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祝 プルシブ・バンドンがインドネシアプロサッカーリーグ(リーガ1)で優勝

本日夜、リーガ1の決勝戦が行われ、バンドンのチームが勝ち優勝しました。みな大喜びです。

インドネシアでもっともメジャーなスポーツは、バトミントンでも卓球でもバレーボールでもなくサッカーです。

インドネシアにプロサッカーリーグが誕生したのは1994年のこと。Jリーグに遅れること1年でスタートしています。リーグの形を変えながら2014年に今の形になりました。
最上位のカテゴリーには現在18チームが所属し、今回決勝戦を争ったのはバンドンに本拠地を持つプルシブ・バンドンとマドゥラ島に本拠地を持つマドゥラ・ユナイテッドです。

Wikipedia 2023-24 Liga 1より

プルシブ・バンドンは前身のBandoeng Inlandsche Voetbal Bond (BIVB)まで遡ると1919年1月5日に設立された歴史のあるチームです。
日本でもっとも古いサッカーチームは東京蹴球団の1917年設立。Jリーグ所属チームで一番古いチームは京都サンガで1922年ですから、いかに古いかが分かるかと思います。

チームカラーは黄色なのですが、ホームユニフォームは青です。
プルシブ・バンドンには、日本人サッカー選手としてインドネシア人のほとんどが知っているといっても過言ではない、松永選手が所属していたことでも有名です。
どっちかといえば松永選手がプルシブ・バンドンに所属したために有名になったという方が正しいかもしれない。
松永選手によれば、プルシブ・バンドンは熱狂的なファンが30,000人のスタンドを埋め尽くすことで有名で、日本の浦和レッズのようだとのことです。
クラスメイトからは「当日夜は街に出ない方がよい、暴れている奴らがたくさんいるから」と忠告されました。

わたしのいる寮ではバンドンのチームの試合があるときはスタッフたちがテレビにかじりつき大騒ぎなのですが、ホーム&アウェイ方式で行われる決勝戦はいつもと比較にならない騒ぎになっていました。

寮のテレビだけでなく、街のあちこちからうなり声と歓声が鳴り響き寮のリビングとリンクしているのです。

初戦はバンドンがホーム試合で3-0で勝ちました。
2戦目はマドゥラのホーム試合で本日金曜夜に行われ、結果は3-1でバンドンの勝ち。    。
合計6-1でプルシブ・バンドンが2度目のリーグ優勝を果たしました。花火がバンバン打ちあがっています。
テレビはバンドン市内をつないでライブ放送をしており、グドゥンサテの前の広場は人びとで埋め尽くされバンドン市長も立ち会って挨拶をしていました。

どうでもいい話に思われるかもしれませんが、自慢させてください。
わたしには、引っ越すと引越し先のチームが優勝するというジンクスがあります。そうじゃないときも半分くらいはありますが。。。

アメリカに留学した2009-2010は留学先のDuke UniversityがNCAA(全米バスケットボール選手権)で9年ぶりの優勝を果たして大騒ぎになりました。
次に卒業してサンフランシスコの法律事務所で働き始めたら、サンフランシスコジャイアンツが1958年以来(当時はニューヨークが本拠地)の大リーグ優勝を果たしサンフランシスコの街をパレードです。
もっと前でいうと、社会人1年目で大阪支店に配属になった1995年にはオリックスが1984年以来(当時は阪急)、オリックスになって初めて優勝しました。イチローブームのころです。

今回バンドンに留学してバンドンのチームがリーガ1で優勝し、ジンクスが継続したということになります。

そして優勝ジンクスに隠れたもう一つのジンクスは、わたしはまったくチームを応援せず試合も見ない、というジンクスです。
もしかすると、わたしが応援したり注目したりすると負ける可能性があります。
なので、今回も応援の様子だけ観察しましたが、あえて応援はしませんでした。

以下街の様子の写真です。

道端に敷物を敷いて即席パブリックビューイングに見入る人々
町内の広場に設置された即席パブリックビューイング。ここだけで数十人集まっている。
優勝が決まり発煙筒を手に歌いながら練り歩く若者
試合が始まる前 旗を手にどこかに向かう若者

以上となります。





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