推しという言葉で好きを隠していた

 昨年12月くらいに書いた文章をリメイクしました。 

 わたしには「推し」という存在がいた。芸能界のような遠い世界にいる推しではない。同じコミュニティの、話そうと思えば話せるくらいの距離にいる「推し」だ。   

 わたしの「推し」は同じゼミの先輩だった。彼は狙っているのかいないのかわからないが、いつも決まって5分、ゼミに遅刻してきた。やる気がないのかと思いきや、涼しい顔をして一番前の席に陣取っていた。彼の鼻はすっと高く、加えて顎から耳にかけてのラインがとても美しかった。わたしは彼のちょっと斜め後ろの席に座り、授業中にチラチラと横顔を盗み見ていた。

 それは好きなんじゃないの?と思われるかもしれないが、本当に純粋に「推し」だった。彼と付き合いたいという気持ちは全くなかった。彼はちょっと変な人だったので、付き合ったら面倒くさそう、むしろ付き合いたくないくらいに思っていた。彼に向ける感情は、大好きな女性アイドルを応援する時に生まれる感情とそっくり同じだった。「かっこいいです!」「推しです!」「授業中も、ずっとかっこいいなって思って見てます!」彼にはそんな言葉を浴びせまくっていた。彼は普段クールぶっていたが、飲み会の時だけは少しちょろくなって、わたしの言葉に多少嬉しそうな顔をしてくれた。わたしがずっとこんな調子だったから、わたしのガチヲタっぷりはゼミ内でも有名だった、ような気がする。

 ずっと彼のことは「推し」だった。それはわたしの中で、絶対に何があっても揺らがない。そう思っていた。

 ところが去年の秋にひょんなことがあり、わたしと彼の関係性は徐々に変わり始めた。わたしたちは頻繁にLINEをするようになり、大学でご飯を一緒に食べるようになり、学校の外でも会うようになった。

 彼と過ごす日は次第に増えていった。大学内の住めそうな場所を巡ったし、北千住の河川敷で彼のギター弾き語りを聴いたし、雑司ヶ谷を散歩した後に都電荒川線に乗ったし、神楽坂の珈琲屋さんに行ったし、中野の公園で肉まんを食べたし、高円寺でマフラーを選んだし、上野動物園でキリンを見た。

 彼と過ごす日が増えるごとに、彼に対する自分の気持ちが変化していくのを感じていた。わたしの中での彼はもはや「推し」ではなく、れっきとした「好きな人」になっていた。

 わたしはちょっとずるいことをした。

 「推し」という言葉を利用したのだ。「推し」なら、気があるような発言をしても不審がられない。「推しのファンの後輩」という立場を使って、わたしが好意を匂わせるようなことを言い続けていたら、彼は絶対わたしのことを好きになるという確信があった。自分のどこからその自信が湧いてきたのかわからないが、言葉とはそれほど不思議なものだし、多分元々それなりに脈はあった。わたしは「好き」という気持ちを「推し」という言葉に巧妙に包み込み、あなたは「推し」ですよ、という顔をして笑っていた。

 「推し」を利用すれば、好意を伝えることなんて容易だった。なぜなら、正面から勝負を挑んでいなかったからだ。わたしは小賢しくも「推し」を良いように利用し、「好きです」と軽々しく口に出す自分を俯瞰で見ていたような気がする。ずっと、どこか本物の自分が喋っていないような感覚があった。ニセモノのわたしがペラペラと饒舌に好意を語っていて、本物のわたしはびくびくしながら安全な場所でそれを見ていたのだ。

 わたしの好きな人は思ったよりもちょろかった。わたしの作戦にまんまとはまり、彼はわたしのことを好きになってしまったのだ。可哀想に。そこからはご想像の通りだ。そう、なんやかんやでわたしたちは付き合うことになった。

 付き合ってからも「推し」を利用するのは流石に馬鹿馬鹿しいから、本物の自分で好意を伝えようと試みた。だけど、これが予想外に難しかった。わたしは「好き」をあまり伝えられないまま、最初の3ヶ月というボーナスタイムを終え、その上未知の遠距離恋愛に突入してしまったのだ。

 本当の自分で、本当の言葉で「好き」を伝えるってやっぱり難しい。でも次に彼氏に会う時に、とびっきりの笑顔で「好き」を言えるように練習しておかなければ。わたしの「好き」で彼氏が安直にデレちゃうくらい、直球の「好き」をお見舞いしてやろう。

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