SNSに馴染めない大学生

 こんにちは。わたしは都内の大学に通う大学4年生です。趣味は美術鑑賞、散歩、文章を書くこと。お酒を飲みながら初対面の人と話すことも好きです。外交的なようですが、都会に出かけた翌日は半日寝込みます。嫌いなものは大きな音(ドライヤー、掃除機、黒板消しクリーナー、映画の音)、新幹線の匂い、視力検査、数学です。

 さて、本題に入ります。わたしはZ世代にして、SNSが非常に苦手です。Instagram、TikTok、Twitterはやっておらず(厳密にはTwitterはやっている時期がありますが、フォロワー実質ゼロ人の日記みたいな感じで使っていることがほとんどです)、使っているSNSはLINEのみです。流石にLINEはやらないと、日常に支障をきたしてしまうので。「SNSやってないんだ」と言うと、大抵驚かれます。「え、めっちゃやってそうなのに笑」と言われる時もあります。一体、わたしの何を見て、何を判断して言っているのかはわかりませんが。
 それぞれのコンテンツごとにやりたくない理由、苦手な理由があります。

 まずInstagram。Instagramをやらない理由は、人間のキラキラした生活ばかり見るのが面白くないからです。こう言うとすごく性格悪そうに聞こえますが、実際そうです。人間って、嫉妬とか怒りとか悲しみとか、そういう綺麗じゃ片付けられない感情があるから面白いと、わたしは思っています(そうした感情が綺麗でないというわけではなく、一言で括れないような感情ということです)。そのような感情を丸ごと封じ込めて、「綺麗」な部分を見せられても面白くないのです。もちろん、楽しんでいる人たちを否定するつもりはないので、わたしがInstagramをやらなければ良い話です。よってInstagramはやっていません。
 そしてもう一つ、Instagramをやらない理由は、高校時代の友だちがInstagramを通して変わってしまったからです。高校の同じ部活で、わたしと仲が良かった女の子がいました。その子は高校1年までInstagramをやっていなかったのですが、2年生からInstagramを始めました。人間、何でも始めだしは楽しいものです。その子はわたしとカラオケに行った時も、ケーキを食べに行った時も、まずInstagramのストーリーにあげるようになりました。わたしはそれに猛烈な違和感を感じたのです。友だちと空間を共有しているのはわたしなのに、友だちはまず、画面の向こう側の不特定多数の人と経験を共有したいのだろうかと。ストーリーにあげている時間なんて、大した時間じゃありませんし、残りの大部分はわたしだけと時間を共有しています。だけどわたしは、友だちと同じ温度で空間を共有できなくなってしまったような気がしました。ひどく寂しく感じたのを、今でも鮮烈に覚えています。

 次にTikTok。TikTokをやらない理由も、Instagramとほぼ同じです。TikTokのみに当てはまる理由としては、とにかく多くの情報が流れすぎることです。1つの短い動画を見て、すぐにスクロールして次の動画を見て、スクロールして、これを永遠に繰り返せば、すごく良い暇つぶしになります。ですがあまりにも情報が溢れ過ぎています。TikTokでは、脳が情報を処理する前に、別の動画を探すことができます。ひとたびも「つまらない」「飽きた」と感じさせないくらいです。わたしは情報が多すぎると、ストレスを感じてしまう質なので、TikTokは肌に合いません(わたしは音や光、文字などの情報溢れる渋谷原宿新宿が苦手なタイプ)。TikTokを楽しんで利用されている人は、すごく楽しそうで素敵だな、と思います。

 最後にTwitterです。Twitterはやっている時期がちょいちょいあるので、積極的にやりたくないわけではありません。Twitter上では、驚くような才能の持ち主に出会ったり、自分と全う価値観の人に出会ったり、140字という限られた字数で有益な情報を発信する人に出会ったりして、とにかく面白いです。
 ただ、理由はわからないのですが、初めて2ヶ月も経つと深刻に病んでしまうのです。Twitterをやらない理由、苦手な理由を書くべきなのに、わからないと言ってしまうのは非常に心苦しいのですが。そうして病むたびにアカウントを消して、3ヶ月ほど休んだ後にまたアカウントをつくり、病んでは消し、、、この繰り返しです。
 Twitterを上手く使いこなせたら、才能あふれる魅力的な人に出会えたり、社会の下層で苦しむ人のリアルな暮らしを知ることができたりするのに、すごく残念です。おそらくわたしは、繊細すぎるのだと思います。

 noteのまわし者か?と言われそうですが、わたしにとってnoteはとても居心地の良い空間です。小さな頃から文章を書くことが好きだったという理由が1番大きいですが、もう1つ理由があります。それは、noteを開くまで、書き手の感性にダイレクトに触れられないことです。
 InstagramもTikTokもTwitterも、発信者の感性はヴェールを被せずに目に入ってきます。それは短いコンテンツだから、当たり前です。ただわたしは、触れたくない感性(感情と言っても良いかも)に晒されすぎると、心が弱ってしまうのです。
 その点noteは、まずタイトルである一定の内容を推測できるため、自分の心を守ることができます。時折、興味本位で読んだnoteが触れたくない感性のものだったとしても、コンテンツが長いので、途中で引きかえすことができるのです。
 これはわたしにとって非常に大きなメリットでした。InstagramやTikTokはてんでダメで、Twitterも2ヶ月程度しか続かないわたしですが、noteは半年ほど続けられています。これからも続けようなんて思わずに、書きたい時に書く、というスタイルをとっていこうと思います。そんなこと言って、書くのが好きだからほとんど毎日書いているんですけどね。

 SNSが苦手なわたしですが、わたしはこの生き方「が」いいと思っています。時代に流されずに、自分がストレスなく生きられる方法を模索していきたいです。

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