鮪に鰯 【作詞】山之口獏 鮪の刺身を 食いたくなったと 人間みたいなことを 女房が言った 言われてみるとついボクも 人間めいて 鮪の刺身を 夢みかけるのだが 死んでもよければ 勝手に食えと ボクは腹立ちまぎれに 言ったのだ 女房はぷいと 横にむいてしまったのだが 亭主も女房もお互いに 鮪なのであって 地球の上はみんな 鮪なのだ 鮪は原爆を憎み 水爆にはまた脅かされて 腹立ちまぎれに現代を 生きているのだ ある日ボクは食膳をのぞいて ビキ
戦争を知らない子供たち 1971年2月5日発表 作詞:北山修 作曲:杉田二郎 1,戦争が終わって 僕らは生まれた 3,青空が好きで花弁が好きで 戦争を知らずに 僕らは育った いつでも笑顔の素敵なひとなら 大人になって 歩き始める 誰でも一緒に 歩いて行こうよ きれいな夕日の 輝く小道を 平和の歌を 口ずさみながら ※ 僕らの名前を 覚えてほしい ※ 繰り返し
死んだ男の残したものは 1,死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった 2,死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども 他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった 3,死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙 他には何も残さなかった
拝啓大統領殿 1,大統領殿 お暇があれば 読んでくれるだろう この手紙を 僕は今 戦場へ行く 徴兵カードを もらったところ 僕は逃げる 戦いたくない 哀れな人を 殺したくない 大統領殿 腹を立てないで 聞いてほしいい 僕は逃げる 2,おやじは昔 戦場で死んで 子ども達は 泣きじゃくってた 女手一つ 苦労していた おふくろも今は お墓
孫の保育を毎日している。幼稚園から帰ってきた午後だけだが、なかなか面白い🤣しかし、体力的にはきつい。 妻と二人でやっているのでなんとかなるが一人ではかなりしんどい。 孫はマンションなので飛び跳ねたりできないが、我が保育室は自由なので、ボール投げや縄跳びからじゃれっこまでやりたい放題。 妻は庭の植物への水やりや料理なども一緒にしているし、昨日は毛糸で三つ編みを教えていた。 私の背中に乗って馬にさせられたり、縄跳びを一緒にしたりと体力的にきついこともある。 それでも、孫は心の底
#沼影プール を潰して小中一貫校を作る計画が上がっています。海なし県の埼玉には市民が気軽に使えるプールが必要です🌊 豊島園も無くなってしまったし(T_T) 「沼影市民プールを守る会」さんがLINEで存続を求める署名活動をされています。ぜひご協力お願いします🙏 http://lin.ee/xkmzbso
2021年さいたま市長選挙への応援ありがとうございました。 5/23投開票のさいたま市長選挙 に確認団体「みんなのさいたま市をつくる会」から無所属で立候補し選挙をたたかってきましたが、前回の得票・率とも伸ばしたものの当選を果たすことはできませんでした。 支持してくださった有権者の皆さん、ご支援いただいたみなさんに心から感謝申し上げます。結果は残念でしたが、「コロナ禍から誰一人取り残さない」「子ども中心の子育て・教育に」「市民の声を活かす市政に」の声は日ごとに大きくなって
体を動かすことが子どもの頃から好きで、少年時代は巨人が連覇していたので、長嶋に憧れて野球ばかりしていた。しかし、冬は寒いのでよくサッカーをしていた。 中3の春に腕を骨折してギプスをしてから、サッカーばかりしていた。当時の植竹中はサッカー部が強く、あの赤き血のイレブンの永井のいた大原中と二年生主体のチームで県大会で引き分け抽選負けしたほど。 3年生になると県大会でSFのT君は得点王になる程うまかった。その彼に年中教えてもらっていた。 大宮高校に入ると早速サッカー部に
約20年前に前島ひでおさんが担任した溝口実穂(菓子屋ここのつ)さんより応援メッセージ、推薦文を頂きました。ありがとうございます。 小学校へ行くのが憂鬱で、馴染めず、なぜ行かなければならないのかも解らず不登校気味だった私は、小学3年生の時に担任を受け持ってくださった前島先生のおかげで、学校へ行く意味を知り、毎日が愉しくなりました。 一生、私の担任は前島先生でお願いしたいと心から思い、クラス替えの時は一生の別れかの様に泣いた事を今でも覚えています。 それぞれ異なる個性を持っ
みなさん、いま紹介いただきました( #さいたま市長 )候補の #前島ひでお です。テーマソングを歌います。 ♪ひとりひとりの ちからはちいさいけれど みんなでよせあえば おおきなちからになるさ きみとぼくのいきているまち ゆうひのきれいなまち よびかけあえば えがおがかえる そんなまちを ♪ひとりひとりの ちからはちいさいけれど みんなでよせあえば おおきなきぼうになるさ きみとぼくのいきているまち ゆうひのきれいなまち よびかけあえば えがおがかえる そんな
政治を変える。市民とつくる。 さいたま市に暮らすみんなにあったかい政治を届けたい。 さいたま市内の小学校で教員として37年間勤めた前島先生が2021年のさいたま市長選挙に立候補しました!
教員になってからの山登りは、まず八ヶ岳。付き合ってきた彼女といった。山小屋に泊まったがあまりの混雑に頭と足をたがい違いに寝たため、彼女は非常に嫌だったと話していた。 次は結婚してから5月に至仏山に登った。雪がかなりあったが、アイゼンもなしに登り、下りはビニールで滑って降りた(今では若気の至りと反省している…) 平日のため山小屋の客は二人きりであった。 片柳小学校に勤めたが、組合の分会長は私が六年生の時の隣のクラスの担任の先生、山やスキーが好きで、谷川岳や秩父の御岳山な
初めて山を登ったのは、中学一年の夏休み。6年生の担任から、夏休みに武甲山に行こうと誘いがあった。いわゆる同窓会だ。 秩父鉄で浦山口に行き、行きに行ったのか帰りか覚えてないが鍾乳洞に入ってのではないか。 登山のことは覚えてないが山頂に着いた時の感動は覚えている。暑い中大変だったのだろう。そして、その感動が私の山遍歴に火をつけたのだ。 中学時代は野球部にいたのだが、友達を誘って山歩きをよくした。奥武蔵が中心で、伊豆ヶ岳や堂平山、武川岳、顔振峠、高山不動など歩いている。
住みたい街に大宮や浦和が上位に入り、近年さいたま市への移住(転入)が増えています。子育て世代もかなり来ている。そんな中で、保育園・学校・学童・公園・自然などが問題になってきています。 ある地域ではかなり大きなマンションが建設されましたが、近隣の学校は大規模校で教室が足りずプレハブ校舎を建設するという事態に。保育園も学童も当然足りません。 規制緩和で保育の質低下 さいたま市は政令指定都市になってからの人口増の中でも一つも公立保育園を作っていません。民間任せなのです。こ
いよいよ困り果てた私たちは、新たな保育園を作ることを模索したが、土地もなければ金もない。いざ作るとなると莫大な資金が必要だ。 色々と当たるうちに、土地は納屋を提供してくださった高橋さんから借りられることになった。資金は、浦和のこぐま保育園の分園にするということなら補助がおりることになった。 当時のM保護者会長の強いリーダーシップの元資金集めに奔走した。約二千万円を集める計画で、皆でとにかく募金・返還する協賛金・物資販売に汗水流した。バザーもやった。 その結果、1988