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人はなぜ人生を旅にたとえるのか

わたしの人生観、人生=旅について、少しだけ書かせてください。旅ものばかり続け申し訳ありません。

人類が記録を残し始めた紀元前の時代から、多くの偉人・賢人に人生は旅と例えられてきて、もはや言い尽くされていますので、今更わたしが付け足すようなことはなく、むしろ狭めることになると思います。

というのも、自ら経験したことでしか人は語れないと考えるからです。わたしは経験主義(下記参照)寄りの人間です。
ちなみに経験主義になったののも旅の影響です。

抽象的・一般的な原理ではなく、個別的・具体的な経験的事実を認識の基礎に置こうとする思考態度。その萌芽は古代ギリシア哲学にみられ、中世の普遍論争における唯名論も実在する個物を論の基礎に置いたが、歴史上特に、大陸合理論に対するイギリス経験論をさして使われる概念。それはベーコンに始まり、17世紀のホッブス、ロックをへて18世紀のバークリー,ヒュームで絶頂に達する。

山川世界史小辞典 経験論より
正直言ってイマイチな説明ですが、経験主義の定義はいろいろですので、これくらいでお茶を濁します

なぜ人生と旅が似たものとされるのか
わたしの50年あまりの人生で感じたことを前提にしますと、1つは基本辛いということ、2つ目は変化ということ、最後に終わりがあるということだと思います。

(1)辛い
人生がつらいということはお釈迦様の「生・老・病・死」に言い尽くされていると思いますので、ここでは触れず、旅がつらいということについて書きます。
ー かわいい子には旅をさせよ
ー 旅は道づれ世は情け

旅でトラブルに巻き込まれたり、体調を崩したりして困ったとき、人は家族や友人のありがたみを感じます。自分独りでは何もできないじゃないか、いかに周りの人たちの世話になっていたのかということが骨身に沁みて分かるわけですね。
旅先はアウェー環境なんです。いつものルーティンは通用せず、自分のいつものリズムは消え失せます。

また、不思議と旅先で親切な人に会い助けてもらうことがあります。旅人同士で助け合い、旅先の地元民の親切に泣きそうになることもあります。

人生もまた山あり谷ありで、自分の思った通りに物事が進むことなど滅多になく、基本負けることの方が多い。それでも立ち上がり先に進んで行かないといけない。
一人ではとても乗り越えていけないでしょう。家族や仲間に支えられ、また支え合いながら、ようやく日々を乗り切る。
そういうことを単純化し分かりやすく理解するために、あえてアウェーで非日常な環境に身を置くのが旅なんだとわたしは思っています。

人生の縮図を擬似体験し、自分を顧みることができるのが旅なんです。

(2)変化
旅は変化そのものです。日常生活に変化を求めて旅に出るわけですから、これは分かりやすい。未知との出会いであり、新しい人との出会いでもある。
たとえ日帰りだろうと、隣の駅で試しに降りてみようかでも、それらは日常を離れる変化であり、旅と定義されるものです。
人生は人によって変化が多い人と少ない人がいるとは思いますが、変化のない人はいません。たとえ本人がまったく何も変えなかったとしても、周りが変わります。
本人も年を取って老いるわけなので、必ず変化があります。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。

鴨長明 方丈記

方丈記は世の無常観を書き記した書物ですが、わたしは人の一生を表していると思います。細かい波から大きい波まで、山高ければ谷深しという浮き沈みがあるのが人生です。
でも、こうして改めて言われるまでは、並の人間は日々を一生懸命生きるのに必死で無常観なんて感じる機会はありません。せいぜい調子がいい悪いとか、感じるくらいです。

さらに言えば、変化というのは時間や距離を置いて眺めて、はじめて感じるあるいは分かるときが多いです。
分かりやすい例で言えば、自分の子供の成長はゆっくりなのに他人の子供は急に大きくなったように見える現象です。
自分に近いほど、変化というのは感じにくい。それは少しずつ変わっているからでしょう。

旅はこの時間経過による変化をより感じやすくなるようにわたしには感じます。
例えば、人生で初めて訪れる町があったとします。最初の出会いの印象は人それぞれでしょう。
なんだか冷たい感じがする町だなとか、空疎な都市だなとか、観光地化し過ぎて興醒めだとか。
それが何日か滞在したり、なじみの食堂ができたり、長期滞在の旅人と話したり、地元のひとたちと挨拶したりするうちに、町の見え方が変わってくる。
表層的な見え方からより肉付きのある生きた存在として見えてきます。

これも時間軸は違いますが人生に似ています。本人が新しい出会いを消化し、知識をつけ、物事の見方が深まっていく成長あるいは変化があるのです。
読書もそうですよね。同じ本を学生時代、社会人になってから、結婚して子供ができてからと別々のタイミングで読むと、まったく感じ方が変わります。

人生は旅よりも時間軸が何十倍、何百倍も長いですが、経験とともに自分が成長し変わっていくプロセスは人生も旅も同じです。

(3)終わりがある
人生に限らずですが、期限を区切られたものには魅力がありますよね。
桜の花、学生スポーツ、季節限定商品。

左脳的に説明すれば、供給を限定することで価値を高めるということですが、わたしはそれだけではない気がします。

人は自然と寿命を意識しているので、限りある命=期間ということに、一瞬に凝縮した熱量、潔い散り際、出会いと別れ、その瞬間にリンクした自分の人生の出来事など、理屈では説明しがたい魅力を感じるのだと思います。

知らず知らずのうちに人生の縮図を見ているのだと思います。あるいは自分の人生と照らし合わせている。

旅は期限を区切られているところに魅力があると思います。
一生旅をしながら暮らしている人はいますが、旅には移動がつきものなので、出会いと別れが必ずあります。ある町を離れるタイミングがあるのです。
離れなければ旅ではなく定住です。

人生の終わりというのは一度しか経験できず、練習もできませんし、いつ終わりを迎えるか誰にも分からない。
旅であれば、それを何回もできます。

浮きたつ気持ちを抑えられずにハイテンションでスタートし、途中でマンネリ化したり、トラブル続きで落ち込んだり、一体自分は何をしているんだと考え込んだり、何かを悟った気になって感動したりしながら、最後フィナーレを迎えます。

ああしておけばよかったなと反省したり、感謝の気持ちに満ち溢れていたり、別れ難い一抹の寂しさだったり、いろいろな気持ちを胸に日常生活に戻っていくのです。
さらによいことには、終わったあとで、振り返ることもできる。むしろ後から振り返ることでいろいろな発見があったりします。

人生の縮図を短いスパンで、しかも情緒的に経験するというのが旅なんだろうと思います。

以上となります。

読み返すと、なんだか中途半端だなと感じました。
おそらく10年経つとまた考えは深まるはずです。それが人生です。

わたしは今もこれからも人生という名の旅を続けて行きます。


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