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民謡ラサ・サヤンをめぐるマレーシアとインドネシアの争い

インドネシア法の授業で、インドネシアの知財法について習っていたときのことです。先生が、インドネシア民謡のラサ・サヤンをマレーシアが勝手に観光ソングに使って問題になった話をしてくれました。

2007年の出来事らしいのですが、クラスメイト達はみんなよく知っていて「マレーシアの奴ふざけんなよ」という敵対的な反応でした。
彼らによれば、ラサ・サヤンに限らず、CNNが選ぶ世界ベスト50料理で栄えある1位に輝いたインドネシア料理ルンダン、世界文化遺産に登録されているバティックやクリスなど、数々のインドネシア発祥の文化をマレーシアの物だと主張しているとのことでした。

韓国のウリジナルに似ていますが、マレーシアはそこまで強引なことはしておらず、もともとインドネシアとマレーシアが同じ文化圏で言葉も非常に近いことから発生しただけの話だとわたしは思います。

ラサ・サヤン事件について

事の発端は、2007年10月にマレーシアの観光庁がマレーシアの観光をアピールするためのプロモーションの曲として、ラサ・サヤンを使いマレーシアの曲だと大臣が主張したところ、インドネシアのマルク州知事が「マルクではぐくまれたインドネシアの曲だ。撤回せよ」と主張したことに始まります。

インドネシア発祥の証拠としてソロ市で初めてレコーディングされた記録を出し、マレーシアの大臣はインドネシアの曲と認めたそうです。それ以外にもマルク訛りのマレー語の特徴である語尾にgeがつくことも証拠になりました。
Rasa Sayangeというのが正式名称なのです。

マルク地方(香辛料で世界史にも出てくるモルッカ諸島)で歌われていた曲が、商人や旅人を介してマレーシアやインドネシア全土に広まっていったというのが真相のようです。
マレーシアはそれでも懲りずに、この曲はマレーシア、シンガポール、インドネシアではぐくまれてきたみんなの曲だと主張しています。
確かに地域特有の替え歌がたくさんあり、その地域でも大事に育てられてきたのは事実です。

ラサ・サヤンがどんな曲かは以下のYoutubeを見ていただければと思います。確かに名曲でわたしは一発で大好きになりました。

2番目の動画はかっこいいですよね。

話が脱線しますが、ユーミンの「スラバヤ通りの妹へ」という曲のサビの部分にラサ・サヤンゲという言葉が使われています。
1981年リリースのアジアにちなんだ曲ばかり入っているアルバムの中の1曲ですが、おそらくユーミンはラサ・サヤンを聞いて気に入ったのだろうと勝手に想像しています。
「でもRasa、Rasa Sayan ge、その次を教えてよ」という歌詞です。

ちなみにスラバヤ通りはジャカルタにある骨董通りです。なので、ユーミンはラササヤンはインドネシアの曲だと思っていると思います。

なぜこういうことが起きるのか

そもそもマレーシアとインドネシアの歴史を考えてみれば、同じ国にならなかったのがおかしなくらい、同じ文化圏の地域です。
マレーシアの歴史はスマトラ島にあったシュリウィジャヤ王国がジャワ島のマジャパヒト王国に滅ぼされ、最後の王が対岸のマラッカに逃亡してマラッカ王国を作ったのが始まりです。1402年のことです。
ポルトガルによってマラッカ王国が滅ぼされてから、逃げた王がジョホール王国を作りました。18世紀にはスラウェシ島のブギス人が勢力を伸ばしてブギス人系統の王になり、本拠地をリアウ諸島(マレー半島とカリマンタン島の間にある)に移します。
ほぼ一体として海を挟んで行ったり来たりしていたんです。
文化としては一体で、文化や歴史がなかった未開の地域にインドネシアの人たちが移っていったということです。ポルトガルの植民地になって以来、大量の中国人が労働者として移り住み、イギリス植民地になってからは大量のインド人がやってきました。

なぜ別々の国になったかといえば、マレーシアをイギリスが植民地にしていて、インドネシアのオランダが植民地にしていたからです。
フィリピンの南部も同じ文化圏、経済圏だったのですが、こちらはスペインが占領していたため別の国になりました。
中東やアフリカで、変な国境ラインが引かれているのと同じ現象です。

元々は海を自由に行き来しながら交流していた多民族からなる島嶼地域だったのです。民族間の共通言語(リンガフランカ)としてマレー語が使われていました。
下の地図を見てもらえば、変な切り取られ方をしていることが分かると思います。

例えば、CNNの世界ベスト50おいしい料理で1位に選ばれたルンダンは、ミナンカバウ族の料理です。
ミナンカバウはスマトラ島のパダンやブキティンギを中心に栄えた民族で、彼らは世界でも珍しい母系家族の体系を維持しています。
母系家族ということは、男はさすらいます。ミナンカバウでは、男は旅に出て自分を磨くという習慣があり、インドネシア各地、マレーシア、シンガポールにもミナンカバウ族は広がっています。

それこそ、わたしが島めぐりをしてどんな田舎に行っても、ミナンカバウ族の料理であるパダン料理屋があるのは、彼らの習慣のためです。

ミナンカバウ族が一番住んでいるのはインドネシアだし、ミナンカバウ族の発祥はスマトラ島なんだからインドネシア料理なんだとインドネシア人は主張したいのだろうと思います。
しかし、実体はミナンカバウ族という国境を越えてさまよう習慣のある民族が発明した料理で、国は関係ないともいえます。あとから勝手に国境を引かれただけの話です。

国家という概念は比較的新しい

日本に国家という概念ができたのは、明治と言われています。聖徳太子の時代からあったんじゃないの?国家と国家の交渉をしていたじゃないかという意見もあると思いますが、近代国家の概念からすると国家ではありません。

明治になるまでは各地を治めている領主の元の封建制度に基づいた形態で、人々に国家という意識はなかったと言えます。
日本が遅かっただけでなく、近代国家の概念を生み出した西洋近代文明以降の話ですから、西洋についてもキリスト教の権威が失われて以降の話です。
中国は国家というより中華思想で、天子の徳のもとに周辺の民族がひれ伏し従う範囲、徳が及ぶ範囲を中華と呼び、及ばない範囲に住む人々を蛮夷として区別していたにすぎません。

確かに国家という概念には有意な点が多いから普及していると思いますし、近代化には不可欠なのですが、人類の長い歴史を考えれば短く、国家の概念がなかった時代に各地の交流によって生まれた文化や慣習はたくさんあるんです。
それらのうちラサ・サヤンやルンダンがおかしなことになってしまったのだと思います。
他にもサテはどこが発祥なのかとか、争いがあります。

国境が後から引かれた以外に、近代化と資本主義に欠かせない所有権の概念も影響します。俺のものだと排他的に主張するわけですね。ルソーの「人間不平等起源論」でも出てきます。勝手に土地に境界線を作り、ここから先は俺の土地だと主張しはじめたことが不平等の始まりという説です。
この本はルソーの本の中でも短めでかつ読みやすい本なのでお勧めです。社会契約論の方が有名なので読んだことがある人は多いかもしれないですね。

わたしの印象では、日本人は全体的に他国から来たものについて、日本が独自に進化させたから日本が発祥だとか、自分のものだとか主張しない印象です。
ラーメンは中国、カレーライスはインドまたはイギリス海軍と認めています。もし勘違いで日本発祥と主張していても、事実が判明すれば素直に従いますよね。

わたしはこの柔軟性が日本の強みと思います。日本固有とか伝統とかに固執しないから、明治になっていち早くトランスフォームできたということです。日本好きの中国人、韓国人と歴史の話をすると、明治維新はうらやましがられます。
元々文化的には何千年もの間、中国や韓国が日本をリードしていたわけですからね。この時の対応の差をいまだに埋められないでいるのです。

知財に詳しい弁護士、弁理士の方々から見ると、こいつ分かっていないなと思われるかもしれません。その場合は遠慮なくご指摘ください。

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