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保育園探しから保育園つくりへ 1

 埼玉大学を卒業後、1年近く深谷のさくらんぼ保育園で保育士の仕事を経験した。当時の斎藤公子園長が推進する保育は全国的に有名で本や映画でかなり取り上げられていた。小学校教師を目指す私がそこで体験したことは、その後の教師活動にも大きな影響を及ぼすこととなった。同時に自分の子育てにも深いこだわりを持つようになった。

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 斎藤公子園長は一言でいえばカリスマであったが、絶えず新しいものを学び実践しようとする開拓者でもあった。特に印象に残っているのは、年長の児童が鬼の姿で太鼓を鳴らすことをするときに能登半島の御神乗太鼓を呼び寄せ、実際に目の前で見せたことである。それを体験した園児は鬼の面を作り太鼓も作って踊りを踊ったが、迫力があったのは言うまでもない。また、ロシアのバレイ団が埼玉に来た時、年長児に本物を見せるといってバスで運びその晩は全員保育園に宿泊させた。私も一緒に行ったが、初めて見る本物のバレイには感激したのを覚えている。

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 園児はヤギや鶏・ウサギなどを飼育していて、毎日の餌やりや掃除も当番活動になっていた。園舎の掃除も年長が手分けしてやっていた。さくらんぼの当時のもっとも有名だったのはリズム運動や描画、歌などではないだろうか。リズム運動はよく研究されていて、まず園児が喜ぶ音楽が使われている。そして、体のあらゆるところがしなやかになるように工夫されている。やってみると、意外に難しくしなやかに舞う年長児を見るとうっとりとしてしまった。本の読み聞かせも熱心に行われ、そのことを通じて物語を世も割ってからの絵はとても迫のあるものであった。

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 私は斎藤園長の誘いで園庭にあったプレハブ小屋に住んでいた。夏は暑く、部屋が冷えるまで園舎で時間をつぶしていた。冬は寒くて斎藤園長にいただいた炬燵に入って寝ていた。食事は自炊したが、給食の残りをもらい食べることが多かった。冬は炬燵で食事を温めて食べた。時々、近くの園児や保育者の方からの差し入れがあったが、家に呼ばれて食事と酒をいただき暖かい布団で寝させてもらったこともあった。
(文 前島ひでお)

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