学生時代に勉強以外に何をすべきか(インドネシア人のクラスメイトとの会話)とりあえず旅に出る
わたしはバンドン工科大学のMBAに通っています。
クラスメイトは22歳から25歳が9割以上、30歳以上はわたしを入れ3名と言う年齢構成で、みなとても若いです。彼らの父親とわたしが同年代になります。
社会人経験が実家の手伝いとか、インターンシップしかない学生が大半を占めるということです。
学生は特に真面目な優等生型の学生ほど悩みが多く、なかでも将来どうしようかというのは悩みの一つになっています。
そのなかでわたしも人生の先輩としてアドバイスを求められることがあり、今回は日本人留学生にも聞かれた、仕事に就く前にやっておくべきことはなにかを聞かれました。
就職活動をするにあたって、どういう学生が求められるのかというダイレクトな質問ではなく、どういう経験が将来役立つのかという質問かと思います。
勉強はちゃんとやっている、MBAは実学なので社会に出て役立つ知識を得ている。その上で何かないかということです。
わたしは「旅をして人と会い物事を観察し考える。考えることを通して自分の考えを確立する。」と伝えました。旅には他にもメリットが多いのですが、一点に絞り込みました。
考えるって何を考えるの?それがどうやって自分の考えを確立するにつながるの?という質疑応答がありましたので会話を再現してみます。実際はお互いの外国語の英語を使った会話なので、ここまでスムーズではありません。
雲をつかむような内容なので、難しかったかもしれません。
わたしの初の海外旅行は上海で、当時の中国人の駄目さ加減にとてもショックを受けました。鄧小平の自由経済路線は上海といえどもまだ浸透していなかったんです。
歴史少年だったわたしは三国志が大好きで、中国の故事を深掘りして史記や十八史略を読み、中国の歴史や文化にある種の憧れをいだいていただけにショックでした。
90年代初め、中国は外国人がもっとも旅行しにくい国と言われていました。駅、ホテル、銀行、店、あらゆるところで「没有:メイヨー」と言われるので皮肉を込めて外国人旅行者が「没有」と大きくプリントされたTシャツ(没有Tシャツと言われていた)を着ていたくらいです。
日本人は中国人に紛れ込むことができたし、漢字も理解できるのでまだましでしたが、西洋人はトイレにもいけずメニューも分からず、ひどい目にあっていました。
メニューを見て注文できないので、他の客が食べている料理を指さして注文して、ぼったくられるパターンに陥っていました。
没有というのは「売り切れで在庫がありません」という意味で使うべき言葉ですが、「お前に対応している暇はない」という意味で用いられ、当の本人は同僚とのおしゃべりに夢中という有様です。
そして運よく買えたとしても、お釣りを投げつけてきます。このお釣り投げつけをイギリスのサッチャー首相にもやってしまい、「侮辱を受けた」と本人がショックを受け国際問題に発展したこともありました。
なんでこんななのといえば、共産主義だったからでしょう。一生けんめい働いたり儲けるモチベーションがわかないシステムですよね。共産主義というのは個人の所有権を認めない仕組みですから。わたしが中国法を勉強した90年代前半は、中国に民法や会社法がなかった時代です。所有権がないのでいらなかったんです。憲法と刑法、あと刑事訴訟法しかなかったんですよ。
なんで共産主義では経済が発展しないのか、わたしはこの目で見たんです。こういう経験をしてもらいたいから旅をおススメしています。
10年後に上海を訪問したら様変わりしていて驚きました。町並みやインフラというハード面の変化だけでなく、「歓迎光臨ファンインクァンリン」なんて言われたり、笑顔やサービス精神といったソフト面も全く変わっていたのです。
こういう定点観測もとても大事です。
自分で考える癖をつける、自分の考えを確立すると、将来的に何かを決めないといけないとき、土台になります。
最初の中国旅行の帰りのフェリー鑑真号で、雑魚寝部屋にいた同じ大学の4年生から、「自分は4年生で卒業だけど、もっと旅をしておくべきだったととても後悔している。君は大学2年生か、うらやましいな。今みたいに旅を続けろ。」と言われたことを今でも覚えています。
まとめ
‐ 旅に出て、自分の目で直接見る、直接地元の人と話をする。
‐ そして考える。自分なりの考え方、ロジックを確立する。
‐ それは強味・差別化になり、また将来何かを決めないといけないとき、土台になる。