化を見たいと思う。


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