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インドネシアの温泉の起源を探したが見つからない。その理由を考えてみた。

わたしは歴史好きでして、ある場所に行けばその場所の歴史を調べたくなり、ある文化や慣習を知るとその起源を知りたくなります。
日本の温泉を訪ね歩いたときは、いつ誰が温泉を発見したか、どのように利用されてきたのかを知るのを楽しみにしていたので、インドネシアの温泉でも同じように歴史をたどろうとしました。

ところが、ないんです。
日本語だけでなく英語やインドネシア語でもネットで文献がないか、大学の図書館の司書にも相談したりしながら一生懸命探したですが、今のところ1つだけしか発見伝説を見つけていません。
日本の温泉発見の一パターンにそっくりな伝説で、これこれと思ったものです。でもこれだけでした。

普通は同一人物が何個も見つけるものなんですよ。あくまでも日本の話ですけどね。
空海や行基なんかすごい数の温泉を見つけてますし、武将たちも坂上田村麻呂、源頼朝、源義経、名もなき平家の落ち武者など、遠くまで出かけている人たちはよく見つけています。

まあ一番見つけているのは猟師、正確には猟師に温泉につかっているところを見られた動物たちなんですけどね。鹿、熊、猿、狸、猪、狐、鶴、鷺、鳩、鷹、蛇、亀さんたち、ありがとう。

なんでインドネシアは、法力を持ったイスラム教の偉人が温泉を見つけて回らなかったのか、動物たちが温泉につかっているのを見た猟師が真似しようとしなかったのか、なぞです。

温泉がどのように発見されたかが知られていないだけでなく、いつから使われていたとか、どのように使われていたかという記録もほぼありません。
インドネシアは各地に王様がいた歴史を持っていますから、日本の戦国大名や殿様のように、戦いで疲れた兵士をいやしたり、自らが温泉を楽しむという記録が残っていそうなものですが、なぜかないんです。

今回はその謎を勝手にといてみたいと思います。

ずばり、それは熱いお湯に入ることがそんなに魅力的に思えなかったからにつきるでしょう。温泉に入る習慣がなく、そもそも歴史が存在していないというのがウダ説です。
まあ暑いところですからね。温泉に入って温まるメリットはないでしょうね。余計に汗をかいてしまうので。
当たり前だろという突っ込みがあちこちから聞こえて来た感じがしますが、わたしの分析を読んでからにしてください。専門家ではないので憶測交じりの素人考えのレベルにとどまっており、今後調査を進めて深掘りしていきます。


事実1:当時インドネシアを占領していた日本軍が温泉開発をほぼしておらず、温泉を楽しんだという記録がほぼない。

温泉が魅力的ではなかったのではないかという証拠の一つは、当時インドネシアを占領していた日本兵たちが、温泉をほとんど開発していないんです。
たった3年間しか占領期間がなかったというのも原因の一つとは思いますが、当時首都だったバンドン周辺にこれだけ温泉が湧いているというのに、日本軍が開発に関与した温泉は一つもない。
ジャカルタから近いボゴール周辺にも温泉は結構湧いています。
普通であれば日本兵がみんなで連れだって入りに行ったとか、記録に残ってそうなものなのに、そういう文献自体がないのです。

わたしが発見したのは、スマトラ島のタルントンに日本兵の間で人気の温泉があったという文献(日刊シナル・パンバグナンの元日本兵マツイトシオ氏の手記1990年9月15日)、アロール島に日本軍の将校が温泉を作った(Wikipedia:アロール島)だけです。あとはインドネシア以外になります(シンガポール、タイ、マレーシアに日本軍が開発に関与した温泉あり)。
これだけ温泉好きの日本人が、台湾や韓国では開発しているのに、インドネシアではほぼ開発せず楽しみさえしなかったというのは、インドネシア人ならなおのこと必要としなかったのではないでしょうか。

数週間探しただけですので、もしかしたらたどり着けていないだけかもしれません。専門家の方がいらしたらぜひ教えてほしいです。

事実2:インドネシアの民間療法に汗をかいて血行をよくするという手法がない。

日本で温泉が普及したのは、民間療法と結びつき、当時の知識層であった僧侶が各地で健康法として地域住民に教えていったからと言われています。僧侶が温泉の発見者に多いことや、寺湯はその名残です。
対して、ヨーロッパではキリスト教の普及とともに、混浴はよくない、人前で裸になるのはよくないとしてローマの温泉文化を廃れさせました。日本はむしろ宗教が入浴を勧めたのでこんなにも普及したのだという説です。

弘法大師(空海)は温泉をたくさん見つけていますし、サウナの発明者としても有名です。一遍上人も別府の鉄輪温泉で蒸し湯を開発しています。
ほかにも、草津温泉は戦国時代からハンセン氏病の患者が治療のために集まってくる場所でしたし、若返りの水伝説がある温泉はたくさんあります。今でいうアンチエイジングです。
武田信玄、上杉謙信は戦いで傷ついた兵士のための温泉施設をたくさん作っています。

インドネシアの民間療法はジャムウという飲み薬、身体をコインでこすって縞々模様をつけて血行をよくする治療法がメインです。
温泉を治療に使ったという形跡がないんです。あるのは唯一伝承が残っている温泉だけです。

なぜなのかといえば、あまり効果がなかったから民間療法として広まらなかったんだと思います(ウダ説)。なぜ効果がなかったのかといえば、気温が高いからでしょう。
サウナなんて必要ないくらい暑くて自然に発汗するので、わざわざサウナを用意したり風呂に入って汗をかくのと差があまりなかったのではないかと推察します。
やっぱり、見た目ではっきり差が出ないと、効いている感じは出にくいですからね。真冬に汗びっしょりだったら、なんかすごいなと驚くじゃないですか。真夏に汗びっしょりだと、外で労働してきたの?きみも大変だね、という感じで驚きはないでしょ。希少感や奇跡感がないんですよ。
変化を数値で図ることができない時代には、見た目の変化こそが一番効いている感が出るので大事なんです。(ここ論文だと参照論文つけるとこですが、調べてません)

温泉が自然に湧き出るところは、地形的に山の谷間だとか、断層のあるところで、行きにくい場所が多いです。
人が多く住んでいるところは平地が多いところですから、川が土砂を運んで三角洲や扇状地が形成されているところになりがちですよね。そういう場所では深く掘削しない限り温泉は自然には出ません。

よほどの効果がなければ、わざわざ温泉に入りに山の中に出かけて行ったりはしないので、温泉が広く知れ渡ることはなかったのだろうと考えています。

事実その3:温泉のスタートはホテル建設とほぼ同じというところが多い。

1970年前後の開業が多いです。
このころインドネシアで何があったかといえば、1968年にスハルトが大統領になりました。
スハルトはスカルノ時代の反米、共産主義容認をやめ、親米、反共産主義に切り替え国連復帰を果たしました。要は、国際社会がインドネシアに援助しやすい状況にもっていき、ここからインドネシアの経済成長が始まっていくタイミングなんです。
日本の円借款、無償資金供与が始まったのも1968年のことです。

これが意味するところは、温泉を利用したリゾート開発をしようとしたということですね。日本の高度成長期に、温泉地が競って箱ものを立て団体旅行客を受け入れに走ったのと同じ現象です。

インドネシアの場合、それが温水プールとなったわけです。人前で裸になることは宗教上できないので、キリスト教の欧州と同じ流れで当然プールになりますね。
なんでインドネシアの温泉はプールでしかもぬるいんだというのは、開業の経緯がそうだったからと推察しています(ウダ説)。
温泉の歴史とリゾートの歴史がイコールなので、歴史も何もあったものじゃないということですね。

反論その1:じゃあ共同浴場があるのはどう説明するのか。あきらかにリゾートではないでしょ。

共同浴場だけでなく、実はリゾートとは程遠い、ただの川や池みたいな温泉もたくさんあります。そこにインドネシア人がたくさん入りに来ているのは、現地に温泉文化が根付いているからであって、もともと温泉に入る伝統があったのではないか、という疑問が生まれてきます。

これはわたしも反論が難しいです。誰かがそういう温泉の始まりを地元の長老や郷土史研究家などからヒアリングしてほしいものです。探しているけれど記録がないんです。

共同浴場についてのわたしの仮説は、モスクと結びついて存在しているというものです。
モスクでお祈りするとき、決まった順番で身を清めてからお祈りしなければならない決まりになっています。そのため、モスクには必ず身を清める洗い場が併設されています。
温泉は身を清めるのにちょうどよかったので、モスクの横に温泉を引いてきて入るようになったのではないかと推察しています(ウダ説)。

先に温泉があり、あとからモスクができた可能性はゼロではありませんが、わたしは違うと考えています。なぜなら温泉が先の場合、温泉水に聖なる水や宗教的な要素を見出さないと理屈がつかないからです。

バリのヒンドゥー寺院には聖水が出るところに寺を建てているケースがありますが、わたしが見たチパナスの共同浴場は聖水ではありませんでした。
湧いているのではなく、4,5キロ先からお湯をひっぱってきているだけなのです。

「おれっちの土地を通すのであれば、おれっちのところにも温泉を分けてくれよな」といって、とってきたのではないでしょうか。リゾート温泉施設が温泉を価値あるものとして扱ったことで、一般市民も温泉に価値があるものと認識し、くれとなったのだろうと推察しています(ウダ説)。それが、あの地区はあんないいことしているらしいぞと噂になり、俺たちもやってもらおうとなってあちこちに広まったのでしょう。

日本だと法学部出身者ならだれもが知っている有名な判例「宇奈月温泉事件」が想起されますね。俺の土地を勝手に通すなと主張した方が権利の濫用の法理で負けるという最高裁判例です。
チパナス温泉郷の場合は、ちょっと分けてもらうくらいで、湯量も問題ないくらい豊富にあり、分けるのに費用も掛からず、地元民の主張は権利の濫用には当たらなかったのだろうと思います。
インドネシアの民法に権利の濫用の条文があるか、裁判例があるかは調べておらず分かりません。

以上となります。わたしの想像の世界に長らくお付き合いいただき大変ありがとうございました。

お前ちゃんとMBAの勉強してんのか?とご心配の方々、大丈夫です。
あたまの中で温泉が占める割合は30%くらいです。趣味指数が常時50%を超えてくるようだと注意ですね。

現実逃避を始めている可能性があります。









 



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