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どうやらわたしは、恋人に怒られたかったらしい

殊にわたしは、恋愛において自分勝手だった。

21年間生きてきて、4人とお付き合いした。お付き合いに至らなくても、良い感じになった人もいた。

そんなわたしは、現在付き合っている彼氏を除いて、すべて自分から相手とお別れした。

とても自分勝手な理由だ。

優しすぎて怖い。

これが、人から離れる理由だった。

わたしは全人類の中でも、生来トップレベルに気が短いという自覚がある。トレーニングによって改善し、表に出さないようにはなったものの、それでも一般の人よりは短気だと思う。

それに対して、わたしが付き合ってきた人、付き合う間近までいった人は、もれなく全員優しい人だった。優しい人だからわたしのワガママも小言芸も許してくれて、むしろ可愛いなんて思ってくれたのだろうが、それが大変怖かった。優しくしてもらっているのにも関わらず、だ。

ねえ○○した方がいいよ、ねえ何で○○しないの、ねえ何で○○すんの、ねえ○○して、これはやだ、、、

小さな子どもみたいな言葉の数々。普段周りの人にできない態度でいてみたくて、彼らの前ではクソ成分マシマシのゴミみたいなわたしでいた。すごく反省している。

散々ワガママを言った後、わたしはいつもこう聞いていた。

「何で怒んないの?」

彼らはいつもこう答えた。「怒るほどのことじゃないからだよ、可愛いじゃんワガママって」

ふうん、そういうものなのか、、、。

いや違う、わたしは「怒って」ほしかったんだ。「ダメだよ」って言ってほしかったんだ。身勝手でびっくりするけれど。本当に、過去の自分を平手打ちしたいと思っているけれど。

怒るって、実はエネルギーを使う行為だ。相手に真剣に向き合わないとできない。わたしは優しい彼らを怒らせて、自分に気持ちが向いているか確かめたかったのだろう。当時は自覚がなかったが、これは立派な試し行動である。めんどいね。

わたしは、自己肯定感が著しく低かった。それゆえに、なぜこんなわたしと付き合ってくれているのだろう?と彼らに対してずっとずっと思っていた。だからこそ、彼らのありのままの愛情を感じることができなかった。それならばと彼らを怒らせることでしか、愛情を感じる術を知らなかったのだと思う。

悲しくて、情けなくて、惨めったらしい人間だ。

今はそういうことがなくなった。自分のことがそれほど嫌いではなくなった、無能な自分は嫌だけど悪くないじゃん、と思うようになったからだと思う。何でも自分サイコー!と褒めるわけではない、確かな自己肯定感を手に入れたわたしは、他人を怒らせるという試し行動をする必要がなくなったのである。

「自分を愛せないと他人を愛せない」という言葉はよく言われているが、本当にその通りだと大変納得している。どうやって自分を愛せるようになるかは、もうこれといった方法がないので、一人ひとり自分で探していくしかないと思う。たぶん、半分くらいは悟りの境地だから。

そして今、付き合っている彼氏としっかり向き合っていきたい。好きは好きと、嫌いは嫌いと、試し行動ではない純なる気持ちを伝えていきたい、そう思うのだ。

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